はじめに
わたしの父は現在ブログを書いています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「罠」に迫るという複雑で難解な問題に挑戦しています。
非常に難しい内容であり、そのためか、ブログの文章も難しい内容になっています。
その内容をわたし自身が「ちゃんと理解したい」ということもありますが、「せっかく面白い内容なのにそれが伝わらないのはもったいない」という理由でわたくし、りょうきちこと勝馬将太はそのブログを「翻訳」してみることにしました。
今回はその第4弾です。
もし少しでも興味がありましたが、ちょっと覗いてみてくださいね。
それでは、始めます。
こちら↓がその、透明人間さんのひとり、父のブログの原文です。
それでは、ここからが勝馬の訳です。
よろしくお願いします。
前回までのあらすじ
違和感。
そこには違和感があった。
レオナルド・ダ・ヴィンチの名作『最後の晩餐』における数々の「違和感」
「何かあるのかもしれない」と気づいた透明人間2号の父はその謎に迫ることにした。
トマスの指、
そして『岩窟の聖母』に隠された真実。
絵画の謎の紐を解けば解くほどさらに迷宮に入り込んでいく。
次は、どんな「謎」が待っているのだろうか。
透明人間たちは、また、扉を開いた。
勝馬訳ダ・ヴィンチの罠#4『サイン』前編1
ルネサンス。
「再生」「復活」を意味するこの言葉、歴史の中で出てくるこの言葉は、中世ヨーロッパでの文化運動を意味する。
古典古代の(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとするその運動はイタリアで始まり、やがて、西欧各国へ広まっていった。
そのため、世界史の中では「ルネサンス」という言葉は、この「復興運動」が行われていた時期のことを指す。
14から16世紀のヨーロッパ、その時代は、宗教の改革とともに、芸術の嵐が吹き荒れた時代でもあった。
いわば、芸術の大航海時代ともいえる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティそんな、三大巨匠と呼ばれる人たちを輩出したのもこの時代だ。
そんな、特異な時代の寵児であるにもかかわらず、1万点にも超える素描を残しながらも、完成作品がわずかに十数点しか確認されていないというレオナルド・ダ・ヴィンチ。
もしかしたら、ダ・ヴィンチ自身には作品を完成させる意思はもとより、完成しようとする動機さえ希薄だったのかもしれません。
芸術界では、「天才が故のあきっぽさ」だとか、失敗を恐れるあまり決断を躊躇し、構想段階でつまづいてしまっている完璧主義者なのだと評価する評論家もいますが、実際はどうなのでしょうか。
まずはこちら、デビュー作、『受胎告知』をご覧ください。
『受胎告知』とは、キリスト教の聖典である『新約聖書』に書かれているエピソードのひとつで、一般的には処女であるマリアに天使のガブリエルが降り、「妊娠」したことを告げたものです。
「精霊によってあなたのおなかの中には赤ちゃんがいます」と言ったかどうかはわかりませんが、
そんなことです。
見てください。
降臨した大天使ガブリエルが見つめる先には、
突然の処女懐胎の御告げに左手では驚きを表しているものの、顔の表情は冷静で厳粛に天命を受け入れる聖母マリアが描かれています。
それもそのはずで、傍らには告知される直前まで読んでいた聖書に指を挟んでいる聖母マリアが表現されていますが、
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その子をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書 7:14)
読みかけの箇所は旧約聖書で救世主の誕生を預言したイザヤのページであったとされているからです。
ここに、ダ・ヴィンチの罠の謎を解く最初にして最大のサインをここに見つけることができるのです。
そのサインとは、
大天使ガブリエルの祝福を表す右手に対し、
左手には「純潔」を象徴する「白百合」があります。
※白百合は、ダ・ヴィンチに限らず、聖母マリアの純潔や貞操を象徴するアトリビュート(持ち物)です。
しかし、この白百合には「おしべ」が描かれていたのです。
一般に絵画における聖母マリアのアトリビュートとしては、
青い色の衣(マント)に神の慈悲を表す赤色の衣服、
