朝起きて、髭を剃る。
剃ったあとに鏡を見て、「うーん。今日もいけちゃんめんちゃんだなあ」と心の中で呟く。
実際にイケメンかどうかは問題ではない。自分で自分のことを認めることが大切なのだ。
女の子だったら朝鏡を見たら「今日も可愛いね」と言って微笑んでみるといい。女の子は笑っているときが一番可愛い。
毎朝髭を剃るたびに僕は幸せに包まれる。そこに、人生で幸せになるための一番簡単な方法が示されているように感じた。
なぜ僕は毎朝幸せなのかというと、使っている電気シェーバーが「お気に入り」だからだ。
ブラウンの、電気シェーバー。
ドイツ製のBRAUN Series3 ProSkinというものを使っている。
これがとても良い。
剃っている感じがしなくて、ただ肌を撫でているような感覚でシェーバーを滑らせていると綺麗に剃れる。つるつるになる。
お気に入りだ。
前のシェーバーもその前のシェーバーもそこまでお気に入りにはならなかった。
ただ必要だから持っていて、特にそれが気に入っているかどうかなんて考えてもいなかった。
だけど、それが大事なんだと最近わかる。
人生で幸せになるための一番簡単な方法は、お気に入りに囲まれることだ。
自分のお気に入りで生活のすべてを満たす。すると、幸せになれるのだ。
だけどそのためには、ちょっとした知識も必要になる。
知識がないと恥をかく。
僕自身がかいた恥を少しお話します。何かの参考になると思う。
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いまはどうかは知らないけれど、とにかく昔の僕はダサかった。
ファッションに関しても、音楽や書籍に関してもとにかく無知だったのだ。
興味がなくて、関心も持たず、疎かったせいもある。
例えばファッション雑誌なんて読んだことがなかったし、「そんなものを読んで自分の買うものを決めるなんてダサい」とさえ思って軽蔑していた。
だが、無知は恥なのである。
それはキャバクラで働いていた20代前半のころだった。
上司と、同僚から「ポッター、正直言うけど、ダサ過ぎんねん。そんなんやったら女の子は誰も付いてこおへんで」と言われた。(その当時、メガネを掛けていたという理由だけでポッターと呼ばれていたのだ。もちろん『ハリーポッター』のポッターである)。
ファッションに関して無頓着で無関心だったが、ダサいとは思っていなかった。
ところが二人して僕のことを馬鹿にしていた。
だけど僕は素直な子なので、話を聞いてみた。
「まあ、説明するのは難しいけど、とにかくダサい。今度給料が入ったらスーツを買いに行こう」と言われた。
そしてお給料が入り、上司と同僚が僕を連れてスーツ屋さんに連れて行ってくれた。
そこでコーディネートしてくれたのだ。上から下まで。
鏡を見て驚いた。
「やべえ、これはモテるかもしれない」と、僕は驚愕した。
そして、いままでのスーツが酷くダサく思えた。ちなみに、それまで着ていたスーツのメーカーは「カネボウ」である。
少し、ファッションに目覚めた僕は時計も変えることにした。
いままで使っていた腕時計は高校の頃にテニスの審判をするときに必要だからといって買った3000円のアルバの時計だった。
ちょっといいものを買おう、と、僕はいろいろお店を見て回った。
そして僕は2万5千円の腕時計を買った。
きっと褒めてもらえると僕は思っていた。お洒落な時計を買って気分も高揚していた。
翌日、職場で上司と同僚に時計を見せびらかした。
そしたら、ゲラゲラ笑われた。
「ポッターうける。無知にも程がある。ちょっと見てみぃ」
同僚が嵌めている時計を見せてくれた。それはそれでお洒落だと思ったけど、いったい何がそんなにおかしいのか分からなかった。
「ちょっと並べてみ」
並べてみた。
左が僕が買った時計で、右が同僚の時計である。
「それ、いくらしたん?」と聞かれたので、「2万5千円です」と答えた。
「あほやなぁ。それ、パチもんやで」
「え!?」
意味が分からなかった。
「フランクミュラーのパチもんや、それ。デザインがまんまやん」
見比べてみると、確かに似ていた。だけど、それはそれでかっこいいことに変わりはないのではないかと僕は思っていた。
