先日、何気なく見たテレビでこんなニュースが取り上げられていた。
「電動キックボード危険運転多発」である。
前にもこんなニュースがあったよなと思いながら見ていた。
電動キックボードは、道路交通法では「原動機自転車」と同じ扱いになる。
なので、免許が必要だし、ナンバープレートも付けなければいけない。他、サイドミラーを付けなければいけないとか、歩道を走ってはいけないなど、決まりがある。
ところが、その決まりを守らない人が多いようだ。
都市部に、多く見られる。
信号を無視していたり、ナンバーを取り付けていなかったり、二人乗りをしていたり、子どもに運転させていたり、とにかくめちゃくちゃだった。
中には知らない人もいるのだろうが、違法であることを知っていて走っている人もいた。
「危なくないですか?」というテレビスタッフの問いかけを無視してその人は走り去っていった。
「どうして(警察は)捕まえないのだろう」と思うと同時に、なんだか悲しくもあり、怒りのような気持ちも湧いてきた。
こういう人たちはいっぺん事故にあって足でも失えばいい、と、私は思った。
日本は世界一平和な国だというのは幻想だったのだろうか。
毎日、何かしらの犯罪が起きている。
先ほど見たニュースでは、同棲している女性の首を絞め、殺人未遂の罪で30歳の男性が逮捕されていた。
犯罪は、どうして起こるのだろう。
普通だったら、やらない。
法に触れるからというよりも、モラルに反しているし、誰かを傷つけることなんて普通の人はしない。
どうして、犯罪は減らないのだろう。
どうして人は、罪を犯してしまうのだろう。
私には、分からないでいた。
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そういう自分はどうなのかと問いかける。
私はどうなのか。
私は、「犯罪者の心理が分からない」「どうしてだろう」なんて、偉そうなことを言っているけれど、いままでの人生、清廉潔白に生きてきたわけではない。
私も、犯罪を犯してしまったのだ。
一番古い記憶は、妹を騙して金品を得るというものだった。
まだ、金勘定ができない幼い妹の500円玉を、私は騙して取った。
私は10円玉5枚を用意して、妹に見せ、「そのコインと、こっちのコイン、どっちがいっぱいある?」と聞く。
妹は当然、5枚ある10円玉を指差す。「正解」と私は褒める。褒めたあとに、「じゃあそのコインと僕のコインをしよう」と持ちかける。
何も知らない妹は、喜んでコインを交換する。
そんなことをやっていた。
次に思い出せるのは「万引き」である。
小学校低学年の頃から私は万引きを行っていた。一度や二度ではなく、常習していた。
手口はこうである。
顔なじみの駄菓子屋がターゲットだった。
たいてい、駄菓子屋のおばちゃんは店の奥にいる。表には出てこない。そして私は顔なじみだったので信頼されていることを知っていた。
私は、500円とか、1000円で売られているペンライトなんかをポケットに入れた。その上で、10円のガムとか、適当な安いお菓子を手に取って、「おばちゃーん」と呼んで、お菓子だけ、会計をし、ペンライトを盗んでいたのだ。
そして、1000円のペンライトを同級生に500円で売ってお金を得たりしていた。
他にも、文房具なんかも万引きしていたと記憶している。
いきつけのスーパーでも何か盗んでいたような気がするけど、ちょっと覚えていない。
次に、母親のお金を盗んでいた。
これも小学生のころのことである。
タンスの中に、母親が仕事で使っていた通信教育の集金用のお財布があることを私は知っていた。
家に誰もいないとき、私はその財布を狙っていた。
そのまま全部抜き取るのではない。
お札が多いときを狙っていた。
お札が10枚近くあるときに、千円だけ抜き取る。
そういうことをしていた。
あと、ついでに兄の貯金箱も物差しとか道具を使って抜き取っていた。
どうしてそのようなことをしたのかというと、理由がある。
私は、お小遣いをもらっていなかったのだ。そのことに不満があった。
なので、母親の財布からお金をくすねていたのだ。
正当な理由だと当時の私は思っていた。
そして、兄の貯金箱を狙ったのは、常日頃兄からは日常的に力でねじ伏せられていたので、復讐心からお金を抜き取っていた。
私は、昔っから兄のことが嫌いだったのである。
ちなみにこれはバレてしまい、さんざん殴られた。貯金箱の残高をノートにつけていたことを私は知らなかったのだ。
申し訳なかったというよりも、兄の方が上手だったことが悔しかった。
私は、反省などしていない。
ちなみに、妹も兄から殴られることが多かったので、私は兄の貯金箱から抜き取ったお金を妹にあげたりもしていた。
こんなこともあった。
ある日、学校で、ひとりの女の子がキーホルダーを自慢していた。
旅行に行って、そのお土産に買ってもらったものらしい。
人だかりができていて、「いいな」とみんなに言われていた。
私はそれを傍観し、教室に誰もいないときを狙ってそのキーホルダーを盗んだ。
