ぐっと疲れたよ。
なんだか疲れるのなんて久しぶりな気がする。
今日はアルバイトでの勤務一日目でした。
イタリアンレストランでのアルバイトです。
デザートを作るポジションなのですが、ホールも任されるそうで、まずはホール業務から覚えていこう、ということでした。
11時半からの勤務です。11時過ぎにお店に到着しました。
緊張はしていません。でも、余裕というわけでもありませんでした。
どのように挨拶しようかと考えていました。とりあえず、「おはようございます、よろしくお願いします」でいこうと決めました。名乗るべきかどうか迷いましたが、そこはその場の空気に任せるとします。あとあと再び挨拶はすると思ったので。
駐車場に車を止めて裏口へ向かっていると声をかけられました。面接をしてくれたマネージャーでした。「俺もすぐに行くから」知っている顔を見るとほっとします。
裏口から入る。
すぐにキッチンに出る。3人、人がいました。「おはようございます。よろしくお願いします」と挨拶をします。
パントリー、というのでしょうか、そこに黒い服を着た女性スタッフがいました。こちらを見て「ああ!」というような顔をしました。挨拶をします。
すると、「そのうちマネージャーも来ると思うから」と言われ控え室へ案内されました。控え室は二階にあります。
階段を上がると、新しいシャツとサロンと頼んでいた靴を渡されました。受け取ります。
「左側が男性更衣室、右側が女性更衣室」そこまで言うと下からマネージャーがやってきました。そのあとはマネージャーに案内されました。
「更衣室、5番のロッカーが空いてるから使って」
「はい」
ズボンとシャツは家で着てきたのであとはサロンを巻いて支給された靴に履き替えるだけです。ロッカーに荷物を詰めてサロンを腰に巻く。バッグからメモ帳とボールペンを2本取り出してポケットに入れる。書類を持ち出そうか少し迷ったが持ち出すことにした。
「煙草、吸います?」
「はい」
「控え室は煙草吸ってもいいから」
「はい。あ、必要書類です」
必要書類を取り出し、分からないところを聞いて書き加えました。
「左利きなんだ」
「はい」
「ここらへんにみんな煙草とかスマホとか置いているから」窓辺を指し示されました。確かに、いろいろ置かれている。もう一度更衣室へ戻り、バッグから煙草とライター2つとミンティアとペットボトル入りのお茶を取り出してきて窓辺に置いた。
「あ、煙草吸っていいよー」
「はい、失礼します」煙草を取り出し火を点ける。
「仕事してると煙草止められないよねー」
「そうですね。仕事してなくても止められないですけど」
「ははは。煙草も値上がりしたよね。うち、2歳の子どもがいるんだけど、いろいろお金かかるからそろそろ煙草止めなきゃなとは思ってるんだけどなかなかやめられない」
控え室で煙草を吸えるのはありがたい。今時珍しいと思った。大抵のお店では外で吸うのが最近の風潮だ。
煙草を吸い終えて、少し雑談していると時間になった。
「そろそろ行きますか」
「はい」
一階へ降りる。
一人一人のスタッフを紹介してくれた。そのおかげでしっかりと自分の名前を名乗ることができたし、落ち着いて挨拶もできた。こういうことをしてくれるとほんと助かる。場所によってはそういうこともしてくれなくて、困ることがあるのだ。
「えりさん。僕が社員でえりさんが準社員。何かお客様からクレームなんかがあったりしたら僕かえりさんに言って」
「はい」
先ほどの黒い服の女性スタッフが準社員のえりさんだった。
「名前はなんていうの?」とえりさんが聞く。
「勝馬です」
「勝かぁ。かっさんはいるからなー」とマネージャー。
「下の名前は?」
「将太です」
「じゃあ、しょう君ね」呼び名が決まった。どうやらえりさんはスタッフのことをあだ名で呼ぶということが分かった。
そのあとキッチンのスタッフにも挨拶をした。
「ムサシさんは幾つだっけ?」
「37っす」
「じゃあ勝馬さんがいっこ上?」
「もうすぐ38っすね」
「じゃあ同い年だ」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
一通り挨拶を終えると勤怠の打ち方を教えてもらった。タブレットで出勤と退勤を押すようだ。
それが終わると、洗い場を教えてもらった。
「飲食店の経験があるなら食洗機の使い方も同じだよね」
「はい」
一通り流れを教えてもらう。
「洗い上がったものは……」様々なお皿の定位置を教えてもらう。
そのあとシルバーを拭くことを教えてもらった。
「あ、言い忘れた。テーブルなんだけど」マネージャーについていくと、壁に貼られた店内の図を見せてもらった。テーブル番号がふってある。
「それで……」ホールを案内され、各テーブル番号を教えてもらう。
「まずは、そんな感じかな」