純潔を意味するおしべのない白百合の花や処女性を強調する閉ざされた庭、
処女には慣れ親しむとの謂れから一角獣(ユニコーン)などが配されます。
白い百合の花が描写される場合には、男性を象徴するおしべは描かないということが一種の約束事になっていたのですが、そのタブーを気にせずに白百合にはしっかりとしたおしべが描かれています。
これはタブーを無視したというよりも、純粋に「正確さ」の方を重視したもので、
そこに他意(教会への反発心や反抗心)はなく、
むしろこのことによってそれが問題視され、
陰湿で偏狭な教会や修道会の圧力や姿勢に、ダ・ヴィンチ自身の反骨心が芽生えはじめる切っ掛けとなったのかもしれません。
そして、よくよくこの絵を眺めてみると …
(一見では)周囲が堀で囲まれているようにみえる庭園にも外への出口がみつかり 、
大天使ガブリエルの手元から奥に向かっては堀がなく、
出入り口のように外の世界へとつながっているように描かれていて、
しかも、おしべのある白百合の花とそことがピッタリとクロスしています。
本来は閉ざされた庭である塀に出入口があり、
そこにおしべがクロスしている。
すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、「それってセックスですよね(ひろゆき風)」
深読みでしょうか。
偶然だけでは説明できないものがあるのかもしれません。
そうなると、
デビュー作の段階で、何らかのチャレンジが始まっていたのかもしれないという推測もできます。
いえいえ、
すでに着々と罠(暗号)は仕込まれていたのです。
いずれにしても、
ここでのサインは白百合ではなく、聖母マリアの右手の「二の腕」にあるのですが、
この時点ではダ・ヴィンチ自身もそのことには気づいていないのかもしれません。
そのサインが意味を持つのは、それから20数年後の『最後の晩餐』の完成を待たなければならないのです。
ただし、
その事と仕込まれた罠(暗号)とは全くの別物ですが、
その説明は今回は割愛とさせていただきます。
勝馬訳ダ・ヴィンチの罠#4『サイン』前編2
さて、未完成のままの『聖ヒエロニスム』にしても、
フィレンツェ時代に手がけた『マギの礼拝』いわく、『東方の三博士の礼拝』に関しても 、
溢れ出るアイデアを構図や素描として数多く残しているのにもかかわらず、
制作の途中で突然としてミラノに旅立ち、その後、完成されることはありませんでした。
これを天才がゆえの飽きっぽさやムラっ気の仕業とみる向きもあり、否定的な美術評論家もいますが、
これが天才の天才たる所以であって、論評の枠を超えた凡人にははかり知れない業なのです。
裏を返せば、
謎の封印を解くヒントとなる材料と同時に罠に導くための伏線や落とし穴としての素描を用意周到に準備していたということなのかもしれません。
最初に、
種らしき謎のサインが蒔かれ、発芽を始めたのが『東方三博士の礼拝』 で、
『岩窟の聖母』(ルーブル版)でのトラブルを契機に水と肥料が供給されて、
『最後の晩餐』で花をつける。
そういう構想も考えられます。
そして、
最後にすべての罠と謎を解く鍵として、天を指さす『洗礼者聖ヨハネ』の「人差し指」で完成させるという絵画と絵画をつなぐ一連の大きな「罠」が、ダ・ヴィンチの中にあったのではないのでしょうか。
まとめ
と、ここまで、前半をまとめてみました。
いかがでしたでしょうか。
この、「ダ・ヴィンチの罠」は、一枚の絵にだけで収束されているものではありません。
ダ・ヴィンチが描いた数々の絵画のなかに、その「種」が隠されているのです。
それを見つけ、それを読み解き、論理的に、あるいは幾何学的に、あるいは、数学的に「筋道」をみつけることによって、その謎が解けるのではないかというのが透明人間である父の考えているところです。(違ってたらごめんなさい)。
すくなからずわたし(勝馬)はそう思っています。
果たして次が書けるでしょうか。
とても困難です。
壁のようです。
それでも、その壁は、
重いけれど、「扉」なのかもしれません。
応援よろしくお願いします。
コメント
父です。またの名を〝透明人間2号〟と称していますが、透明人間たちも、また、私自身の分身であり、彼らと私は「ひとりごと」をつぶやいています。
詰め込み過ぎて消化不良を起こしそうな私の文章に比べ、解りやすく纏められていると思います。
次回の翻訳にも期待がかかりますね!