私は、あざとかったので、その盗んだキーホルダーをすぐに自分のものにしなかった。
教室の後ろにある大きな木の箱の下に隠したのだ。
その女の子が気づくのかどうか見たかったし、気づいたあとどうするかも観察したかった。そして、との盗難が発覚したら、クラスの問題となってしまうので、しばらく放置する計画だった。
誰もそのことを話題にしなくなったころ、ほとぼりが冷めたあとに、木の箱からキーホルダーを取って、家に持って帰ろうとしていたのである。
その日のうちに思いついた計画的な犯行だった。
女の子は、すぐに自分のキーホルダーがなくなったことに気がついた。
泣いた。
声を上げて泣いていた。
私はその女の子のそばに寄り、「どうしたの?」と聞いた。もちろん私は知っていて聞いたのだ。
事情を知った私は、「探すよ」と言った。僕は仲間だよアピールをしていた。
泣いている女の子は、今度は違う意味で人だかりができ、それはクラスの問題となった。
失くしたのではなく、盗難扱いだった。
私は冷静にことの騒ぎを見ていた。
だけど、あそこまで泣くとは思ってもみなかった。
私に罪の意識が芽生えたのか、やりすぎたかなと思ったのか、ただ単に別に欲しいものでもなんでもなかったからなのか、覚えていないけれど、誰もいなくなった放課後の教室で、こっそりとそのキーホルダーを女の子の机の中に返した。
そんなことも、あったのだ。
小学生のころの私は、生意気ではなかった。ただ、狡猾だった。
表向きは「よい子」だった。親の言うことをよく聞いていたし、きょうだいの誰よりも習い事に努めて、信頼を得ていた。ただ、内面は黒く、澱んでいた。
「よい子やってんのも疲れるんだよばーか」と思っていた。
私は自分のことを「賢い人間」だと思っていた。「頭がいい」と思っていた。そして、まわりの人間はみんなバカだと思っていたし、見下してもいた。
世界は、自分を中心に回っていると思っていた。
学校の成績は良かったし、器械体操の大会では賞を総なめした。水泳もできたし、ピアノも弾けたし、バイオリンも、ベートーベンだろうがドヴォルザークだろうがチャイコフスキーだろうが全部弾けた。女の子にもモテていた。
おそらく、思い上がりが過ぎていたのだろう。
中学に上がった私は、あれだけ常習していた盗みも、万引きもやらなくなった。
理由は覚えていない。飽きたのかもしれない。
犯罪と言えるものは、喧嘩くらいだろうか。
殴り合いの喧嘩をよくした。
私は背が低かったので、なめられた。なめられることが、何よりも許せなかった。
だけど、喧嘩が弱かったので、すべて負けた。
白いワイシャツが赤く染まる日が何度もあった。
煙草をはじめて吸ったのも中学のときだったが、私は同級生ほど吸ってはいなかった。
こんなものを吸ってかっこつけてる奴はバカだと思っていた。
高校に入った私は、盗みもせず、万引きもせず、喧嘩もしなくなった。
ただ、いっとき、「のぞき」にはまっていた。
双眼鏡を持って、とにかく高い場所に行き、窓という窓を覗いていた。
なんでかは、知らない。
ときどき、煙草を吸うようにもなった。酒はやらなかった。
大学生以降、私は何かやっただろうか。
ああ、ストーカー的なことをやっていた。
あとをつけるとか、ゴミを漁るとかではなく、「待ち伏せ」と「鬼電鬼メール」だった。
当時付き合っていた彼女が、連絡をよこさなかった時に、よくそうしていた。
約束をしていたのに、ちっともこなくて、家まで行った。留守だった。電話をしても出ず、メールの返事も返ってこなかった。
5分おき、どころじゃない。電話をかけては切って、かけては切ってをくりかえし、鬼のようにメールを送っていた。内容も、わけがわからなかった。
どうしたの? なんで? いい加減にしろ! ごめんね 腕立て伏せやるね ねえ、返事よこしてよ。 寝てるの? おい! もう! なんなん? ありがとう 好きー
いま思えばまったくどうかしていた。
彼女の家の前で待っていたら一台の車がやってきた。私と仲のよかった先輩の友だちの車だった。その車の助手席から、彼女は降りた。
修羅場である。
私は、その先輩の友だちとやらと、喧嘩をしようとしたが、やめておいた。負けることがわかっていたし、それよりも、二股をかけられていたことにショックを覚え、黙って帰った。
そのときはじめて、「恋は盲目である」ことを知り、世にはびこる「ストーカー」の気持ちが少し分かった気がした。
ストーカー気質は、なかなか治らなかった。
別の彼女とも、こんなことがあった。
ある日、彼女と口論になり、彼女が家に帰ってしまった。鍵をかけられ、電話も出なかった。
夜だった。彼女はアパートの2階に住んでいた。
私はとにかく話がしたかったので、そのアパートの裏手にまわり、雨樋をよじ登って彼女の部屋の窓を拳で叩いた。
いま思えば異常である。
彼女は窓をあけ、呆然と私を見ていた。何をしゃべったのか覚えていない。
私は彼女と話したい一心だった。そして、「こんなにも君のことを想っていることを知って欲しい」と強く思っていた。
