一体感の気持ちよさ

雑文

 私はいま、リラクゼーションサロンで働いている。

 もみ屋さんだ。マッサージみたいなことをしている。

 治療院ではない。お客様にリラックスしていただくことが目的だ。

 今日、施術をしながら心地よさを感じていた。

 お客様が、ではなく、私が、だ。

 お客様にリラックスしていただくために、私は指圧をしたり揉捏をしたりしている。

 そういうことをしながら、自分自身がリラックスしているのを感じた。

 たぶんきっと、頭の中ではアルファ波だかシータ波だとかが出ているのだろう。

 その感覚は何かというと、一体感だ。

 私の手と、からだと、お客様の体とが繋がっている。

 果ては自分がいる空間だったり、地球だったり、宇宙だったりする。

 一体感を味わっているとき、人は気持ちよくなれる。

 なんだってそうだ。

 車を運転していれば、車と自分が同化しているし、波乗りでは海と一体化する。

 歌はメロディと和音と一緒になれるし、スキーは雪山と重力とひとつになる。

 たとえばテニスをしているとき、集中力が高まるとボールの動きがスローモーションに見えるときがある。

 ボール、ラケット、地面、重力、風、筋肉、そういったものがひとつになるとき、快感を覚える。

 そういったことが、あなたにもあるだろうか。

 私にはたくさんある。

 どうやら人の脳は「気持ちいいこと」しかしたがらないらしい。

 気持ちよくないことは、ストレスとなる。

 ストレスを溜めるのはよくない。

 最近の私はノンストレスなのでしあわせだ。

 まったくストレスを感じていない。

 めんどくさいことはあるけれど、イヤなことはほとんどしていない。

 そういう生活が一番だと思う。

 ふと、過労死のことを思い出す。

 過労死。

 ぱっと浮かんだのは2016年にあった電通の新入社員の過労自殺である。

 私は電通で働いていたわけではないし、なんの接点もないが、私が以前働いていた会社で電通の「鬼十則」がとりあげられていた。

  こういったものである。

  1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
  2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
  3. 大きな仕事と取り汲め、小さな仕事はおのれを小さくする。
  4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
  5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
  6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
  7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
  8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
  9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
  10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

厳しそうである。

泣きそうだ。

なお、この鬼十則は2017年度から従業員の手帳への掲載をやめたようである。

私はこの鬼十則を肯定も否定もしないが、会社の考え方や、働き方が自分とは合わなかったら辞めることをおすすめする。

逃げるのだ。

逃げることは悪いことではない。

私はしょっちゅう逃げている。

何かあれば、一目散に遁走している。

大切なことは「生きること」である。

生きるために働いているのに、働くことで、死んでしまっては元も子もない。

誰もそんなことは望んでいないだろう。

いくら厳しい会社だってそんなことは望んでいない。

私はいっとき、ブラックな会社に勤めていた。

労働時間は一日十何時間にも及ぶし、休みは週に1日しかなかった。その貴重な1日でさえも、何かのイベントで潰れたり、上司の競馬やパチンコに付き合わされてしまったりした。

売上金が少なければ、給料からまるまる天引きされていたし、会議は暴力沙汰だった。

私の店は売上があったので、特に殴られたり給料がなかったりしたことはなかったが、非常に厳しいところだった。

このときの私は、逃げることは悪であると信じていたので、懸命に働いていた。

沢山の従業員が飛んでいったけど、私は逃げなかった。

だがその代わり、非常に疲れたし、何のために働いているのか分からなくなった。

なので、自分の後継者を見つけ、仕事を全部覚えさせ、私はその会社を辞めた。

社会は厳しいものなのか、とときどき考える。

厳しいものなのかもしれない。

極論を言えば戦争だが、戦争では、逃げたら負けである。負けたら国がなくなるのである。

結局のところ日本は戦争に敗れたが戦後の頑張りによっていまの日本が成り立っている。

生きることは難しい。

でも、厳しくなければいけないのだろうかと私は思う。

何もしないのはダメだが、自分のやるべきことを全うして、社会の役割を担って、報酬を得て、質素でもしあわせに暮らしていくことはダメなのだろうか。

私はできることならそういう人生を歩みたい。

がんばることは好きだが、ムリはしない方がいい。

私はたくさんのムリをして体も心も壊れた経験がある。

ムリはしないほうがいい。

一体感の話をしていたのに、なんだか社会だとか人生だとかの話になってしまった。

気持ちいいことをしよう」と私は言いたいのである。

 スポーツでも芸術でも仕事でも日々の生活でもいい。

 一体感を味わえるものを探していこう。

 そうすればきっと人生はたのしいものになる。

 私はこれからもそういうものを探していきたいと思う。

 ありがとう。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました