おじさんも昔は若かった。

雑文

 おじさんも昔は若かったということが本当であると最近知った。

 それというのも、自分がおじさんになろうとしているからである。

 好き好んでおじさんになろうとしているわけではない。

 でも、もうすぐ40歳を迎える僕はもうおじさんなのだろう。

 まだかろうじて30代だが、「青年」というには年をとりすぎている。

 中年というにはまだ早いが、壮年というのもちょっと違うような気もする。

 中途半端な年齢だ。

 僕は毎日Twitterを見ているが、中には若い子のツイートを見ることもある。

「がこおわ」とか、「試験終わった」とか。

 学生である。

 高校生が多いが、中学生もいる。

 そんな彼らからしたら、僕なんかはもうおじさんなのだろう。

 数字だけ見ても、20以上は年が離れている。

 20年なんて、ひとりの赤ちゃんがちゃんと成人するくらいの年月だ。

 信じられない。

 自分が学生のころなんて、ほんの数年前のことのように覚えているのに、それが20年以上前のことだなんて信じられない。

 だが事実だ。

 自分はまだ、「おじさん」だとは思ってはいない。

 でも、年齢的にもう「おじさん」と呼ばれても仕方がない年になった。

 そして当たり前のことだけど、僕にも若い頃があった。

 自分が若い頃は、自分が年をとるなんて想像すらしていなかった。

 でも誕生日を迎えるたびにちゃんと年をとる。

 気が付けば40手前である。

 大好きだった同級生のあの子ももうおばさんである。

 そしてきっと、40歳になるということは、いずれ50歳にもなるのだろう。

 そういうことが、信じられるようになった。

 故に、世の中にいる「おじさん」たちにも若い頃があったのだと信じられるようになった。

 もし仮に、自分の親父が若返って、僕と同い年くらいになったら友達になれるだろうか。

 と、考える。

 なんとなく気が合いそうだけど、多分友達にはならないだろう。

 同族嫌悪である。

 僕と親父は似ているので、多分同族嫌悪に陥る。

「なんかいけすかない奴だ」と思うだろう。

 そういうところが、僕にはある。

 でも、なんとなく、親父を含めたおじさんたちに親しみを覚えることが出来るようになった。

 ああ、彼らにも僕らと同じように若い頃があって、年をとってきたのだなと。

 当たり前のことなんだけどね、それが本当に心の底から信じられるようになったのは最近だ。

 それにしても、僕はこのまま結婚をせずにおじさんになってしまうのだろうか。

 それは嫌だ。

 結婚したい。

 どうしてだろう、とときどき思う。

 世の中の半分は女性なのに、どうして僕には結婚相手がいないのだろう。

 不思議でしょうがない。

 親友だって結婚したし子どももできた。

 妹でさえもう2児の母である。

 あの、からあげを残したのをバレないように冷蔵庫の下に隠していたあの妹が、である。

 信じられない。

 彼女がいなかったわけではない。

 いたし、結婚しようとも話していた。

 でもうまくいかなかった。

 それはまあ運命だろうと思うけれど、このまま独身を貫くのが運命だとは思いたくはない。

 結婚したい。

 どうか神様、僕に運命の人と巡り合わせてください。(できれば3年以内に)。

 ちなみに僕の夢ノートには理想の彼女の条件が書かれている。

 いま数えてみたら81個の条件があった。

 大きなことから小さなことまで僕の理想を並べ立てたのだけれども、

 どうか神様、そんな女性と巡り合わせてください。

 結婚したい。(さっきからそればっかり言ってる)。

 もうなんだかだんだん願望になってきたぞ。

 おじさんの話だ。

 おじさん。

 でももう、駄文になってきたからそろそろよそう。

 あー文字打つのって楽しいな。

 また明日✩

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました