有名になりたい?

雑文

 有名になりたいかと問われると、僕は首を横に振ります。

 あんまり有名になりたくない。

 有名になって、顔を知られるようになると、普段の生活がずっと緊張しているようでイヤです。

 服装も、髪型もダサいし、自分がすることによってあれこれ批判されたり後ろ指をさされたりするようなことになると、平和な日常を愛する僕としては落ち着いていられなくなります。

 なので、あまり有名にはなりたくない。

 けれど昔は違いました。

 有名になって、見返してやると思っていました。

 小説を書いていたし、バンド活動をやっていたせいかもしれません。

 小説で賞を取るなり、バンドで成功などして、一目おかれるようになる。それを夢見ていました。

 恩返しをしたかったというのもあります。

 僕は、親や祖父母や親戚一同に多大なる迷惑をかけています。

 学費を払ってくれたのも親戚です。

 高校に進学できたこと、大学に進学できたこと、それらすべて親戚一同のおかげです。

 でも僕は、大学をやめてしまいます。

 バンド活動に専念したかったからです。

 自分で決めた人生で、いつかみんなに恩返しするのだと、志高く夢を見続けていました。

 そしてまた、自分を馬鹿にしてきたやつらに一泡吹かせてやるといったような復讐心もありました。

 苦労して、苦労して、苦労して、やっと掴んだ舞台。

 「ありがとう」と言って感動する場面を何度も瞼の裏に焼き付けていました。ひとりで泣いてしまったこともあります。

 有名になることで、みんなを幸せにするんだと思っていました。

 漫画、『バガボンド』の又八の気持ちにとてもよく似ています。(挫折し続けるところも又八とよく似ています)。

 それでもいまは、そういった気持ちがなくなりました。

 どうしてだろうと、ときどき思います。

 あれほどあった熱い気持ちが、いまではまったくありません。

 もちろん、僕が作った作品を評価してもらいたいという気持ちはあります。

 でも、例えば有名ボカロPみたいになりたい、とか、有名ミュージシャンになりたいとか、そういったことは思わなくなりました。

 どうしてだろう?

 そもそも、人が「有名になりたい」と思う心理はなんなのかについて考えました。

 思い当たることは、「承認欲求」ではないかな、ということです。

 承認欲求。認められることに対する欲求。

 それが、人一倍強い人、はいます。

 心理学的な話をしますが、そういった人は幼いころに十分な愛情を注がれなかったか、あるいは成長過程でなにかしら蔑ろにされてきた経験があるのではないかなと思います。

「無条件で愛してほしい」これは誰もが持っている心理です。

 通常であれば、親は子を無条件で愛する。

 でもそれが得られなかった人は、なんらかの「形」を求めます。

 学校の成績や進路先、あるいは仕事上の実績、そういったものを求める。それはなぜか。「そうしなければ愛されない」と思っているからです。

 もちろん僕は心理学について詳しくないし、専門家でもないので、あくまで憶測です。

 憶測ですが、そういったものなんじゃないかなと思ったりします。

 欠けているから、それを満たそうとする。

 そうすることで、アイデンティティを保とうとする。

 もしくは、そうしなければアイデンティティが保たれないか。

 悲しいことです。

 心配するのは、そういった人たちが、有名になれないからといって、自分で自分を蔑ろにしてしまうことです。

 有名になるのは簡単なことではありません。

 一部の人間だけです。

 有名になって、承認欲求が満たされればそれでいいのですが、そうじゃなかった場合、「わたしは駄目なんだ」と思ってしまうことを心配しています。

 本当はそんなものはいらないんじゃないかなと僕は思います。

 そんなものというのは、「承認されること」です。

 別に、認められなくたっていいじゃないか、と、僕は思います。

 有名になれなくたっていいじゃないか。生きてさえいれば。

 そう思います。

 生きているだけで十分価値はあるし、素晴らしいことなのです。

 そして、誰かに認められなかったとしても、せめて自分だけは自分を認めてあげようと思います。

 そう思えたから、僕はあまり承認欲求を持っていないのかもしれません。

 まとめ。

 有名になりたいか、そう問われればやはり僕は首を横に振ります。

 でも、向上心はなくさないでいきます。

 いつか、自分の作品が評価されたらやっぱり嬉しく思います。

 一歩一歩、がんばって成長していきます。

 ここまで読んでくれてありがとう。

 幸あれ。

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