ノンバイナリー

雑文

 わたしが小説を書く上でテーマにしていることがいくつかある。

 その中のひとつに、「性別」というものがある。

「性別」。大きく分けで、男、女、というものである。

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 わたしは、幼稚園のころから性別について考えていた。

 幼稚園児なので、単純なことだが、「どうして男の子はスカートを履いてはいけないのだろう」そういったことだ。

 まあいろいろあって、大きくなったわたしは大学へ進み、ジェンダー論のゼミに入った。

 そこで、「性別役割分担」とか、そういったテーマを掘り下げていった。

 余談だが、ゼミの仲間と一緒に、わたしは性別が男であるが、わざわざ化粧をして女装をして大学に通ってみたりもした。

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 それから二十年近くたったいま、わたしは再び性別の壁を取り払おうとしている。

 X、旧Twitterでわたしはあたらしいアカウントをつくった。

 ここでは出せないけれど、そのアカウントでは「性別」はない。

 どちらかというと、「女の子寄り」の発言をしていた。

 一見すると、女の子と思われてもしかたがない内容だった。

 ある日、男性からDMが送られてきて、下ネタの話しをした。

 なんとなく、その会話を楽しんでみた。

 わたしは、わたしを「女」だとも言っていないし、「男」だとも言っていない。

 でもどうやら、その会話の内容を見るに、彼はわたしのことを「女」だと思っているみたいだ。

 そこで、えっちな話をした。

 なるほどなあと思った。

 なるほどなあというのは、「気持ち悪い」という意味だ。

 女性が自分の好きな男意外の人から性的な目で見られることは、いささか気持ちの悪いもの。そういうことがよくわかった。

 ただ、わたしは女でも男でもない立場としてその会話を楽しんでいた。

 わたしのFFさんの中には、わたしを女の子だと思っている人は多い。

 中にはわたしを女の子だと思って接してくれている人もいるだろう。

 そんななか、わたしはスペースに参加した。

 自由に話せる場だ。

 そこで話していると、よく絡んでいる人が来てくれた。

「わー」とわたしは喜んだが、その人はすぐに出ていった。

 どうしたのだろうと思っていた。そして、

 その後、わたしのツイートに絡んでくることはなくなってしまった。

 推測するに、わたしの声が「男のもの」だったので、引いてしまったのだろう。

 それはそうである。

 いままで女の子だと思って接していた人が、じつは女の子ではなかった。

 それなら去っていってもしかたがない。

 それでもわたしは落ち込んだ。

 やっぱりそうか、とも思った。

 女の子だったら、相手してくれるけれど、男だったら、相手してもらえないのだ。

 わたしが好きな画像にこんなものがある。

 この絵は、現代の風潮のことをよく表していると思う。

 男性が、「つらい、助けけて」と叫んでも、誰も近寄ってこない。

 なのに、相手が、若い女の子だったら、何人もの人が助けにくるのだ。

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 わたしはそのことを身にしみてよくわかっているので、

 ほんとうにうまく絵にまとめたな、と思う。

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 そんなようなことを、最近仲良くなったFFさんとDMで話した。

 自分の性認識のことである。

 すると、「ノンバイナリー」じゃない? と教えてくれた。

 ノンバイナリーとは、簡単に言うと、性を持たないことのようだ。

 詳しくはこちら。

ノンバイナリーとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

 有名な人でいうと、宇多田ヒカルがそうらしい。

「ひかる」という名前は、そういう背景からだろうか。

 そういうことを知ると、自分の今までの違和感だとか、いろいろなものがすべて腑に落ちた気がした。

 そうか、わたしは性別を持ちたくないのだ、と。

 今日はちょっと頭の回転が鈍く、文章もまとまりがないのでもうしわけない。

 ただわたしは、性別について語りたかった。

 それを存分に書く(予定)の小説がこちらである。

裏垢女子と底の器/勝馬将太
一緒に、笑いたい。一緒に、同じことをしたい。一緒に、一緒に、時を過ごしたい。お兄ちゃん。

 

 ぜひ、読んでいただきたい。

 それでは、今日は短いですがこれで終わります。

(ほんと今日はだめだなー。文章が書けない)

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