それが愛情だと思っていた。
いまではそんなことはないが、20代前半の私は、そんな人間だったのだ。
犯罪の話に戻ろう。
他にも私はやっている。
夜の仕事をしていたときだ。
私は、表面上お店の責任者となっていた。警察署に届出に行った。私の上司が前科があったから、私は代わりに責任者となっていた。
そこで、私たちのお店は、風俗営業法を違反して営業していた。
違反していたのは、「営業時間」だけだ。あ、あと未成年者の飲酒もやっていたかもしれない。
まあ、それは私の意思ではなく、上司の命令だったので私は従わないわけにはいかなかった。
私が犯した罪は別だ。
ある日、会社のイベントか何かで女の子たちに賞金が配られた。それを管理するのは私の役目だった。
ノートをつけていて、どうしても「お金が余る」ことを私は知った。
それを知っているのは私だけだった。
バレたら半殺しにあうことは分かっていたけれど、その当時の私は借金まみれだったので、とにかくお金が欲しかった。
そして、私はその「浮いたお金」を着服したのだ。
3万から5万円くらいだったと思う。
バレはしなかった。
他に、仕事上で罪を犯したのは、古着屋で働いていたときのことである。
私が働いていた当時、有名ブランド品の買取は行っていなかった。
ある日、大量の買取品がお店に運ばれてきた。父親らしき人物が、娘が大量に購入したらしいものを全部集めて持ってきたのだという。
「娘は病気なのだ」とその父親らしき人物は言う。
その中に、大きなヴィトンのバッグがあった。
「買い取れません」とお店側は言ったが、その父親らしき人は「処分してください」と言ってきかなかった。
なので、いろんな買取品の中に、そのヴィトンのバッグが混ざり、商品に出せなかったので、「処分品」として裏に置かれた。
そして、私はそのバッグを家に持ち帰ったのだ。
持ち帰り、家から遠く離れた「買取ショップ」へ持っていき、10万円を手にした。
振り返ってみれば、私は多くの犯罪に手を染めていたように思う。
思っていたよりも長くなってしまった。
読む方も疲れてきたと思う。
他にもあったと思うが、思い出せるのはこれくらいである。
自分のことを振り返り、どうして人は罪を犯すのかについて考える。
理由のひとつは、金銭面の問題である。
貧困だとか、困窮だとか、借金だとか、である。そこから、犯罪を犯してしまう。
もうひとつ、それは「自己中心的な考え」だと思う。
私は、自己中心的な考えの持ち主だった。
だから、社会を憎んでいたし、社会をバカにしてもいた。
まわりの人の考えなんてまったく汲んでもいなかった。
ストーカーもそうだし、DVもそうだ。他の犯罪もそうだと思う。
あとは上司からの命令など、止むにやまれぬ事情があり、違法なことをしてしまうことである。
冒頭にあげた電動キックボードの危険運転をしている人たちは、まわりのことなんて、ちっとも考えていないのだろう。
危ないだけでなく、事故を起こした例もある。
今日、私は自分がやってきたことを吐露して、懺悔がしたかったのではない。
なぜ人は犯罪を犯すのかについて考えたかったのだ。
もちろん、私のしてきたことは、許されることではないし、十分な罪だと思う。捕まってもおかしくない。
もうしないことをここに誓います。
だけど人は、ときと状況によっては、善悪の判断がつかなくなることを私は知っている。
最後に、「不思議な犯罪」について触れる。
それは、「A級戦犯」というものである。
A級とあるので、他の級もあるのだと思うが、よく聞くのは「A級戦犯」である。
東条英機が真っ先に浮かぶ。
子どものころは、「なんてひどい人間だ」と思っていたが、大人になってから、少し考えが変わった。
東京裁判は、戦争に勝った国が、戦争に負けた日本を勝手に裁いているだけである。
GHQが裁いたのかな? 連合国が裁いたのかな? (無知で申し訳ないけど)。
戦争はもちろんよくない。
だけど、あの時代、あの世界情勢の中で、日本は戦争を回避できたのだろうか。
武器を持たず、どの国とも争わず、外交ができ、国の存続ができたのだろうか。
不可能だと思う。
細かい事情は知らないけれど、戦勝国が敗戦国を裁くのは間違っていると思う。
アメリカの大統領は裁かれないのか?
なぜ戦犯者は戦犯者になったのだ?
ちょっと、よく分からない。
真実を知るためにも、私には勉強が必要だ。
そういう、よくわからない「罪」も、世の中にはあるということを知っておきたい。
そして、私の好きな言葉を最後の最後に言う。
それは、「罪は裁けど人は裁くな」である。
誰にだって、間違いを犯す可能性は持っている。
大切なことは、その人を裁くことではない。
その罪を裁くことだ。
「そんな人間はいっぺん事故にあって足でも失くしたらいい」と言った私が言えることではないのかもしれないが、私はそう思う。
長い長い記事に付き合ってくれてありがとう。
今日はここまで。
また明日✩
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