今は過去であり過去は今なり

エッセイ

おじいちゃんと玉

 まずはこの玉を見ていただきたい。

 この玉はガラスで出来ていて、私が三十年以上持っているものだ。

 正確に言うと、この玉は「球」ではなく、下が平らになっていてしっかりと置くことができる。

 一般的なモノの言葉で言うのなら、このガラス玉は「文鎮」なのだ。

 だけど私はこれを文鎮として使ったことはない。

 そもそものところ、これを手にしたのは私がまだ小学生に上がる前のころだったと思う。

 幼稚園、五歳とか六歳とかそれくらいだろうか。

 たしか、静岡の「浅間神社」だかで、「なんちゃら市」みたいなのが開かれていて、そこに連れていってもらったのである。

 連れて行ってくれたのは祖父と祖母。おじいちゃんとおばあちゃんである。

 これを手にしたときのことをよく覚えている。

 フリーマーケットみたいな感じで地面にシートを敷いて商品が並べられていた。たくさんのガラス細工があった。

 幼かった私はその中でこの「玉」に目を惹かれてしまい、「これがいい!」と言ったのだ。一目惚れであった。

 そしておじいちゃんに買ってもらった。

 そのとき、妹と兄は「大きなオハジキ」を買ってもらっていた。

 私はその「玉」を大事にした。

 とても綺麗なのである。

 ガラスの中に「海」があって、そこに水泡があり、地上、あるいは宇宙が詰まっているような、そんな壮大なイメージを湧き立てる何かがその「玉」にはあった。

 ちょっと考えてみてほしい。

 小さい頃に買ってもらったものを、普通の人は三十年以上持ってなどいない。

 だけど私は、それを大事に大事に持っているのである。

 それを大事に持っている一番の理由は、「おじいちゃんに買ってもらった」ということだけだ。

 私が子どもだったころ、私の親は私が欲しいものを好きに買ってはくれなかった。

 父はほとんど家に居ないので、親という認識は「母」一人であった。

 母は割と厳しいので、簡単に物を買ってくれない。

 だけど、そういうときの救世主がおじいちゃんおばあちゃんだったのだ。

 月に一度来るか来ないかの祖父母。

 子どもからしてみたら「神様」みたいな存在である。だって、「欲しいもの買ってくれるから」。

『ちびまる子ちゃん』でなんでまる子が「おじいちゃん大好き」なのかよく分かる。

 親は教育的使命(と責任)を持っているので厳しくなりがちであるが祖父母はそうでないのでお気軽に孫に優しくできるのだ。

 なので孫はおじいちゃんおばあちゃんが好きになるのだ。

 さて、そんなわけで手にした私の宝物であるその「玉」。

 それから三十年以上経った今、私が普段暮らしている「座敷」に置かれている。

 座敷とは、祖父母の家の座敷である。

 私は、紆余曲折があって、現在祖母の家に「居候」をしているのである。

 その一室を使わせて貰っている。

 そして、その座敷の上には「祖父」と「曽祖父」の写真と肖像画(?)が飾られている。

 そう、祖父、おじいちゃんは他界したのだ。

死について

 おじいちゃんが亡くなったときのことはよく覚えているし、腎臓を悪くして入院していたときのことも覚えている。

 私はその時ボカロPを目指していて一曲曲を作ったのだ。

 それを雑誌に投稿したら、採用されて、しっかりとその雑誌に載っている。

 その1週間後に祖父は死んだ。

 葬式でのこともよく覚えている。

 普段涙なんか見せない祖母が泣いているのを始めて見た私は思わずもらい泣きしてしまった。

 身内の死は、大きな喪失感をもたらす。

 それから一周忌、三回忌、七回忌とあって、すでに十年が過ぎた。

 私は、祖父の死をまったく悲しんでいない。

 祖父が居なくなって、家には祖母だけだ。(たまに叔父がくる)。

 それが当たり前になったので、祖父が居なくても別になんてことないのである。

 でも、それで祖父が風化した、忘れ去られたというわけでもない。

 朝、朝食を作ったあと、お仏壇にご飯と水とお茶をあげ、線香に火を点ける。そして、「おりん」を「チーン」と鳴らす。

 何を思うわけでもないが、私は仏壇の前で手を合わせる。

「おじいちゃん、ボクたちは元気でやっているよ。おじいちゃんも天国でボクたちのことを見守っていてね」

 なんてことはまったく考えない。ただ、習慣なので、ご飯を上げて「チーン」と鳴らすだけである。

 祖父はもう、「居ない」のだ。

 そしてそれが、「普通」となったのだ。

 本当の意味で、祖父は「成仏」したのだと思う。

因果

 最近私は平安時代を舞台にした小説を書いている。

 そのため、たくさんのことを勉強している。

 そこで、「空海」が出てくることになった。

 空海。日本に密教を伝えた偉大な僧侶である。

 私が暮らす伊豆にある修禅寺もその空海が建てたものだ。

 私の祖父、祖母の家は「大龍寺」という寺の檀家である。

 檀家は、おそらく徳川幕府の政策によって寺と民衆を紐づけたことによって日本各地に普及している習わしだ。

 その大龍寺は、「曹洞宗」である。

 つまり禅宗で、元は道元である。

 でも、もっと元をたどればお釈迦様、「ブッダ」「ゴータマシッダールタ」へとたどり着くのだが、なんという「因果」であろう。

 私は祖父の骨を拾ったときのことを覚えている。

 やけに「仙骨」がはっきりしていた。あと、頭蓋骨のシミ。

 祖父は、骨となったのだ。

 現在は裏山の「墓」にいる。

 でも、その墓があるのも、この世の中に「仏教」があったからで、ほかにもいろんな歴史の「道」を辿ってここまで来ている。

「因果」だ。

「縁」とかそういうものでも表すことができる。

 そういえば私は祖父が入院していた際に一度トイレの世話をしたことがある。

 トイレに行きたいと言って足の弱った祖父を病院のトイレに連れて行ったのだ。

 そのとき、祖父はこう言った。「うんち漏らしちゃったけどいいよね」である。

 私も別にうんちを漏らしちゃったことなんてどうでもよかったので看護師を呼んだ。

 ただ、あの祖父が「うんち漏らしちゃった」と言ったことがなんとも可愛く思えたのだ。

 そして、私は祖父のペニスを見ていた。随分小さなペニスだった。

私という奇跡

 大人なら分かっていることだと思うが、その祖父の小さなペニスが、「この私をこの世に降臨させた要因の一つである」と言える。

 祖父が生きていなかったら「私」は存在しないし、その祖父が祖母と結婚していなければこの私もいないのだ。

 病院の便所で見た小さなベニスを見て、私はそこに「神」を感じた。

 神、それはキリスト教の言う「父」でもなければ神道の天照大御神でもない。イザナギでもイザナミでもない。

 もっと根本的なものだ。

 神という言葉を「理」にしてもいいし、「物語」にしてもいい、「因果」とか、「運命」とか、あるいは「プログラム」でもなんでもいい。

 とにかく、人知を超える何かが、「私」を作ったのだ。

 おじいちゃんがお見合いをしたときに、おばあちゃんを認めなければ私の母も生まれなかったし、私の母と父も出会うこともなかった。

 私の父のまた父は戦争に出かけたらしいので、そこでもし、アメリカ兵によって殺されていたら父は存在しないので私も生まれない。(水筒に弾が当たって助かったらしいよ)。

 そういう因果について考えればきりが無いのであるが、つまり、「私」という存在は「奇跡」なのである。

 一歩間違えれば私は存在しない。

そして私も死ぬ

 そんな私だけど、神ではないのでいずれ死ぬ。

 私が生まれたのは昭和58年11月30日の午後八時十五分である。

 平成でもなければ令和でもない。もちろん平安時代でもない。

 第二次世界大戦が終わり、日本は戦後となり、戦後を越え、高度経済成長を終え、昭和の若者であった両親が出会い、私は生まれた。

 現在40歳である。

 事故とか病気とかで死なないかぎり私も老人になるだろう。

 老人になって、死ぬだろう。

 なんだか水のようだと私は思う。

 雨が降り、地面に水が染み込み、川になり、海になる。

 海は雲になり、雲は天となる。

 それと私は何も変わらない。

 例えば「ごはん」。ご飯を食べて私は生きている。

 でもそのごはん、米は遠い昔から繋いできた米の種から出来ている。

 おかしな話、日本に稲作が浸透したから私はいるのである。

 毎年私は田植えをしているし、稲刈りも手伝っている。

 米が出来上がるのには、田んぼが必要だし、そこには土とか栄養とか、虫とか水とかあるいは「太陽の光」なんてものが必要だ。

 だから私は「土」であり「栄養」であり「虫」であり「水」であり、「太陽」なのだ。

 そいうことを仏教で龍樹という人が「空」とか言ったか言わないか。

 極論を言ってしまえば、「私がこの世界」なのである。

 そしてまた、この世界は、「私」なのである。

 認識がどうのとか、デカルトがどうのって話になってしまうけど、何が言いたいのかと言うと、「生きるってすごくね」ということだ。

 これは何も「私」に限ったことではない。「あなた」もそうなのだ。

 あなたのご両親や祖父母のことを考えてみてほしい。「米」のこととか、「水」のこととかでも考えてみてほしい。

 全部繋がっているのである。

 だから、私はあなたで、あなたも私なのだ。

「なんで私がお前みたいなおっさんと一緒なのだ。キモい」と思ったあなたはまだこの世界のことを何も知らない。

 もちろん私も同じことを他人から言われたら「うざ」と思う。「頭を取られたスピリチュアル馬鹿」だと思う。

 なんだかこんがらがってきた。

 最近私は、「信じるものは救われる」という意味や、「天上天下唯我独尊」の意味が少しだけ分かった気がする。

 お釈迦様が何を悟ったのかも、私はなんとなく分かると思う。

 そういうことを言うと、僧侶は怒るだろう。

「てめえみたいな凡人が分かるわけねえだろうバカチンが」とでも言われそうだ。

 でも、私はそんなことを言われてもまったく構わないのだ。

 私が「私」であれ、私が私として死んでいく。

 ただ、それだけのことなのだ。カマキリのオスが交尾をしたあとにメスに殺されることと何も変わらない。

まとめ

 私が大切にしている「玉」の価値が伝わっただろうか。

 この玉には宇宙のすべてがつまっているのである。

 朝三時に目が覚めてしまったのでなんとなく文字を書いていた。

 気がついたら五時半になってしまった。

 朝ごはんでも作ろうか。

 

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