邂逅

雑文

 邂逅(かいこう)

 出会いという意味なのだが、わたしのなかでは「自分の人生にとっての運命的な出会い」だと認識している。

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 アニメ『無職転生』を第8話まで観ました。

 9話のタイトルが「邂逅」です。

 なんとなく面白くて観ていましたが、8話で、「おや、なんか起こりそうだ」という雰囲気になりました。

 まるで、嵐の前の不気味な風のようです。

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 最近、というか何年間でしょうか。わからないけれど、こころがときめくような出会いというものがありません。

 それは、異性との出会いだけでなく、同性との出会いも含まれます。

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 何か、「人生が変わるような出会い」そういったものを、感じていないので、「まあつまらない」。

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 若いころは、たくさんの「出会い」がありました。

 そこには、たくさんの「物語」がありました。

 だけど不思議です。

 長期の入院を経て、退院したのちに降り立ったこの世界では、そういう「物語を紡ぎ出しそうな出会い」というものが、まったくありません。

 もしかしたら、あるのかもしれません。

 出会ったときは気が付かないけれど、のちのち、大きな変化があり、「そういえば君と出会ったときはこんなことになるなんて思わなかったな」なんてことはあります。

 ただ今はそれがわからないだけなのかもしれません。

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 邂逅。

 わたしの人生を大きく変えた人物を思い出してみました。

 ひとりは、そうだな、高校のころの国語の先生かな。

 その人の存在があったから、わたしは今も小説を書いているのだ。

 ふたり目は、大学の先輩かな。

 その人との出会いがあったから、今、こうしてギターを触っていたり、音楽に触れているのだ。

 三人目は、元交際相手だ。

 一番長く交際していた相手で、実は破局したあと、現在まで連絡を取り合っている。

 たとえばその、「男女の友情は存在しない」だとか、そういった概念を覆してくれる。

 いろんなことを教えてくれた子だ。

 いまではしっかりシングルマザーである。

 あとは、友人のひとり、わたしにとって、大切な人。

 くだらない話しかしないが、くだらない話をするだけで20年以上も付き合っているのだから、貴重な存在である。

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 それにしても、不思議だ。

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 最近、仕事に追われてばかりで、「わたしの物語」が動いていない。

 これは「感覚」の問題で、

 そう、「あ、物語が動き出しそうだ」という感覚というのは、ある。

 上記にあげた人たちとの出会い、邂逅には、それがあった。

 だけど、最近は、まったくそういうのが、ない。

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 なぜだろう。名前のせいだろうか。

(わけあってわたしは戸籍上の名前を変えた)

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 なんかつまんないなーて思う。

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 いい出会い、ないかな。

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 そういうことを言うと、

「今出会っている人たちに失礼だ」と思われるかもしれない。

 でも、わたしは本音で言っている。

 出会った人すべてに意味はあるが、

「邂逅」という言葉を使っていい人たちというのは、限られているのだ。

 だからこそ、尊く、大切な存在なのだ。

 どうでもいい人たちに「相手にされない」からって、悲しむことなんてない。

 自分を大切にしてくれる人だけを、大切にしよう。

 おわり。

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