令和的音楽志向

雑文

現代の音楽入手方法

 つい先程、iPhoneに音楽をダウンロードした。
 曲は『らぶきゅん♡うぉんてっど』

 こちらです。

『らぶきゅん♡うぉんてっど』は日本のアイドルグループ「きゅるりんってしてみて」のシングル曲である。

 と、書いてみたけれどわたしは「きゅるりんってしてみて」というアイドルのことを知らない。(ブログに引用する理由で今調べました)

 ファンでもない、ましてや今の今まで知りもしなかったアイドルグループの楽曲をどうして(わざわざお金を払ってまで)ダウンロードしたのかというと、ただ単に「やっぱやっぱ、やばやば」という歌の「やっばー」と発音する「音」を聞きたかったからである。

「そんな理由で?」と思われた方もいらっしゃるだろう。
 わたしもそう思う。

 昭和の時代は知らないが、わたしたちの世代の「音楽の買い方」はこうではなかった。

 例えばミュージックステーションのような音楽番組をテレビで見て、あるいはCMなんかで新曲のことを知って、楽曲なりミュージシャンなりを好きになって、CDショップでCDを買いに行く、というのが普通であった。

 ところが今回のように、ただ「音」を聞きたかったからという理由で楽曲を買った動機の背景にはこんなことがある。

 はじめはTikTokだった。ショート動画を専門としたSNSである。

 そこで、令和の若者が『らぶきゅん♡うぉんてっど』の曲に合わせて踊っていて、それを見てわたしの耳にはその「やっぱやっぱ、やばやっばー」が残り、ふとしたときにその音をまた聞きたくなって、購入した、という次第である。

 音楽の買い方も変わったものだ、と思った。

 今回はダウンロードという形を取ったが、おそらく現代人はサブスクを利用しているだろう。
 月にいくらといったような定額制で音楽が聴き放題のサービスである。
 わたしはサブスクリプションというシステムが嫌いなのでそういう買い方はしないが、そういう方法もあるという噂は聞いたことがある。
 他にも方法はあると思うし、そもそものところ、現代の若者は音楽を「購入」しないのかもしれない。
 昔は若かったわたしも、ついに現代についていけなくなった。

令和の音楽感

 実は『らぶきゅん♡うぉんてっど』をダウンロードするよりも前に買おうかなと思った楽曲は他にもある。

『愛包ダンスホール』と『粛清!!ロリ神レクイエム』と『オーバーライド』である。
 どれもTikTokで知った。

『オーバーライド』はともかくとして、『愛包ダンスホール』も『粛清ロリ神』も令和っぽい音楽をしている。

「令和っぽい音楽とは何か」を説明するのは難しい。
 多様化した世の中になったため、何が現代を代表する音楽なのかということが言えなくなった。

 ただわたしが令和っぽいなと感じた楽曲はどれもごちゃごちゃしていてキラキラしていてアップテンポで統制が取れていない秩序のない楽曲だ。それをわたしは「令和っぽい曲」と言っている。

 そして今回取り上げた『らぶきゅん♡うぉんてっど』も同じで、ごちゃごちゃしていてキラキラしていてアップテンポで統制が取れていない秩序のない楽曲だ。

 タイトルからして令和である。
 アイドル名からしても令和である。
 歌詞も非常に面白く、令和っぽい。

 たぶんもうわたしの親世代はついていけないだろう(わたしもついていけてないが)

 例えば歌詞はこんな感じである。

 ーー嫌! わたしだけに優しくすんの
   やっぱやっぱ やばやば
   せーのっで狙い撃ち
  (ばん♡ばん♡)

   しゅきちゅ ばっきゅん!
   ハート命中
   らぶ過ぎて
   罪詰みみ(ばん♡ばん♡)
   どきっ 超魔球 わ!ご臨終
   即逮捕ですっ(うぉんてっど♡うぉんてっど♡)ーー