「分かりました」
早速洗い場に向かった。特に困ることはない。下がってきた食器類を軽く流し、専用のカゴに並べていく、食洗機にかけて、洗い上がったものは定位置に置いていく。シルバーが溜まればシルバーを洗い、フキンで拭き取る。それでシルバーセットを作る。下げ場にお皿が溜まって下げられないようになると困ると思ったのでお皿の量を見てシンクに溜めたりすぐに洗ったりと工夫してやった。
しばらくそんなことをしていた。様々な音が飛び交う。様々な声が飛び交う。賑やかだ。「いらっしゃいませー」という声が聞こえたので、「いらっしゃいませー」と言ってみた。そういうのが大事だ。
シルバーを拭いているとえりさんがやってきた。
「まだ何も分からないと思うけど声を出すことは出来ると思うの。『いらっしゃいませ』と『ありがとうございます』だけは言えるようにしよう」
「はい」
やはりそういうことが大事だと思った。積極的に声を出す。するとマネージャーに呼ばれた。
「ここでお冷を作ります」
右側にグラスが並べられていて左側に氷の入ったお冷が並べられている。その横には水を入れてあるステンレス製のピッチャーが2つあった。
「製氷機はここにあるから、氷を入れて、水を用意しておく」
「はい」
製氷機から氷をスコップで掬い、グラスに入れていると、「もっとばーってやっていいよ。ここにトングがあるから、ばーってやって、細かいのをこれでいれていく。その方が早いよ」と説明された。言われた通りにやる。
お冷を作っていると、女性スタッフから「○番と○番に2つずつ」と言われた。どうやらお冷を持っていくらしい。
丸いトレーにお冷を4つ載せて先ほど見たテーブル番号を確認する。お冷を持っていく。
お冷を持っていった際にオーダーを言われたらどうしよう。そんな不安があったけれど、そうなったら「少々お待ちくださいませ」と言って先輩たちに伝えればいいや、と思った。と、いうか、それ以外ない。
言われたテーブルに近づく、テーブルより少し前で立ち止まり、会釈をして「失礼します」と声をかける。お客様一人一人に「失礼します」と言ってお冷を置いていく。上座や下座を意識しつつ、基本はレディファーストで置いていく。お冷のグラスに触れる際は口をつけるところには触れないで下の方を持つ。そういったことは、教わったわけではないけれど経験上自然に出来る。立ち去るときも一歩下がってから止まって会釈をして「失礼します」と言う。
持っていったテーブルの番号を頭の中で何度も復唱する。覚えるためだ。
パントリーに戻り、お冷を作る。作っていると、「○番に○個」と言われるので持っていく。
手が空くと、洗い場に戻り食器を片付けていく。ここまでは問題がなかった。
問題が起こったのは洗い上がった鉄製の調理器具の置き場が分からなかったときだ。
キッチンの奥の、似たようなものがあるところにそれを置いてみた。しっくりこない。少し形が違うからだ。少し困って、とりあえず一番上に置いてみた。すると、背中から声がかかった。
「危ない」振り返る。キッチンのスタッフ。50代くらいのおじさんが険しい顔でこちらを見ていた。
「それはそっち」僕が置いた場所より少し右側のところを指し示された。言葉は続く。「容器は大きいものを下にして重ねていって。じゃないと危ない。分からないのは当たり前なんだから、分からないことはちゃんと聞いて」
「はい」言われたことを承知した。これからは分からないことがあったら聞こうと決めた。もちろんそんなことは当たり前なのだけれども、なんでもかんでもいっこいっこ聞くわけにはいかない。言われたことをやり、自分で考えて、それでも分からないことがあったら聞く。ただ、キッチンのスタッフは少し距離が離れている上に忙しそうなのでなかなか聞けない雰囲気でもあったのだ。でも、キッチンのスタッフが「聞け」と言ってきたのだから、遠慮なく聞こう。そう決めた。
注意されたのはそれくらいである。
あ、あとひとつ、ちょっとヤバイことがあった。
お冷を作っている時に、他のスタッフからバババと言われ、お冷を持っていくということは分かったけど認識する前にそのスタッフが去って行ってしまったので焦ってしまった。「え、何?」である。でもまだスタッフの名前も覚えていなくて呼ぶにも呼べなくてどうしようと一瞬困ってしまった。
ありがたいことにすぐにマネージャーがやってきて「え? ご新規さんどこ?」と聞いてくれたので助かった。それはマネージャーが行ってくれて、僕は23番テーブルにお冷を6つとお子様用の取り皿をひとつ持っていくだけで済んだ。
一度だけお冷を持っていった際に「注文いい?」と聞かれたけれどそこは落ち着いて頷いてから「はい。少々お待ちくださいませ」と言って近くに居たマネージャーに伝えたので問題はなかった。
それにしても、忙しい!
