病院に行ってきました。
月1で通っています。
通っている理由は、統合失調症という精神の病と、バセドウ病(甲状腺機能亢進症)という内分泌系の病気のためです。
まったく面倒な話である。
最近調子が悪いなとは感じていました。
精神的にもよろしくないし、体もよろしくない。あと、毎日お腹を下している。
仕事で忙しいこともあり、薬を飲むことが億劫で飲まない日が多かった。
だからきっと血液の数値は悪いだろうとは予測していました。
予想していたことはあたり、「今までで一番悪い数値」でした。
まあそうだろうなと、およそどうでもいいような感覚で先生の話を聞いていました。
「死にますよ」と言われました。
「この病気で、集中治療室で生死を彷徨う人は多い」
「もし薬で治らないのなら手術するという方法もある」
「薬は絶対飲んでくださいね。増やしますから」
だ、そうだ。
「そうか、ほっとくと死ぬのか」と私は思いました。
薬を飲まないことは自殺行為だとも言われました。
そうなんだ。じゃあ死にたくなったらわざわざ飛び降りたり首を括ったり刃物でお腹を裂かなくても「薬を飲まないだけ」で死ねるのかと思いました。
それでもいいなと私は思いました。
一体人生とはなんなんだろうと私は思いました。
人生は永遠ではないことなんて当たり前だし、生きている人間は全員死に向かっていることも事実です。
もし私が死んだらどうなるのだろうと思いました。
「なんか、あんまり役に立てなかったな」
そう、思いました。
親孝行したわけでもないし、社会に何か貢献したわけでもない、作曲にしろ、作文にしろ、評価されるようなものはまだできていない。
何も、ないのだ。
じゃあ一体私とは何なのだろう。
なんの価値もない人間だなと、我ながら呆れてしまいました。
結婚していたり、子どもがいるのならまた話は別ですが、私は幸い(残念)なことに独身です。
だったら別に、死んでもいいかなと思いました。
少し、疲れてもいます。
私は、そうですね。どちらかというとポジティブな人間で、バカです。
私のことを知っている人は、うんうんそうだねと頷くでしょう。ボジティブで、バカ。
ポジティブでバカな人間なので、「死にますよ」と先生に言われてもまったく実感がありません。
そうか、死ぬのか。
それだけです。
後悔するのかな、悔いが残るのかなと私は考えました。
昔だったら、私はもっと自分の納得できるような「作品」を残さないまま死ぬのは悔いが残ると思っていました。
今の私はどうでしょう。
まあ、いいや、別に。
投げやりです。
最近、SNSの世界も疲れてしまいました。
面白いだろう、受けるだろう、評価されるだろう、褒めてもらえるだろう、「バカだなこいつ」と笑ってくれるだろう、そう思いながら、いろんなツイートなんかをしたりするのですが、
反応がほとんどなく、
とても虚しい気持ちに包まれている毎日です。
あるブロガーが言いました。
「SNSなんていうのはね、太平洋の真ん中で叫んでいるようなものだよ」と。
まさにそのとおりだなと思います。
誰にも、届かない。
寂しいなと、素直に思います。
厭だなって思うのは、私が例えば有名人だったら、私が例えば女子高生だったら、私が例えばかわいい女の子だったら、きっとたくさんの人からの「反応」をもらえただろうなと思うからです。
なんの名声も肩書もないもうすぐ40歳になる独身男の発言なんて、「だれも興味がない」のです。
哀しい現実だなと思います。
だから私は、「結果を残さなければ」と思っています。
それは、思い始めたその日からいまでもずっと思っていて、「実績のない人間」の言葉なんて誰も聞いてくれないのだから、何かを言いたいのなら、実績、「結果」を残さなければならない。(長くて分かりづらい文節だな)。
そう、思い続けています。
現在は作曲はさぼっているけれど、小説を書いているのはそのためです。
だけど最近、仕事が忙しく、ほとんど自分の時間なんてものはありません。
言い訳であることは認めますが、前よりもずっと時間がなくなりました。
なんだかまるで命を削って仕事をしているようなものです。
仕事そのものはつらいこともあるけれど、概ね楽しんでやっているし、好きでやっている仕事です。
なので、苦痛ではない。
……、…、…、
私は一体何をやっているのだろう。
なんか、あれだな、「命とは限りあるものだし、自分の大切な時間を削ってまで仕事なんてするべきではない」みたいなことを言いそうだけどそうではないです。
ただ、現状を言葉にして記してみただけです。
なんだか、いまの私はぼんやりとした虚無感に包まれています。
すべてが無意味とか、どうせ死ぬのだから何をしたとしても何を見たとしても何を感じたとしてもすべて無価値だ。
なんてことを思っているわけではなくて、
世界は素晴らしいし、生きていることも楽しい部分はある。
私はただぼんやりと、そんな「キレイなもの」見つめているだけ、認めているだけ。
その反面、「どうでもいいや」「死んでもいいや」「こんな無価値な私でごめんなさい」といったような思いを持っているのです。
(めんどくせーやつだな!)
多分私は実感がないから怖さを感じていないのでしょう。
病気が酷くなって、苦しくなって、死が現実的なものになったら、私はきっと怖がるでしょう。
今はそうじゃない。
あと、とりあえず薬をちゃんと飲んでいれば危機的な状況は回避できるそうです。
ああ、もうちょっと自己管理をちゃんとしようと反省しました。
酒も煙草もやめるべきなんでしょう(たぶんやめない)。
さて、どうやったら毎日ちゃんと薬が飲めるようになるのか、考えてみることにします。
今日はうなぎを食べたい。
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