「どこで買ったん?」
「ドンキです」
再び笑われた。
「あほやわ。フランクミュラー知らへんの?」
「知らないです」
同僚が持っていた時計はフランクミュラーの「カサブランカ」という時計で、100万近くするものだった。
「100万!」僕は目が飛び出るかと思った。
で、でも、僕だって2万5千円もしたし、それくらいの価値はあるのではないかと反駁した。
「ない」と二人して首を横に振った。「むしろ前のほうが良かったで」とまで言った。
なんと、2万5千円の時計より3000円のアルバの方がいいなんて……。
なんというか、悲しい気持ちになった。
昨日、ドンキホーテで買ったときのわくわくした気持ちがすべて灰になって消えた。
だがそこで、僕は「物の価値とはなんなのか」について少し学んだと思う。
そう、無知は恥なのだ。
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今度は逆に、高価だが価値のないものについて話したいと思う。
僕は一時期、こんな車に乗っていた。
セルシオである。高級車だ。
その前に乗っていた車はホンダのライフである。(その前はダイハツのミラだ)。
どうして軽自動車からいきなり高級のセダンに乗り換えたのかというと、貰ったのだ。
そんな、わらしべ長者みたいな話が実際にあるのである。
それは僕が出張ホストをやっていたときのことだ。
あるときオーナーから、「慎(源氏名)、車交換しない?」と持ちかけられた。
え? と思った。だって僕軽自動車のライフですよ。
だがオーナー曰く、「慎にはハクがない。だから車変えよう」だ、そうだ。
ライフがセルシオに変わるなんて、素晴らしいと僕は二つ返事で承諾した。
うきうきである。
実際に乗ってみると高級車とはなんなのかが分かる。
車内の設備が違うし、椅子も細かく動く。エアサスまで付いている。
そして、煽られない!
加速もすごかった。
しかしその後僕は痛い目を見ることになる。
まず、乗ってすぐに、TSUTAYAに行ったときのことだ。
車高が低いので運転には気をつけていたが、車止めにリアバンパーが引っかかってしまい、それを無理に外そうとしてバンパーが取れてしまったのだ。
えまじで! と、叫んだ。
だが、もう遅い。取れたバンパーは元に戻らない。
急にダサくなってしまった。
ヤフオクでリアバンパーを探して注文したけれど、「取り付け部品」がなかったのと、工賃を払うお金がなかったので、付けられずにいた。
どうしたのかというと、取れたバンパーを黒いガムテープで固定することにした。
ダサいが、仕方ない。遠くからは分からない。それで誤魔化した。
痛い目はまだまだ見る。
その日、スーパーに買い物に行こうとしていた。アパートから出て、前の道を左に曲がる。
いつもならスムーズに行けるのだが、その日は反対車線が混み合っていて大きく曲がることが出来なかった。
なので小さく曲がった。
すんごい音がした。
ガリガリガリと、鉄の柵に反対側のドアが削られるのが分かった。
分かったときには遅かった。
「スーパーになんか行きたいと思わなければよかった」と後悔してももう駄目だ。傷は消えない。
板金屋に行くお金がなかったので、マッキーで塗った。
そして最大に痛い目にあったのは、税金である。
翌年、とんでもない額の税金が請求された。
払えなかった。
そのときになって初めてオーナーの意図が分かった。
売上も落ちていたお店。オーナーをやりつつ工場に働きに出ていた現状。車。
僕は馬鹿だった。
そしてそのすぐあとにセルシオは故障しだした。
タコメーターが右に左にブンブン動き、パワステが壊れ、どうにもならなくなった。
窮地に立たされた僕はセルシオを廃車することにした。
2万円で買ってくれるという外国人がいたのだ。
藁にも縋る気持ちでマセル(という外国人)にセルシオを渡した。
そもそも、僕はセダンが好きではなかったのだ。
運転しにくいし、自分に向いていない。軽で良かったのだ。身の丈に合っていないものを手にしたがために、僕は痛い目にあったのだ。
勉強になった。
高価だからといって価値のあるものでもない。僕にとってあのセルシオは高級車でもなんでもなく、ただの金食い虫だったのだ。
