なんとなく、ヤクザ映画を見たくて、アマゾンプライムを開いてみた。
そしたらたまたまみつけたアニメ映画があって、「まあこれでもいいか」と思ってみてみたのが『この世界の片隅に』である。
舞台は戦時中の広島県呉市。
日本人ならもちろんご存知であろう。
1945年の広島と言えば、原爆投下である。
わたしはどこか、その、原爆の物語を期待して映画を見ていた。
(まったくの不謹慎だと思う)
なんだろう。
映画は2時間を超える長いものなんだけど、前半はほとんどまったく「戦争」のようなものはなくて、ただただ昭和の初期の庶民の生活が描かれていた。
なのになぜかわたしはそこで泣いてしまう。
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最近のわたしは、ひどく冷たい。
仕事で忙しいせいなのかわからないけれど、
ひどく冷たい人間になってしまった。
何も感じないし、なんの欲求も持たない。
睡眠欲もなければ食欲もなく、あるいは性欲だってない。
何もほしくないし、
何も思わない。
そういう、人間になってしまった。
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先日、女の子を家に呼んだ。
「何かが狂っているな」と思いながらも、そうしないわけにはいかなかったのだ。
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女の子とおしゃべりしながら、わたしはやっぱり「何も思わなかった」
その子のことを「人間」だとも思っていなかった。
自分のことも、人間ではないような気がした。
映画の前半を見ながらふとわたしはこんなことを思った。
「世の中が便利になって、生活は豊かになったのかもしれない。でもその反面、心は貧しくなった」
そんなような言葉だ。
そういうような言葉は多分日本の高度経済成長後、バブル崩壊後くらいからあって、作家の村上龍なんかは「そんなわけがないだろう馬鹿野郎。今の方がいい時代にきまってるお前らはアホだ」みたいなことを言っていたけれど、
わたしはあながち間違いではないような気がした。
村上龍のことではなくて、「心が貧しくなった」という点である。
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作中の中で、登場人物がこんなことを言う。
「わしはいつから人間としての当たり前でなくなってしまったんじゃろうか」
「お前はずっと『普通』であってほしい」
そんなようなセリフだった。
わたしは、実は戦争を肯定している人間である。
戦争は悪だし。よくない。人殺しなんて、人間のやるべきことではない。
そんなのは当たり前である。
ただ、じゃあ、われわれ人間はこの限られた世界で、争うこともなく共存していけるのだろうか。
わたしにはそれがわからないし、結局のところ、武力はなくなることなんてないし、武力があるかぎり武力を武力で制するしかない。
あなたは、国境のない世界が存在できると思うだろうか。
わたしにはそうは思えない。
争いはよくない。戦争は悪だ。では、どうやって我々は食料を確保し、肥沃な土地を確保し、安心と安全を手に入れ、資源を得ることができるのだろうか。
できないことはないだろう。
ただ、人間の歴史としては、戦争というものは必然的な「道」であったのだと思う。
もちろん、これからの新しい世界では、争いのない世界が作れるのかもしれない。
それはまあ、次の課題なのだろう。
「わしはいつから人間としての当たり前でなくなってしまったんじゃろうか」
もういちど、そんなセリフを思い出す。
映画の前半にあった昭和の初期の生活のことも思い出す。
ああ、水をくむのにも井戸からくまなあかんし、洗濯も手でするし、米を炊くのにも窯を使うんだな。
電話なんてものもないし、
生活のすべてに人の「手」が必要だったんだな。
協力が必要だったんだな。
確かに、今(現代)は便利だ。わたしは現代が好きだし、謳歌もしている。
だけど多分やっぱりどこかで「人間としての当たり前」を失くしてしまったのだと思う。
涙が出てきたよ。
ちょっと見てほしいんだけど、
この場面。
「復興」という文字が見える。
日本という国はほとんど「復興」の歴史なような気がした。
そういえば、震災の多い国でもあるなあなんてことを思い出した。
「わしはいったいどこで人間としての当たり前をなくしてしまったんじゃろうか」
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わたしは多分。
冷たい人間だろう。
他人のことなんて興味がないし、信用もしていない。
ほとんどどうでもいい。
目の前で人が苦しんでいても、たぶん「オレでなくてよかった」「ご愁傷様」と思う最低の人間である。
だけどそれは、いったい、いつからなんだろうか。
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ふと天井を見上げた。
もしかしたらわたしは、世の中に対して絶望していて、
そしてただただ「疲れて」いるだけなのかもしれない。
心を失くさなければやってけないことが多い人生だったし、
そういう社会で生きてきた。
それを否定するつもりはないし、
自分がもっと温かい人間になりたいなんてことも思わない。
どうでもいい。
ただやっぱり、
映画を見ながらわたしが泣いていたのはそれはきっとまだ私が人間であったからなんだろうな、
そんなことを、思った。
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