 もうわけがわからない。

 わけがわからないけれど、そんなわけのわからないところがわたしは好きである。

令和という時代

 令和もまだ始まって6年しか経っていないのでその段階で時代を語るのは早すぎると思う。

 それでもこのたった6年で令和色は平成とは大きく違うことに気づく。

 わたしが感じる令和という時代は「刹那」だ。

 刹那すぎる。

 昭和のことをあまり知らないけれど、たぶん昭和の時代だったら音楽一つとっても「何年間も聴いていられた」だろう。

 だが令和は違う。

 いい曲があれば、ある一部の人間がバーって群がり、わーって盛り上がり、バババババって投稿しまくり、拡散して、ある程度拡散されると飽きる

 そして次の曲へ行く。

 そのスパンが非常に早い。
 早くて二週間、長くて一ヶ月だろうか。

 そして楽曲「一曲」を聴いてみてもそこに「令和の飽きっぽさ」が見られる。

『らぶきゅん♡うぉんてっど』を聞くとよく分かる。まあ忙しい。

 一応構成みたいなものがあるけれど、おそらくわたしの親父が聞けば「こんなものは歌じゃない」とでも言いそうだ。(わたしは好きだが)

 とにかく、令和という時代はとても駆け足で過ぎているような感覚がある。

 飽きっぽいとか、集中力がないと心配されそうだが、もしかしたら令和の若者たちは非常に頭の回転が速いのかもしれない。

 今の高校生なんて、生まれたときからスマートフォンがあったのだ。
 ネット環境があったのだ。SNSがあったのだ。
 情報の渦の中で生まれ落ち、育ってきたのだから「こんなものは当たり前だ」と思っているだろう。

我々はどう生きるべきか

 我々はどう生きるべきか。

 そんなことは知らないし各々が勝手に考えて答えを出せばいいと思っている。

 ただひとつ言えることは、「時代の最先端に目を向けないとあっという間に時代遅れになる」ということだ。

 それはおじさんがカラオケで「ロリロリ神降臨!」と歌うことではない。
 流行の広がり方、物の売り方、行動経済学やマーケティングをしっかりと見ていないと取り残されるということだ。

 それはビジネスや商売に限ったことではない。
 消費者であってもそうだ。
 時代の流れを知っていないと、本当に必要でないものまで掴まされる羽目になる。

 何かを知り、お金を払い、手にした途端、それはもう無価値なものになっている可能性だってある。

「じゃあ流行を追っかければいいのか」というとそうではない。
 時代の最先端を見たうえで、自らの頭で考えて「自分にとって本当に必要なもの」を選ぶのだ。

 正しい目で見て、取捨選択する力がわたしたち現代人に必要な能力ではないだろうか。

 リテラシー。

 言葉で言えばそういうことになる。

まとめ

『らぶっきゅん♡うぉんてっど』をダウンロードしたことをきっかけに今日の記事を書きました。

 何かの参考になれたでしょうか。

 最近わたしは何を書いても自信がない。

 書いては消してを繰り返している。

 昨日なんて、4時間かけて7千文字ほどの記事を書いたけれど、結局消去してしまった。

 新しい発見をしたようであっても、それはどこかありきたりで、陳腐で、ごくごくみんなが知っているような「当たり前」のことしか言えていないような気がする。

「そんなこと今頃気付いたの?」と言われそうである。

 それほど現代という時代は刹那なのだ。

※トップ画像はUnsplashEugene Zhyvchikが撮影した写真です。

 

コメント

  1. 昭和の真ん中あたりのジジイ世代の人間です。
    後半はまさにその通りだと思う。 ダウンロードにいくらかかるか?知る由もないが、後世において誰かに謳われる可能性の少ない楽曲だと思われます。

    ところで、

    ただ単に「やっぱやっぱ、やばやば」という歌の「やっばー」と発音する「音」についての感想はどうだったのでしょうか?

    一行も触れられていないようですが ・・・

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