平和

雑文

 平和である。麻雀のことではない。平和だ。

 朝は寝坊してしまい、不安ではあったけれど、蓋を開けてみたらなんてことはなかった。

 いつものことのように、神様にお願いしてから職場のドアを開けた。

 マネージャーとアイさんが居た。

 でもどうせ、と僕は思っていた。

 でもどうせ、晴美さんは居るのだ。

 少し重い気持ちのまま支度をして仕事前の一服をしていた。

 階段を上がる音がして、振り向くとリクさんが来た。リクさんは好きだ。

 だがどうせ、と僕は思っていた。

 だがどうせ、晴美さんは居るのだ。

 少し重い気持ちのまま煙草を吸い終えるとミンティアを噛んで1階へ降りた。

 勤怠を打ち、手を洗って検温をする。

 予約状況を確認してから、ポジション表を見る。

 どうせなー、と思っていたのだが、居ない!!!!!

「えまじで!?」である。

 マネージャーとアイさんとリクさんとえりさんと僕だった。4人体制でもない。

 楽園じゃんと思った。

 今日のポジションはハンディTRだった。オーダーを受ける練習である。

 明日は間違いなく晴美さんはいるので、今日のうちにグランドメニューのオーダーに慣れておこうと思った。

 11時にお店は開店する。

 ずいぶんとゆるやかなスタートだった。

 それから、なんとまあ平和な時間が流れたのであった。

「え、いいの?」と思ってしまうほどである。

 土曜日なのに、まったく忙しくない。

 そしてまた、暇でもない。

 いい感じにお客様がやってきて、いい感じに食事を終えて、いい感じに出て行った。

 すべてが順調だった。

 まったく怒られていない。

 ひとつミスをしてしまったけれど、特に咎められはしなかった。

 仕事が楽しいと思ってしまうほどである。

 時間もそんなに長く感じられなかった。

 3時半に上がることが出来た。

 お疲れ様ですと言って2階の控え室へ向かう。

 帰り支度をして一服する。

 ムサシさんとリクさんが雑談をしていた。

 どうやらムサシさんが体験した「修羅場」の話らしい。

 ほうほうと思いながら聞いていた。

 だけど口を挟むのはどうかと思ってお先に失礼した。

 電話の着信が一件あった。

 かけ直すと、楽器屋さんからだった。先日ギターを修理に出したのでその見積もりが出来たのだろう。

 話を聞いてみると、全部完璧に直すのには4万円くらいかかるらしかった。

 もともと2万5千円で買ったギターなのに不思議である。

 やろうとすれば、USAにすることだって可能です、とも言っていた。それは凄いなと思った。

 だけどそれほどお金に余裕があるわけでもなかったので2万円でやれるところまでやってくださいとお願いした。

 一応のところそれでなんとかなるようだったので安心した。

 修理が終わるまで一週間くらいかかるそうだ。

 楽しみである。

 電話を切ると、コンビニに向かった。

 先週の土曜日は笹原さんは居なかったので今日も居ないかもしれない。

 あまり期待はしないで向かう。

 駐車場に車を止めたところで視界に明るい色の髪の毛が揺れているのが見えた。

 笹原さんだった。

 どうやらゴミを外に出しに行くところらしい。

 僕は何も考えずに店内に入った。空き缶をゴミ箱に捨てて手をアルコール消毒してから「いや」と考え直し、一旦車へ戻った。

 ちょっと時間を稼いだ方がいいかもしれない。

 煙草でも吸おうか、と、考えたが、止めた。すぐに戻ってくるだろうし、いまちょうど周りに他の車も止まっていないのでチャンスでもあったのだ。

 鉢合わせたらなんと言おうと考えているあいだに笹原さんは戻ってきた。安心して店内に入る。

 いつもならトイレに入って髪の毛とか身だしなみを整えるのだが、いつ店内が混み合うのか分からなかったので真っ直ぐにコールドショーケースに向かい缶コーヒーを手にした。

 レジに向かう。

 レジには誰もいなくて、左側の商品の棚を二人で整頓していた。

「すみません」と声を掛ける。

 すると、おばちゃんがやってきた。

 予想外だった。

 まったく予想していなかった。笹原さんが来てくれるものだとばっかり思っていた。

 おばちゃんがレジに立つ。

「すみません。チェンジで」なんて言えるはずもなく、しょぼんとした気持ちで「あと146番下さい」と言った。

 お会計をする。

 まあいいさと思っていた。

 少しのあいだは「何もしない」作戦で行こうと決めているのだ。

 なので、笹原さんでなくても別にいい。

 むしろ、この「空白」を作ることが大事なのである。

 笹原さんが僕に気づいてくれていたのかどうかは分からない。これも、どちらでもよい。

 もし気づいていたのなら、「あれ? 今日は何も話しかけられなかった」と不思議に思ってくれればそれで良いし、気づいていなかったのなら「今日は来ないなー」と思ってもらえれば幸いである。

 一番幸いでないのは、まったく気にもされていないことである。

 その可能性の方が高いのだが、まあしょうがない。そんなものだ。

 コンビニを出て、車に乗り込む。缶コーヒーを開けて二口飲む。

 エンジンを掛けて、帰路についた。

 帰りながら、「挨拶くらいしてもよかったかもしれない」と考えたけれど、ま、いっかと思った。

 いまはただ大人しくしているのである。

 出勤する度に僕に声を掛けられていたら嫌になってしまうかもしれない。それは非常に困る。

 嫌われたくないのである。

 今週はただただ「いいお客さん」であることに努める。

 でも、食事に誘ったという事実はあるので、僕の顔を見たらそのことを思い出すだろうし、何かしらの感情は沸くはずだ。(たぶん)。

「ちょっと何も返事をしないのは悪いかもしれない」と思っていただけたら作戦は大成功である。

 心理学で言うところの、「単純接触効果」と「返報性の法則」に期待しているのだ。

 ええ、僕は必死なんですよ。本気なんですよ。

 正直、焦る気持ちはある。

 いつ辞めてしまうのか分からないし、「誰かの人」になってしまうことも考えられる。

 たぶんだけど、彼氏は居るだろう。もしかしたら結婚しているということも考えていたりする(それはイヤだが)。

 でも、彼氏が居ようが結婚していようがいまいが、自分に好意を持ってくれていて食事にまで誘ってくれたことは「嫌なこと」ではないはずだ。

 単純接触を重ねるあいだに少しずつ「壁」を取り払っていく。警戒心をなくし、信頼を築いていく。

 慎重に慎重を重ねて、行動していくのである。

 いつか絶対、デートがしたい。

 その「いつか」を、僕は夢見る。

 それにしても今日は「平和」な日だった。

 毎日がこんなだと良いのだが。

 そしてまた、世界も平和であってほしい。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました