冷静と情熱のあいだ

雑文

 神様にお願いしてから職場のドアを開けた。

 アイさんは居ない。マネージャーとえりさんが居た。

 昨日は楽園だったけれど、流石に今日もというわけにはいかないだろう。

 2階の控え室へ行く。

 カバンから必要なものを出し、腰にサロンを巻く。

 煙草に火をつけて、仕事前の一服をする。

 階段を登ってくる音がした。

 石上さんだった。

 しばらく病欠だったのでようやく復帰したことを知って安心した。

 石さんが居ると心強い。

 昨日はリクさんが居たけれど今日は居ないだろう。モモさんが来てくれれば良いのだが、と思っていたがそんな兆しはなかった。

「ご迷惑お掛けしました」と石さんは謝っていた。「大丈夫ですか?」と返す。笑顔で返事が返ってきた。

 何やらお菓子を持ってきてくれたようだ。病欠のお詫びみたい。

 煙草を吸い終えたので1階に降りた。

 手を洗って「本日のデザート」を確認する。キャラメルとイチゴソルベだった。

 検温をして表に記入する。

 予約を確認すると、めっちゃあった。8件もあった。

 むうと思いながらポジション表を確認する。

「ね」と思った。今日は、やっぱり。

 マネージャーとえりさんと石さんと晴美さんと僕だった。

 洗い上がったお皿を拭こうとしたところで勤怠を打っていないことに気がついた。慌てて「出勤」を押す。

「どうか無事に過ごせますように」
「どうか何も言われませんように」
「どうか忙しくなりませんように」

 もう一度神様にお願いした。

 神様は気まぐれなのでなんでも言うことを聞いてくれるわけではない。

 結果を先に言うと、僕は重大なミスを犯し、いろいろと注意を受け、そして忙しかった。

 だけど、オーダーには少し慣れたと思う。

 まだ「送信」する前に確認は必要だけど、難しいオーダーでなければ問題なく受けることが出来るようになった。

 そして、最近になって晴美さんが少し柔らかくなった。

 何か言われることはあるけれど、前のようにキツイ言い方をしなくなった。

 良いことである。

 3時になって、石上さんが休憩に入り、休憩に行っていたえりさんが戻ってきてマネージャーが休憩に行った。

 3時がお昼のラストオーダーなのであとは片付けだけである。

 3時半頃に晴美さんも休憩に行き、ホールは僕一人になった。えりさんはドリンク場をやっている。

「しょうちゃん今日4時半までいける?」とえりさんが言った。

 今日は「もみ」の仕事がないので「大丈夫です」と答えた。

「4時半になったら石さんが戻ってくるから、それまで裏の片付けお願いね」と頼まれた。

「はい」と返事をし、黙々と片付ける。

 こういう、恩を売っておくのも大事なのだ、と僕は戦略的思考をする。

 4時半になって石さんが戻ってきた。

 だけどまだ片付けは終わっていない。引き継ぎをして僕は上がらせてもらった。

「ありがとねー」とえりさんが言ってくれた。

 2階の控え室へ上がる。晴美さんとマネージャーが居た。

 帰り支度をして煙草に火を点ける。

「これ、石さんから。無くならないうちに食べちゃって。うちすぐに無くなるから明日にはもうないよ」マネージャーがそう言って箱を示す。

「チョコレートですか?」開けてみると小袋に包まれたチョコレートらしきお菓子がいくつかあった。

 ホワイトチョコレートが好きなので白い包装のものを取ってみた。

 ホワイトチョコレートではなかったが「ストロベリーミルフィーユ」という豪華なものだった。ミルフィーユは好きだ。

 お菓子を食べて、煙草も吸い終えると、挨拶をして1階に降りた。

 石さんに「チョコレート頂きました」と言ってから「お疲れ様です」とその場に居た3人に挨拶をした。

 バックヤードにチーフとチュウさんが居た。チーフが「30分残ってくれたんだって?」と言ってくれた。良いことはするものである。

 外はまだ明るい。

 車に乗り込み、コンビニへ向かった。

 今日は頑張ったのだからご褒美が欲しい、と思っていた。

 もちろんそのご褒美とは笹原さんとのかけがえのない時間のことだ。

 駐車場にはいくつか車が止まっていたが特に気にすることもなく駐車をして店内に入った。

 思っているよりも空いているようだ。

 空き缶を捨てて、アルコール消毒をする。トイレに向かう。

 髪の毛を少し整えてからコールドショーケースへ向かった。

 いつも買う缶コーヒーを手にしてレジに向かおうとしたけれどレジを打っている音がしていたので少し時間を稼いだ。

 終わりそうなころを見計らってレジに向かった。まだ、誰が打っているのか分からない。

 確認を兼ねて、レジがよく見えるルートから近寄ってみた。

 笹原さんだった。おばちゃんではない!

 奥に行ってしまう前にと急いでレジに向かう。

「こんにちは」と言って缶コーヒーを置いた。

「こんにちは」と返ってくる。表情が少しリラックスしているようだった。少しは慣れてくれたのだろうか。

「あと、146番下さい」

 笹原さんが煙草を取ってくれる。

 お会計をする。

 特に何も話しかけるようなことはしなかった。

 その代わり、去るときに「お疲れ様です」と言って会釈をした。

「ありがとうございます」と言ってくれる。僕にはその表情が微笑みに見えたけれど本当のところは分からない。ただただ可愛かった。

 もっと話がしたい。

 もっと反応が欲しい。

 もっと関わり合いたい。

 仲良くしたい。連絡が欲しい。

 言いたいこと、聞きたいこと、気になっていることは、沢山あるけれど、僕はそれらすべてを我慢して紳士であることに努めた。

 ただ、目だけはさりげなく「好き好きビーム」を送っていた。

 ちょっと気持ち悪いかもしれないが、それくらいさせてほしい。

 いまは、「何もしない作戦」なのである。

 何もしない作戦は別名「冷静と情熱のあいだ」作戦でもある。

 僕の中にある情熱を表立って見せることはしないけれど、冷静な行動の中にほのかにその想いを醸し出す。

 その想いに気づいてほしい。

 もしかしたらだたの「ひとりずもう」なのかもしれないけれど、僕は常に希望を持っていたい。

 それにしても笹原さんは可愛い。

 冷静と情熱のあいだ。作戦名は映画にもなった恋愛小説から取ったものである。

 なかなか稀有な作品なので、気になる方は読んでみると良い。

 

 

 

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