こんな、ツイートをした。
肥溜め。
つまり、うんこを肥料にする農業法のことなんだけど、
わたし、そういうの好き。
一般受けはしないんだけど、まあちょっと考えてほしい。
一昔前、テレビでこんなCMがよく流れていた。
「除菌」「抗菌」!
「〇〇臭」がどうのこうの。
そういったCMに、「ばかじゃねーの」と思っていたのがわたしである。
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綺麗なのはいいことではある。
でも、「きれいすぎるのはよくない」と、わたしは思う。
肛門について語ろうか。
肛門。
綺麗好きな日本人が発明した温水洗浄便座。
つまりいわゆるウォシュレット(ウォシュレットはTOTOの商標である)
どうやらそれのやりすぎが「健康」によくないらしい。
なぜ洗浄のやりすぎがよくないのかというと、
肛門の「常在菌」がなくなってしまって、体の抵抗力や免疫力が下がってしまうらしい。
なるほど、と思った。
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変なはなし、わたしはここ一週間歯磨きをしていない。
汚いといえば汚い。
だけど、虫歯がない。
お風呂は好きなのでお風呂に入っているけれど、体は洗っていない。
タモリも洗っていないらしい。
(どうでもいい話だ)
髪も洗っていない。
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いつから人は「きれい」を美徳と思ったのだろう。
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モテるためには「清潔感」が一番である。
という話しがある。
まあそうだろう。
オレだって、汚い女より、きれいな女の方が好きだ。
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でもここでいいたいことはそういうことではない。
「汚い」ことのすすめだ。
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厳密にいうと、「ちょっと汚い」のがいい。ということである。
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そもそも、汚いことがなぜ「だめ」なのかというと、
それは病気に関することにつながるからだ。
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たとえば食べ物を洗わずに食べれば、腹をこわす。
ナメクジを食べるとして、ちゃんと処理しなければ食中毒になる。
それは、生命にとって危険だ。
だから人は「清潔」を求めるのである。
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わたしがいいたいことは、「清潔すぎることは逆に悪だ」ということだ。
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全文に書いたけれど、
「除菌」「抗菌!」
きれいがすべて!
それは、まったく人間のためにならない。
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健康に関してもそうだけれど、
「幸福感」にとってもそうだろうと思う。
ツイート(ポスト)でわたしは「肥溜め」が好きだといった。
なぜ好きなのかというと、
食べたものを排泄して、そのうんこを肥料にして、またおいしい野菜を作る。
そしてそれを食べる。
循環である。
そこに、わたしは幸福をおぼえる。
生きていること。
生かされていること。
それが、「肥溜め」につまっているのである。
化学肥料とかでも、「おいしい野菜」は作れるだろう。
でも、
おいしい野菜を「食べた」ところで、
いったい何になるのだろうか。
わたしはそれは「一方通行の食事」なのだと思う。
ただ、「おいしい野菜を食べる」だけのことだ。
そんなの、エサみたいなものである。
自分の存在なんてものは、あんまり意味がない。
別に、生きていなくたっていい。
でも、生きていることの喜びくらい感じたっていい。
どうしたら、生きていることの喜びを感じられるか。
それは、この地球。
大地。
宇宙との共存である。
(なんだか宗教的になってきた)
おいしい野菜を食べる。
食べることなら誰だってできる。
でもそこに「幸福」はないだろう。
でも、うんこを肥料にすることで、その野菜が「意味」を持つのである。
わたしは、この大地により「生かされているのである」
そう思えることが、われわれ人間にとって、しあわせと感じられるものなのである。
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わかる人、いるだろうか。
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わたしは、
お金に振り回されるこの社会につかれた。
さっさと引退でもして、農業でもして暮らしたい。
何が大切って、
それは、「わたしが、安息を得ること」である。
お金に振り回されるこの社会は本当に疲れる。
わたしはもっと、小汚い世界で、生きていきたい。
きれい好きのあなたは、「きれい」と「清潔」でも求めて、生きていればいい。
わたしには関係がない。
コメント
何事も、〝過ぎたるは猶及ばざるが如し〟ですな!