「価値」というものについて

りょうきちの部屋

お金

 子どものころ、お小遣いというものがなかったので普段自分の買い物をすることはあまりなかった。だけど何かのきっかけでお金をもらったりすると、それでお菓子やおもちゃやマンガを買いに行った。

 百円とか、多くても千円とかしか持っていないので、買えるものはごく限られている。
 子どもながら、必死に考えてお買い物をしていた。

 ところが、例えば今のような時期、お正月。そう、「お年玉」という子どもにとってのボーナスがある。子どものお小遣いだろうといっても馬鹿にできないのである。小学校の高学年くらいになるとお年玉の額も数万円になる。お金持ちの子だと十万円を超える。

 子どものころの私は、お正月となると親戚へのあいさつ回りという名目の元、「集金」に行っていた。とにかくたくさんの親戚に会い、お年玉を貰うことが子どもだった私にとってとても重要なことだったのだ。

 お正月が終わり、家に帰る。きょうだいでそれぞれいくら集まったかを数える。分かっていたことだけど、兄の方が常に額が多かった。でもそれでしょげる私ではない。だって、数万円持っているのだから。
 お年玉を手にした自分は最強だと思っていた。なんでも買える! さっそく私は駅前の商店街にあるおもちゃ屋さんやゲームショップや本屋さんなどに向かっていた。

 不思議なものである。普段百円がどうのこうので頭を必死に使っているのに、お金を持つと、三千円のおもちゃでもとても「安く」見えてしまうのだ。三千円使ったってまだ数万円あるし、大丈夫。そういう神経でいるのだ。

 ところがそれがひと月もすると、すっかりお財布はさみしくなってしまい、また百円単位でものを考えるようになるのである。三か月もすれば、あれだけあったお年玉も、すべて使い果たしてしまうのであった。

 馬鹿だなあとは思うけれど、ああ分かる! と思ってくださる人も多いと思う。
 何もこれは子どもに限ったことではないからだ。

お金がない

 私はお金の使い方が下手なまま大人になった。なので、常にお金がない状態に置かれている。さらに大人なので額が子どものころとは桁が違う。数万円、数十万円という額が日常で使われる。

 気が付けば私は消費者金融に足を運んでいた。

 免許証を見せて、住所や生年月日や年収などを書くだけでお金を借りることができた。始めて借りたお金は十万円だった。仕事を失って家賃が払えなかったのだが、家族に頼るわけにはいかないと思っていたので金融会社からお金を借りたのだ。
 その十万円の写真を扇状に広げて私は写真を撮ってみた。(デジタルの画像はありません)。お金に余裕ができたような気がした。

 もちろんそれは幻想である。
 借金というものはちゃんと存在しているのだ。貸借対照表でいうところの「負債」である。

 だけどおかしなもので、キャッシング枠がまるで「自分のお金」であるかのような感覚に陥った。

 はじめは家賃のためだけで、それが済んだら返済しようと思っていたのだが、何かの理由をつけてお金を引き出し、気が付けばキャッシングの利用枠いっぱいまで借りてしまっていた。

 そしてまた窮地に陥る。

 そこで今度は別の消費者金融の会社の扉を叩くのである。

 気が付けばその金額は百二十万円を超えて、自分の力では返せなくなってしまった。会社も四社にまでなってしまっていた。多重債務者である。

 結果的に、家族に迷惑をかけてしまう形となってしまった。

何にお金を使うのか

 お金が無くなり借りるところもなくなってしまうと、どうすることもできなくなり、私は家にあるものを売るようになった。

 たくさんのものを売ってきた。

 たくさんのものを売りながら、私は「ものの価値」について考えるようになった。

 例えばアニメのフィギュア。

 私はアニメが好きなのでこれまでさまざまなフィギュアを買ってきた。数百円のものから一万円を超えるもの、さまざまだ。
 けれど、現実的にお金が無くなったとき、フィギュアを売ることはよくあった。
 大体十分の一以下の査定額となる。3,000円で買ったものは、300円くらい(の査定額)になる。

 だんだん目利きができるようになるので価値のあるフィギュアとほとんど価値のないフィギュアを見分けられるようになった。
 それからはあまり価値のないフィギュアを買わないようになった。

 ここまで書くと、誰かは言うだろう、「いや、そもそもアニメのフィギュアに価値などないだろ」と。
 そう、その観点が大事なのである。

何にお金を使うのか2

 私はあるとき、現実感消失症というものになった。現実のことが分からなくなる症状である。 
 そのときのことは別の記事に書いていますがここでは紹介しません。
 そのときに私はふと思いました。

