かわいいは正義

雑文

 私は、若くてかわいい女の子が大好きである。

 男なら誰しもそうであろうが、ここは「男なら」と言わず、責任を持って「私は」と語る。

 私は、若くてかわいい女の子が大好きだ。

 いつからか、隠れた趣味になってしまった画像集め。

 あるサイトを覗いて気に入った画像があればスマホに保存している。

 いま現在、純粋にかわいい女の子の画像が277枚、ちょっとえっちな画像が103枚、かなりえっちな画像が714枚保存してある。

 すでにもう、1万枚以上閲覧してきたと思う。

 その中で厳選した1094枚だ。

 これからも増えるであろう。

 今日はそんな私のコレクションのほんの数枚を紹介する。

 あらかじめ言っておくが、これはネットで拾ってきたものなので、私が描いたものではない。

 私が描くと、たぶんかわいくはなくなる。

 そんなものは誰も見たがらないだろう。

 まず一枚目。

 これはいま私のスマホのホーム画面になっているものだ。

 なんかこう、いい。

 癒される。

 こんな彼女が欲しい。

 次、

 タピオカミルクティを飲む女の子。

 なんか「もにゅもにゅ」している口元がかわいい。

 目も綺麗だ。

 こんな娘がいたら溺愛するだろう。

 誰にも渡さない!

 最後に、これ。

 なんか惹かれて保存してしまった。

 女の子はたぶん「艦隊これくしょん」の「夕立」だと思う。(違っていたらごめんなさい)。

 もうこの、夕立ちゃんの目と、唇が愛おしい。

 キスしたあとなのか、キスする寸前なのかどうかは分からない。

 キスの途中なのかもしれない。

 でもこの、とてもリラックスしていて、脳の神経もすっかり弛緩していて、頬を紅潮させて、腕を男の体に伸ばしている姿勢にぐっとくる。

 胸の膨らみも感じられるところがなおいい。

 もうなんか、唇だけではなくて、その耳にも、首筋にも、舌を這わせたくなる。

 髪を撫でながら、その体を抱きたい。

 全然えっちな画像ではないのに、エロさを感じる。

 こういう画像が私は好きだ。

 以上、3枚を紹介した。

 みんな、かわいいだろう?

 でも、そもそものところ、「かわいい女の子」の定義はなんだろう。

 見れば分かる、というのはそのとおりだが、それでは定義にならない。

 ずいぶん前に、私は『なぜ美人ばかりが得をするのか』という本を読んだことがある。

 内容をすっかり忘れてしまったので再び読んでみたい。

 かわいい子にしろ、美人にしろ、容姿に優れた女性は得をする。

 これは間違いない。

 子どものころに見たアニメ『らんま1/2』で、主人公のらんまがアイスを買いに行くのにわざわざ「女の子」になって出かけたのが印象的だった。

 男だったら、普通にアイスを買うだけなのだが、女の子になったらんまがアイスを買うと、おまけで1個プラスされていたのだ。

「なるほど、女の子は得をする」と、そのときの私は思った。

 そういえば、はじめて恋をしたアニメのヒロインは「ナウシカ」だった。

 アニメや漫画ではたくさんかわいい女の子が出てくる。かわいいだけではなくて、かっこいい女の子や、魅力的な女の子も出てくる。

 たくさんいるので、ここでは紹介しきれない。

 文学ではどうか。

 すぐに思い浮かんだのは、川端康成だ。

『伊豆の踊り子』だったかな? 文章を読みながら、目の綺麗な女の子に見つめられている気がした。

 流石ノーベル文学賞受賞者である。

 映画だとどうだろう。

 マチルダかな。

『レオン』に出てくるナタリーポートマン演じる女の子、それからしばらくはナタリーポートマンが出る映画を探しては観ていた。

 音楽だと「YUKI」と「たま」である。

 ジュディアンドマリーのYUKI、ヒステリックブルーのたま。

 高校、大学のころ、イヤホンでその歌声に聴き惚れた。

 かわいい女の子は私を元気にさせてくれる。

 かわいい女の子が集まる場所。

 それは会社でも、学校でも、銀座でも六本木でも原宿でもなく、キャバクラだ。

 私は20代の前半ごろ、キャバクラで働いていた。

 若くてかわいい女の子が集まっている職場だったが、まったく元気にはならなかった。

 生意気なのである。

 よくパシリに使われた。ストッキングや生理用品や頭痛薬なんかをよく買いにいった。なぜだか私の自腹だった。

 私には担当の女の子が20人くらいいた。

 それらすべての女の子のご機嫌を取らなければいけなかった。

 励ましたり、褒めたり、食事をご馳走したり、プレゼントを与えたり、時にはゲロの処理までしなければならなかった。

 どうして客はこんな生意気な女どもとおしゃべりするためにわざわざ高いお金を払ってやってくるのだろうか疑問だった。

 みんな結局のところ、「したい」だけなんじゃないかと思った。

 なんだか男の虚しさを感じる。

 キャバ嬢の中には、「まくら営業」をしていた子もいるし、純粋にお客さんと交際に発展した子もいる。

 なので、キャバクラ恋愛は幻想などとは言わない。

 だけどそのときの私はまったく客の気持ちが分からなかった。

 女に疲れてもいた。

 女なんてうんざりだと思っていた。

「かわいければ何でも許されると思うなよ」と思っていた。

 だが、その仕事を辞めたあとに、私は自分の担当の女の子と付き合うことになった。

 付き合っていくうちに、女に対する憎しみが消えていった。

 かわいいところがあると思えるようになってきた。

 その、「かわいさ」とはいったい何なんだろうとたまに思う。

 もちろんその子の容姿はかわいかった。声もよかったし、体の相性もよかった。

 かわいかった。

 女の子の魂の中には、誰しもそんな「かわいさ」が隠れているのかもしれない。

 私は若くてかわいい女の子が大好きだが、ときどき老婆をみても「かわいい」と思ったりする。

 熟女好きではない。

 なんていうか、仕草や話し方や表情なんかに、「女の子」を見る。

 このおばあちゃんもきっと若い頃はかわいくてモテてたんだろうなと推測できる。

 そういうおばあちゃんは、いくつになっても「乙女」である。

 そろそろ、まとめようか。

「かわいいは正義」という言葉がある。

 私はその言葉に賛成する。

 かわいいだけで何でも許されるのではない。

 外見だけがかわいくても、中身がどうしようもない女はかわいくない。

 全部を含めてかわいいと感じられる女の子が正義なのだ。

 ときにはその女の子のかわいさで、戦争を止められるだろう。

 女の子は誰もがかわいくなりたいと必死だ。

 服装にしろ、メイクにしろ、喋り方にしろ、表情にしろ、たくさんの努力をしている。

 なので、我々男たちは、少しでも女の子のかわいさを見つけたら正直に「かわいいね」と言ってあげよう。

 かわいいと言われて育った女の子はよりかわいくなる。

 世界中が、かわいい女の子であふれるようになるといいな。

 そうそう、私は独身である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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