ダ・ヴィンチの罠#2『謎の指』

父ブログ翻訳

ごあいさつ

 わたしの父は、現在ブログを書いています。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の「罠」に迫るというずいぶん難解な題材なのですが、

 ブログの内容も文体もとても「難解」です。

 ネタは面白いのに、伝わらないのはもったいないなと思いますので、わたしが「翻訳」してみることにしました。

 第2話です。(話? なのかな?)

 原文はこちらです↓

ダ・ヴィンチの罠 謎の指 - 透明人間たちのひとりごと
ルネサンスを代表する“万能の天才”というイメージで語られることが多いレオナルド・ダ・ヴィンチですが、そんな肩書や教科書的...

 ここからがわたしの訳です↓

勝馬訳『謎の指』

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 ルネサンスを代表する「万能の天才」と呼ばれている人物。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ

 そのダ・ヴィンチが実は相当の「食わせ者」なのだ、というのが、ここで伝えたいことです。

 ひねくれているんです、彼。

 彼の作品から見る「彼が伝えたかったこと」

 その謎に迫るのがこのブログの「目的」なのです。

 ですが、

 いかんせん難しいテーマなので、ちゃんとゴールにたどり着けるのかわかりません。

 でもきっと、その先には「素晴らしいもの」があるのだと、わたしは信じて疑いません。

 もしよろしければ、お付き合い願いたい。

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 全部で15,000を超えると言われているダヴィンチの素描や手稿。

 その中で、「神」について語られていることが以外にも少ない。

 それはなぜでしょうか。

 たしかに、いろいろと教会ともめごとがあったそうです。

 それでもいくつも、宗教画を描いている。

 それも有名な宗教画を描いている。

 でも、「神」についてはあまり語っていはいない。

 絵画を通して、婉曲的に「訴えて」いるのだ。

 それがわたしが感じているいることです。 

 たとえばこの絵。

 皆様ご存じの『最後の晩餐』です。

 この絵をしっかりみてください。

 この人。

 いますよね。

 この人。トマスさん。

 なんで指を立てているのだろう。

 何か、意味がありそうだ。

 その謎に迫ってみようと思います。

勝馬訳『謎の指』2

 ところで、「神」の教えを唱え、導くべき教会に批判的だったダヴィンチは、「神」そのものについてはどのように考えていたのでしょうか。

 手記の中に、このようなことが書かれています。

 (祈りとして)主よ、わたしはあなたに帰依しまつる。
  一つには当然あなたに捧ぐべき愛のゆえに。
  二つにはあなたこそ人の子らの生命を延ばしも縮めもなしえたもうがゆえに。
  原初の動かし手(たる神)よ、あなたの正義は何と驚嘆すべきでありましょう。
  あなたはいかなる力にも、その必然的結果という秩序と性質とを欠くことをゆるし給わなかったのです」

 と。

 何を言っているのかよくわかりませんが、「神様そのもの」は、信じているっぽいです。

 教会に対しては批判的でしたが、神様のことは信じている。

 そこに、絵画に含まれた「謎」の意味があるようです。

 人差し指を上に指す行為、これにはどのような意味があるのか。

 もう一度見ましょう。

 手の甲をキリストに向けている。

 中指だったら「FUCK」ですが、人差し指なので違うでしょう。

 たとえばもうひとつ。

 こうした「不自然さ」はここにも見られます。

 ペテロさんの右手ですね。

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 そこで、同じようなポーズの絵はないかを探してみたら、ありました。

『聖アンナと聖母子』の下絵のモデルとなったデッサンにおける聖アンナの左手。

 もうひとつは『洗礼者聖ヨハネ』の右手、です。

 なんか、ありそうですね。

 なんか、ありそうです。

 この指の意味について、次回からまたさぐってみようと思います。

 ちゃお♡

コメント

  1. 父です。またの名を〝透明人間2号〟と称していますが、透明人間たちも、また、私自身の分身であり、彼らと私は「ひとりごと」をつぶやいています。

    その「ひとりごと」が、実に冗長としたものであることは、当初より分かっていましたが、まさか、翻訳が必要なほどに意味不明なる迷文であったとは・・・

    ここでの翻訳が、100% 的を射たものであるとは思いませんが、こんなにも簡略化できるのならば、それはそれで貴重な機会だと頷かざるを得ないので、引き続きの翻訳を依頼したいと考えています。

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