「世の女たち、韓国アイドルなんかに使う金があるならそんなもの一切の無駄だからオレによこせ、オレならもっと有意義にお金を使うことができる」と。

 韓国アイドル推しの方、ごめんなさい。

 でもそう思った刹那、私はこうも思ったのです。いや、韓国アイドルを推している人たちから見たら、私がアニメのフィギュアを買うことのほうがより無駄だと思うだろう、と。

 本当のことを言うと、韓国アイドル(のグッズ)にも、アニメのフィギュアにも、本質的な価値などどこにもない。
 それぞれが、それぞれ、そこに価値を見出しているに過ぎない。

 もっというと、ほとんどのモノには本質的な価値など存在しないのだ。

 ある日、ショッピングモールに行くと、知らない子どもがおもちゃの前で何か真剣に考えているのを見かけた。おそらく「これが欲しいかほしくないか」「これが必要か必要でないか」「これがあることによってこの後の生活がどれくらい良くなるか」「パパやママに買ってもらえるだろうか」など、いろいろ考えていたのだろう。
 それを見ながら私は思った。「いらんだろ、そんなもん」と。

 おもちゃなど、どうせ飽きてそのうちいらなくなるのだからそのお金はもっと価値のあるものに使うべきだ、と。
 だけど子どもである少年に「ものの価値」などわからない。いや、違う、大人である私にはおもちゃなんてなんの価値のない物質だが、子どもにとってはこれからの生活を楽しく送ることのできる有意義なアイテムとしての価値があるのだ。
 だってそうでしょう? 幼いころの自分がそうだったんだから。

 だけど、存在するのは同じおもちゃである。
 実存するのは、プラスチックのおもちゃの形と機能を持った物質に千円という値札が付いているという事実だった。
 もちろんその千円のおもちゃは、のちにハードオフに売るとしたら百円くらいにしかならなくなるだろう。

 では、本当の価値のあるもの、本質的に価値のあるものとはいったいなんなのだろう。

本質的に価値のあるもの

 極論を言ってしまえば、ルイヴィトンのバッグも、グッチの財布も、ロレックスの時計も、物質という面でみればただのモノなので千円のおもちゃと何も変わらない。
 もちろんそこには商品としての質やブランドの質、あるいはそれを持っていることによる付加価値というものがある。
 けれど、ただの「モノ」だ。

 人間が本質的に価値のあるものというのは「生きてくために最低限のもの」。すなわち、水や食べ物くらいのものである。あるいは衣服くらいのものだ。古代ギリシアの哲学者ディオゲネスは「樽」しか必要なかったらしい。あるいは太陽の光か。

 そう考えると、ほとんどのものが要らなくなる。

 だけど、もちろん「人はパンのみで生きているのではない」。
 生存さえしていれば良いというのではない。
 人間が人間らしく生きていくためには、本質的ではないものに価値を見出し、そこに投資することによって発展という道をたどることができるのである。

目に見えないもの

 ある界隈では2024年の12月(何日か忘れた)から「風の時代」といったものに世界が変わっているらしい。
 今までは物質的に価値のあるものに目を向けられる社会であったが、これからは目に見えない非物質的なものに価値を見出せる社会が出来上がっていくようだ。

 正直なところ、先進国と言われる地域では、モノが多い。多すぎるほどモノがある。まるでモノを作り、売って、買ってとお金(経済)が回っていくためにそういう生産(消費)活動が存在しているように思える。

 多くの人が気付き始めてきている。それは、どんなにモノがあっても「しあわせ」にはなれないということをだ。
 古い人は言う。「生活が豊かになって心が貧しくなった」よく聞く言葉だ。
 もしかしたら「風の時代」となったことで、人間が失ってしまったそんな「心」を改めて見つめ直す時代が来たのかもしれない。

 家族との会話、友人との楽しいひと時、人とのつながり、あるいは教養や文化に触れること、そういう、目に見えないものに対する価値が高まってきているように思う。

 これからはあまりモノが売れない時代となるのではないだろうか。

本物とは何か

 私が高校生のころ、本物というものは「アメリカ」や「海外のもの」なのだという雰囲気があった。

 映画で言えば、「全米が泣いた」「アカデミー賞受賞」というだけでまるでそれは素晴らしい映画のように思えるし、音楽だったら、当時でいえばモーニング娘。浜崎あゆみを聞いている人よりもレッド・ホット・チリ・ペッパーズやリンキンパークを聞いている(つまり洋楽を聞いている)人の方がかっこよく思えた。あるいはビートルズ。
 文学だってそうで、日本の作家より、海外の作家、ドストエフスキーとかカフカとか、あるいはシェイクスピアとか、そういうものを知っている人のほうが「本物」であるように思えた。

