我々はどのように生きるべきか

エッセイ

 ふと、こんな動画を聞いていた。

 見ていたのではない。聞いていた。

 イヤホンで音声を聞きながら、ヒゲを毛抜で抜いていた。

 なんとなくだけど、少し気持ちがラクになった気がする。

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 わたしは今日、休日であったのだけど、職場の人が急遽早退することになったので、代わりに出勤した。

 わたしは今、病気で療養期間中である。

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 やめてくれ、と、思ったが、わたし自身職場に迷惑を掛けていたので、断ることもできずに出勤した。

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 祝日ということもあって、(レストランで働いている)忙しかった。

 わたしは働きながら、パニックになる一歩手前に居た。

 まだ、忙しい状況に立てる精神状態ではない。

 統合失調症なのである。

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 もうだめだ、と、思った。

 このままこの仕事を続けるのは無理だと、思った。

 そしてただいま、わたしは精神障害者の手帳を申請している。

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 わたしは、精神障害者なのだ。

 決めつけはよくないけれど、そういう状況なので仕方がない。

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 そして、わたしは、

 普通の仕事にはもう「就けない」のだな、と、思った。

 わたしは、

 たくさんいままで頑張ってきた、つもりである。

 たくさんの仕事をしてきた。

 精神障害者手帳を持っている人が、どういう状況って、大体が入院していたり、あるいは「作業所」で微々たる「工賃」をもらって働いているのだ。

 つまり、「普通の仕事」というものが、できない「障害」を持っているのである。

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 いいわけにはしたくない。

 だけど、そういう現状を知ってほしいと、わたしは思う。

 そして、わたしにも、「がんばってきたね」と言ってほしい。

 わたしは、わたしなりに、がんばってきたのだ。

 でも、できなかったんだ。

 そのことを、どうか、「責めない」でほしい。

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 なんだかぐちになってしまった。

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『ダ・ヴィンチの手記』の動画を貼ったのは、

 これを聞きながら、「あ、別に『学校』に行かなくてもいいんじゃないか」と、思ったからだ。

 これは、不登校児のことを考えていて、

 思ったことである。

 学校、あるいは義務教育というものは、日本の国の政策の一部であって、

 我々人類が、どうしてもやらなければならないことでもなんでもないのだ。

 まあ、日本人なので、「義務」なのではあるけれど、

 それほど、たとえば「学校に行けない」からと言って、嘆く必要はないのではないか、と、わたしは感じた。

 最近の小説で話題となっている『正欲』というものがある。

 

 実は最後まで読んでいない(途中で本が水浸しになってしまいおじゃんになった)けれど、この小説は「現代」を描いた文学作品ではないかと思う。

 この小説の中に、「不登校児」が出てくる。

 小学生なのだが、学校に行けなくなって、「学校なんて行かなくてもいい」というYouTuberに感化され、自らもYouTubeで動画を発信する子どもが出てくる。

「多様性」というのがこの小説のテーマだと思うけれど、

 まさに現代の多様性(とは何か)を描いている作品だと思う。

 ただ、最後まで読んでいないので分からないが、ふとそんなことを思い出した。

 そして、たとえばだけど、わたしは、「普通の仕事に就けない」可能性があるけれど、

 だからといって、それを非難することは「しなくてもいいんじゃないか」と思えた。

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 わたしはよく、自分で自分を責める。

 ただでさえ、自分で自分を責めているので、誰かに責められるともうだめになってしまう。

 死にたくなる。

 むしろ、「生きていてごめんなさい」と、なる。

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 いったい、わたしたちは、なんのために生まれてきたのだろうか。

 いったい、わたしたちは、なんのために、生まれてきたのだろうか。

 いったい、わたしたちは。

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 今一度、常識を疑うことが大事なのではないかと、わたしは思います。

「学校に行くことが、義務」

「働かなくてはいけない」

「正社員というのが、正しい生き方」

 そういう常識を、今一度疑ってみることが大事なのではないかと、思います。

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 精神障害者であれ、身体障害者であれ、子どもであれ老人であれ、誰であれ、

 我々は生きているのである。

 そしてまた、幸福を享受する資格はあるのである。

 苦しむ必要なんて、ないと、わたしは思います。

(仏教的には違う見解かもしれませんが)(あるいはキリスト教とか)

 もっともっと、みんながみんな、「ラク」をして生きていていいと、思います。

 どうして生きることが苦行なのでしょう。

 どうして、日本は自殺率が高いのでしょう。

 どうしてそんなに、「承認欲求」を満たさなければいけないのでしょう。

 そんなこと、ないのです。

 もっともっと、ラクをして生きる術がきっとある。

 わたしはそう思います。

 もしかしたら、「貨幣制度」だって、おかしいのかもしれません。

「恋愛」だって、「結婚」だって、おかしいのかもしれません。

 我々はどのように生きるべきか、今一度、考えるべきなのではないでしょうか。

 

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