いま、わたしは全裸でこれを書いている。
意味はない。ただ、アパートにいるときは気分でそうしているからだ。
タイトルをもう一度読む。
「友だちがほしい」
友達が欲しい。
友だち。
思い返せば、小学生のころ、わたしは友だちが多い人間であった。
テレビで、「ともだち100人できるかな」みたいな歌があって、それを、「簡単じゃん」って、思ってた。
誰とでも、友だちになれた。
だけど、中学に入ってから、変わった。
そのときはまだ、「友だち」と言える子はたくさんいた。
だけど、それは、小学生のころの感覚とは違っていた。
そして、幼馴染のあいつとの距離も感じ始めていた。
「なあ、高校どこにする?」
中学3年になれば、そういう話になる。
わたしは、自分の進路なんて考えていなかった。
のちに後悔することになるのだが、わたしは、幼馴染と一緒の高校に行くことにした。
推薦で行けるということと、あと、感じていた「距離」をなんとかしたかったからだ。
そして、中学を卒業し、わたしと、幼馴染は、同じ高校に行くことになった。
幼稚園、小学校、中学校、そして高校。
一緒だった。
だけど、どんどん心の距離は離れて行って、
そしてついに、「友だち」ではなくなった。
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あれから20年ほどの月日が流れた。
もう、あのころの友情は「修復」できない。
会いたいとも思わないし、もう、友だちとも呼べない。
少し寂しいが、仕方のないことだ。
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例えばTwitterの話をしよう。
わたしは、ときどき「人」に絡む。
時にはDMを送ったりもする。
「なぜだろう」
ああ、
そうか。
「友だちがほしいんだ」
そう、結論づけた。
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わたしは、いままで生きてきた中で、ちゃんと「友だち」って言える人はひとりしかいない。
もうちょっと範囲を許せば、
3人だ。
少ない。
別に、「友だちは多ければ多いほどよくて、少ないのはよくないから、自分はよくない」と言いたいわけではない。
わたしはどちらかというと、「数」より、「質」だ。
どうでもいいただ遊んだり飲んだりするだけの相手なんて、わたしにとっては「友だち」ではない。
ただの「通りすがりの人」だ。
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わたしは、「友だち」が、ほしい。
ちゃんと、意思疎通ができるような、
友だちが、欲しい。
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最近、Twitterのスペースに参加してみたりしている。
おしゃべりできるのだ。
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ほとんど酔いながらだけど、
その、「話したい」って思っている欲求の根源は、「友だちがほしい」なんだなって、いまでは思う。
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こうやってね、
ブログ、書いてみても、
誰も、反応くれないんだ。
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まあ、ネットだし、SNSだから、「友だち」ではないのだろう。
だけど、普段絡んでいたりするのに、
繋がりが感じられなくて、とても哀しい寂しさを感じている。
漢語的に言えば「寂寥感」だ。
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わたしは、
友だちが、
ほしい。
みんながどうかは知らないけれど、大人になると、「友だちづくり」って、ずっとずっと難しいものなんだなって思う。
ねえ、
友だちに、なってよ。
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