 しばらくそういう幻想にとらわれていたが最近になってその呪縛から解かれた。

 浜崎あゆみという人物は歌姫としては素晴らしいけれど、音楽的価値などほとんどない。じゃあビートルズが素晴らしいのかといったらもちろんそうだけど、本当の意味で言うと、「どっちだっていい」のだ。
 ビートルズはもちろん音楽史にとって偉大であるし世界的に多大な影響を与えた。だけど、ビートルズを知らない人にとっては「なんだかどこかで聞いたことのある曲を作っている有名な人たち」に過ぎない。
 一方、浜崎あゆみという歌手は世界的な偉大さはないけれど、90年代の女性(あるいは男性)たちに大きな影響を与えた。
 そこに、優劣など必要あるのだろうか。

 もっともっと言えば、耳が聞こえない人にとっては、ビートルズはただ楽器を持ってちゃかちゃか動いている人でしかない。音楽そのものの価値だって、「無い」ということも言えなくもない。

 価値とはなんなのだろう。

 価値とはとても主観的なものに過ぎないのかもしれない。あるいは人類や国家や社会の発展という視点で見た公共的なものなのかもしれない。あるいは相対的な、何か。

 そういうことをいろいろ見て考えてきた末、当たり前のことだけど、「アメリカだから」「洋楽だから」すごいというのは全くのウソである。

 アメリカにもくだらないものは多いし、逆に日本では海外にしっかりと誇ることのできる文化や伝統などがある。

 私は最近、そういう「本物」に触れたいと思うようになった。日本であれ、海外であれ、「本物」と言われるものに。

本物を見抜くためには

 本物を見抜くためにはどうすればよいのか。

 それは、多くのものを見て聞いて、あるいは本を読んだり(今ではYouTubeなどもある)勉強したりとにかくたくさんのことを知ることでしかそういう審美眼というものは磨けないのだと思う。失敗をすることもときには大切だ。

 例えばこんな話がある。スタジオジブリの『となりのトトロ』が好きな子どもがいて、そのお母さんが宮崎駿に「とても素敵な映画なのでもっともっと子どもに見せたいと思います」というようなメッセージを送ったら、宮崎駿はこう言ったという。
「そんなものばかりを見せていないで外に出て土でも触らせてあげてください」
 言葉は覚えていませんがそういう意味のことを言ったそうです。
 映画を作った本人が「そんなもの」と言っていたのです。
 つまり、ここでいうことは、「本物は自然の中にある」それに直に触れることが大切なのだということなのではないでしょうか。

実はある本当に素晴らしいもの

 モノの価値について考え、本質について考え、目に見えないものの価値について考えた先に、私はある一つの大切なことに気が付きました。
 それは、先ほどの宮崎駿の話の中にヒントがあります。

 もうすでにお気づきの方がいらっしゃると思いますが、「実はある本当に素晴らしいもの」それは、

 この世界

 ではないでしょうか。

 水、野菜、米、稲、トンボ、土、畑、山、木、花、虫、動物、海、魚、その他もろもろを抱える地球という星。この世界。
 そして、それを取り巻く宇宙。

 宇宙規模で見て、地球という星は天文学的確率でとても貴重な星です。

 その地球という星に生まれて、その世界を見られることって、決してお金では買うことのできないとても貴重なものではないでしょうか。
 それも、死んだらもう見ることはできないのです。

 命というものの儚さと尊さが、ようやく私にも感じ取れるようになってきました。

 さて、そう感じた私はこれからアニメのフィギュアを買うのでしょうか。あるいは「なんかおもしろそうかも」という理由だけでガチャガチャを回すのでしょうか。

まとめ

 なんだかとても長くなってしまいました。
「価値」というものについて私の見解を書かせていただきました。

 読む人にとっては「何を当たり前のことを言っているんだ」「今ごろ気づいたのか」というかもしれません。
 それでも「価値」というものについてしっかり考えることは無駄ではないと思います。

 これから私がアニメのフィギュアを買うかどうかの答えですが、答えは「買わない」です。

 要らなくなりました。子どものおもちゃを卒業したように、アニメのフィギュアも卒業です。もしかしたら私はこれから「骨董品」漁りをするかもしれません。
 だけどいずれ骨董品であっても、ほとんどのモノは本質的に価値はないものであるし、そもそものところ、「私」という小市民が価値のあるものを手にしたところで「価値のある人間」になれるわけではないので、ほとんどのモノは買わなくなるだろうと思います。

 以上、りょうきちからでした。

※アイキャッチ画像はUnsplashTingey Injury Law Firmが撮影した写真を使わせていただいてます。

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