ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、
ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、頑張れ! 頑張れー!
そんな言葉をずっと心の中で呟いていた。
どうして「ドキドキ」という言葉なのかは分からない。
脈拍が上昇しているわけでも、緊張しているわけでもない。
だけどずっと気を張っていた。
自分が冷静になるために心の中で何かを唱えたかったのかもしれない。
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今日はレストランでアルバイトを始めて13日目。
だけど、日曜日に入るのは3日目です。
日曜日はランチメニューがないので少し複雑で、そして混む。
プレッシャーしかなかった。
最近僕は晴美さんが居ることを予め覚悟して来ている。
晴美さんとは厳しい先輩で、まあよく怒られる。
居ないといいなと思って居ると落胆するが、居ると思っていて居なかったらハッピーなので、基本は居るだろうという覚悟を持って出勤するようになった。
もちろんお店に入る前には神様に無事を祈る。
「どうか無事に過ごせますように」
「どうか何も注意されませんように」
「どうか忙しくなりませんように」
とにかく2時間頑張るんだ。ラッシュの2時間だけ頑張ればあとはなんとかなる。
そう自分に発破をかける。
ポジション表を見ると、やっぱり晴美さんは居た。
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いったい何時なのか分からない。
気がついたらテーブルが満席近くになっていて普段は使わないカウンターまでお客様が入っていた。
僕のポジションはデシャップだが、いつのまにか洗い上がったお皿やシルバーなどで溢れてしまっていた。
これを片付けなければならないが、料理は出てくるし、レジには入らなければならないし、レジに入ればバッシングもしなければならない。
どんどんと自分の仕事が溜まっていく。
視界に晴美さんが入ると一層神経に気を配った。
何か言われやしないか、何か言われやしないかと細心の注意を払って行動していた。
そういえば、晴美さんは12時出勤だったから休憩には入らないなと予想した。
まだ店内の慌ただしさが消えないうちに石上さんが休憩に入ってしまった。
頼りの石上さんが居なくなると心細い。
ホールは晴美さんと浅田さんと僕だけになってしまう。
あ、そういえばえりさんも休憩に入っていた。
あわわ。
ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、
頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、
あわわ。
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あれ? 浅田さんも居なくなってしまった。
ホールは僕と晴美さんだけではないか。あとはドリンク場のマネージャー。
時刻は2時。
多少落ち着いてきた。
いまのところ、何も注意されていない。
そんなときに、キッチンのチュウさんから「しょうくんポテベー持ってった?」と聞かれた。
「あ、はい。持っていきました」
「また伝票置きっぱなしになってたよ」
「すみません!」
あわわ。これまでノーミスだったのに普段間違えないことを間違えてしまった。
はあ(ため息)。
シフトは4時までなのであと2時間だがもしかしたら早く上がれるかもしれない。だから、あと1時間頑張れば、終わる!
溜まったシルバーやお皿を片付けながらホールの業務をこなしていった。
時刻は2時半になる。まだデシャップの仕事は片付いていない。
それでも店内はすっかり落ち着いてきたのでラッシュはとうに終わっていることが分かった。
あとは、「これ」を片付けていけば、終わる!
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3時を過ぎた。お昼の営業のラストオーダーの時間である。料理が出てくることはないので、やることはレジかバッシングか片付けくらいだ。
洗い上がったシルバーを拭いているときだ。「じゃあ、しょうさん3時で上がっちゃいますか」と声がかかった。
待ってました! と、思った。
「まだ、片付けが残ってますが大丈夫でしょうか?」
「えりさんが戻ってくるし、30分になったら石さんも戻ってくるから、大丈夫」
「分かりました。それでは上がらせていただきます」
退勤を押して挨拶をして上がった。
終わったー! 終わったよー! と心の中で叫ぶ。
控え室で煙草を吸って、ようやく一息つくことが出来た。
明日も仕事だけど、日曜日という山場はなんとか乗り越えた。
ほっとする。
「それではお先に失礼します」と全員に挨拶をしてお店を出た。
車に乗り込み、一番近くのコンビニに向かう。
「もしかしたら」と僕は思っていた。
最近、このコンビニに気になっている女の子が居るのだ。
だけど、いつもは遅い時間に居るので、3時4時の時間帯は居ない。
あまり期待はせずに、一応ポケットに煙草の箱を忍ばせてコンビニに入った。
居たーーーーー!!!!!
すぐに分かる。
先日、名前を覚えた。笹原さんだ。
いつも買う缶コーヒーを手に取って店内を見回してみた。
2人、居る。他のお客さんが2人、居る。
悪くはないが、どうしよう。
レジには他の店員さんはいない。
笹原さんはこちらに背中を向けて商品棚を整理していた。
太腿が思っていたよりも太い。
「すみません」と声をかける。レジに入ってくる。缶コーヒーを置く。
いつもなら100円の缶コーヒーだけだったのだが、僕はあえて煙草を頼んだ。
「あと、112番お願いします」事前に番号を調べておいたのだ。
煙草を取ってくれる。
「600いくらです」
前に見たときは「それほどでも…」と思っていたけれど笹原さんの胸はちゃんと膨らんでいた。
財布から一万円を出した。「すみません大きくて」と言おうか迷ったが言わないでいた。
それよりも、何か声をかけたかった。
「ポイントカートはお持ちですか?」
「ポイントカード? あ、はい」
いつもならポイントなんてどうでも良かったので出さないのだが、少しでもやりとりをしたかったのでカードを出した。
幸せな時間ほど早く進んでしまう。
お会計が終わる。
笹原さんは丁寧にお札を数えて渡してくれて、残りの小銭とレシートを手渡しでくれた。
100円の缶コーヒーだけだったときはトレーにレシートを乗せて渡されただけだったので、ちょっと嬉しい。
本当は、コロナ禍なので、お金の受け渡しはトレーで行うものだが、そんなことどうでもいい。
僕は、笹原さんの手で渡されるお釣りをもらいたい。
ああ、目が可愛いなと心は恍惚していた。
「ありがとうございます」
最後にもう一度目を見たかったが目を合わすことは出来なかった。
何も声をかけられなかった。
でも、一歩前進だ。
煙草を頼むことは、実は作戦なのである。
デキるコンビニ店員は客の煙草の銘柄を把握してくれる。
中にはレジに立つだけでその煙草を取ってくれたりする。
僕がまず目指していることは、「認知」だ。
数あるお客さんの中で、ちゃんと顔を覚えてもらうことが仲良くなるための第一歩なのだ。
缶コーヒーだけだったら印象は薄いが、煙草を頼むことによって「ああ、あの人はこの煙草をいつも頼むな」と認知されやすくなる。
作戦なのだ!
だから、ちょっとだけど、前進はした。
車の中でコーヒーを少し飲み、帰路に着いた。
車を運転しながらずっと笹原さんのことを考えていた。
「仲良くなりたい。デートしたい。付き合いたい」そんなことをぶつぶつ一人で言葉に出していた。
笹原さんの目を、後ろに一括りにした明るい色の髪の毛を、少し膨らんだ胸を、思っていたよりも太かった足を脳裏に焼き付けていった。
会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。
仲良くなりたい仲良くなりたい仲良くなりたい仲良くなりたい。
明日また会えるかな。
そういう希望を持って、家に帰った。
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