真実があるとしたらそれはすべて数学で示される。

雑文

 こんにちは。勝馬将太です。

 映画を見ました。

 これです。

 原作はマンガです。

 映画の予告を張っておきます。

 わたしは、常々、こう思っているのです。

「数学だけを学びに学校へ行きたい」と。

 学校の勉強の中で、一番好きだったのは「国語」ですが、その次に好きだったのが「数学」です。

 少し武勇伝を語ります。

 それは高校1年生のころでした。

 わたしは、数学のテストをしていました。

 そこで、何か「定理」を必要としたのです。

 わたしはその「定理」を覚えていませんでした。

 忘れてしまっていたのです。

 普通、試験勉強なら、その「定理」を覚えていないとできません。

 ですがわたしは、定理を忘れてしまっている最中、必死に考えたのです。

 そして、テストの時間の中で、その「定理」を導き出しました。

 ある公式から、公式を照らし合わせ、自分の知っている知識の中で、教科書にある「定理」をテスト時間中に導きだしたのです。

 結果、テストの成績は98点でした。

 一点間違えたのは些細な計算ミスでした。

 そういうことが、数学の世界では起こりうるのです。

 すべてはつながっていると思っています。

 例えば微分積分ですが、そういうものも、全部、「1+1=2」という「正しいこと」からつながっているのです。

 今回紹介する映画ですが、

 どういう内容かというと、数学を愛した男が、数学を駆使し、戦争を止めようと奮闘するお話です。

 まだ、全部見ていないので結末はわかりませんが、

 映画の途中で記事を書きたくなったので書いています。

 わたしは、統合失調調なので、ときどき現実が分からなくなります。

 それはとても怖いもので、

 言葉では表せない恐怖を含んでいます。

 わたしは、数学にその救いがあるのではないかと思いました。

 哲学って、わたし好きじゃないんですが、数学は、すべて「正しい」。

 一個のリンゴにもう一個のリンゴを足したらいくつになる。答えは二つ。

 それはまったくもって美しい真理。

「はたしてこのリンゴは存在するのだろうか。存在しないのかもしれない。だが、わたしはリンゴを見ているという事実は変わらない」

 なんていう哲学じみたことよりも、「1個にもう1個加えたから2個じゃないか」の方がシンプルでわかりやすい。

「このリンゴは真実ではない。仮想のものを見ているのだ。本当のリンゴはイデアの中にある」

 なんていうのはただの「脳内のバグ」だとわたしは思っている。

 わたしはどちらかというと文系の人間ですが、数学だけは好き。

 映画の中で主人公が「美しい」と言います。

 美しい。

 美しいものを見ると、計らずにはいられない。とも言っています。

 その気持ち、よくわかります。

 黄金比というものをご存知でしょうか。

黄金比とは?デザインのガイドラインの活用法 – 京都のWebサイト・ホームページ制作 – KACCO DESIGN STUDIO[カッコデザインスタジオ]

 美しさと、数学的な比率。

 そういうものが世の中にはある。

 それはあるいはDNAを語るお話なのかもしれない。

 例えば花が、なぜあんなに美しいのか。

 なぜ花が、花びらをあの形で、あの枚数にしているのか、

 なぜ人は、線対称の人を美人だと思うのか。

 そういう美しさを表す指標として、「数学」がある。

 なんだかまた冗長になってしまった。

 わたしはこれから本屋へ行ってきます。

 数学の教科書が欲しいのですが、たぶん売っていないので、参考書でも見てみます。

 数学は美しい。

 おわり。

コメント

  1. √6意味知ってると舌安泰 より:

     ≪…「1+1=2」という「正しいこと」からつながっている…≫を、カタチの[〇△□]からの送りモノとして眺めると、「1+1=2」の風景は、〇と□の[枷]として捉えタイ・・・

    [科学と生命と言語の秘密」の【 意識は数式で書けるのか ・・・「‐B」こそが意識 】 を絵本「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)のながしかくに含意している。
     [ 意識は数式で描けるのか ]は、[コンコン物語]で観えるとか・・・
    数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送りモノとして眺めるとオモシロそうだ・・・

     岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~

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