物の価値とは絶対的なものでも、相対的なものでもなく、主観的なものなのだ。
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最後に、ブランドについて話そう。
ある日、バイト先で女の子と雑談をしていた。
その女の子は気になる男性がいて、先日腕輪をプレゼントしたらしかった。
「ディーゼルの腕輪をプレゼントしたの」と彼女は言った。
「へー、その人エンジンが好きなんだね」と僕は答えた。
彼女は首をかしげてしばし黙った。
僕の無知はまったく変わっていなかった。
ちょうど、別の仕事を探していた僕はファッションを主に扱うリサイクルショップに面接に行った。
『万能鑑定士Qの事件簿』という小説に影響されていたところもある。
そこで、その女の子との雑談エピソードを手記にして書いて見せたのだ。
店長は笑い、「詳しくなりたいんです」という僕の意思を買ってくれて採用となった。
ファッション。それを仕事とするからには、無関心とか無頓着ではいられない。
お店の控え室にはファッション雑誌が発売と同時に置かれ、僕は勉強をした。
自分が着たいと思うものだけでなく、様々なジャンルのものも、レディースも勉強した。
そして、「自分はダサくて無知でセンスがない」ことを認めた。
この、認めるということが大切なのだ。
まずは、自分の服を先輩にコーディネートしてもらい買い揃えることから始めた。
段々と、ファッションやブランドについて分かるようになった。ディーゼルがなんなのかも分かったし、同僚の女の子が呆れていた理由も分かった。
しばらくして、店長や先輩から「かつまてぃはどんなブランドが好き?」と聞かれ、「ラルフローレンですかね」と答えられるようになった。
なんとなく、自分の好みが分かるようになった。
アメカジやカジュアル、シンプルな装いを好むようになった。決してよく分からない英語の羅列がプリントされたTシャツなどではない。
「いやあ、面接に来た時は正直ダサかった。ま、いまでもダサいけど」と店長は僕をネタにするが、僕も少しは成長したと思う。
そのころからだろうか、「物の価値」について自分の「物差し」が出来るようになってきたのは。
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そう、大切なのは自分の中に「物差し」を作ることである。
その物差しで測って、気に入ったものが、「お気に入り」になる。
まわりに流されてはいけないが、無知でもいけない。
常に学び、自分の物差しを研鑽させることが肝要だ。
本当は、マンガや小説や音楽についても語りたかったが、文章が長くなってしまうので割愛する。
僕は少しずつ、自分の「お気に入り」を増やしていっている。
シェーバーにしろ、生活用品にしろ、車にしろ、服にしろ、文房具にしろ、あるいは付き合う人にしろ。
そして、自分のお気に入りは時の経過と共に変わっていくので、要らなくなったものは処分するなり売りに出したりして取捨選択していく。
そうすると、だんだん、「お気に入り」だらけになっていく。
それはつまり、だんだん幸せに近づいているということだ。
自分の周りがお気に入りだらけになると、それだけで満たされた気持ちになる。
仕事やプライベートで何かがあったとしても、些細なことなら気にならなくなる。
守られていると感じるからだ。
誰かが自分を幸せにしてくれるわけではない。自分を幸せにできるかどうかは自分次第だ。
僕の中で、幸せ論はいろいろあるけれど、今日は一番簡単な方法を紹介した。
いま、幸せを感じていない方、何か物足りなさを感じている方、自分の周りを「お気に入り」だらけにすることで、幸せは舞い込んでくる。
時間がかかるかもしれないが、それもまた楽しみのひとつとなるので、是非試してみるといい。
長くなったけれど、それが人生で幸せになるための一番簡単な方法だ。
僕はまた明日、鏡を見て「いけちゃんめんちゃんだなあ」と思うことにする。
ブラウンのシェーバーは充電完了済みである。
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