平日のランチだったが、予想以上に忙しかった。体を止める時間なんて一時もなかった。
「疲れた?」と声をかけてくれるスタッフも居た。「大丈夫です」と嘘をついた。正直、ちょっと疲れている。時計を見ると、2時だった。あと2時間ある。
マッサージをしているときは一時間なんてあっという間だけど、今日はなんだかちょっと感覚が違う。あっという間感はない。長いわけではないけれど。
それからバタバタ自分のやるべきことをやっていた。
落ち着いてきたのは3時を過ぎてからだろうか。シルバーを拭いていると声をかけられた。
「飲食店の経験あるんですか?」
「はい」
「どこで? どれくらい?」
「いろいろ…、沢山です」いろいろ、という答え方は良くないとは知りながらも僕が経験してきた飲食店はひとつやふたつではなかったのでそう答えた。
「そっかぁ。じゃあすぐに出来そうだね。いらっしゃいませとか言ってくれて凄いなって思った」
「そうそう。この前は若い高校生の男の子がいて、まずはそこから教えなくちゃいけなくって大変だったけど」とマネージャーが言う。
どうやら褒められているようだったので良かった。
いろいろと細かいことはあったけれど順調に仕事をすることができた。
上がり時間の4時くらいに、ちょうど洗い場もすべて片付いていた。えりさんがやってきて「あ、4時だね。上がって」と言ってくれた。
タブレットを前にしたけれど、タッチしても点かなかったので聞いてみた。「あ、これはね。ここを押して、画面をスライドさせると……」えりさんが教えてくれた。退勤ボタンを押す。
「それではお疲れ様です」
「お疲れ様ー」
あ、と思い出し。テーブル番号が書かれた図をメモ帳に書き記した。次の出勤日までに覚えておかなければならない。
二階に上がると、マネージャーとムサシさんが居た。ゲームをやっているようだ。「お疲れ様です」と声をかけてから更衣室へ向かう。
荷物をすべて持って控え室に戻る。煙草を取り出し火を点ける。
少し話しかけられた。
「これから、家事ですか?」
「はい。とりあえずニワトリを小屋に入れます」
「ニワトリを飼っているなんて珍しい」
雑談をする。
「家まで1時間くらいするんだってね」
「はい。だいたい」
「どこなんですか?」
「伊豆です。修善寺よりもう少し先の」
「中伊豆ですか?」
「ですかねぇ。天城です」
「天城かぁ。素通りしたことしかない」
そんな話をしているうちに煙草を吸い終えた。丁寧に消す。
「それではお先に失礼します」
「はい。お疲れさまー」
階段を降りる。パントリーのところにシフト表が貼られていたのでそれをスマホで写真に撮った。
キッチンには例の注意してくれたおじさんスタッフさんが1人だけ居た。
「それではお先に失礼します」と丁寧に挨拶をした。
「あい。お疲れー」
「お疲れ様です」
裏口から、出る。雨が降っていた。
駐車場に止めていた車に乗り込むとどっと疲れを感じた。
「ふう」
振り返る。
初日としては悪くなかったと思う。どうやらいつもはこれほど忙しくはないみたい。「今日は入りが多いっすね。初日からこれだどエグい」とムサシさんが言っていた。
その言葉に少し安心した。
早く仕事を覚えて慣れたいと切実に思う。でもそれには「分からない期間」は避けて通れない。分からなくて自分で判断できないというのは不自由だけれども、まわりの先輩たちも悪い人たちではなさそうだったので大丈夫だろう。
しっかりと「戦力」になるには、何日かかるかな。
頑張ろう。
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