今日は何もないからえろいことでも考えよう

雑文

 休日を除いて、私はいつも仕事が終わったあと、車で家に帰りながら「今日はどんなブログを書こう」か考える。

 今日もそうした。

 けれど、何も浮かんでこない。

 毎日書いていればそういう日もあるだろう。

 なので今日は適当に書きます。

 何も考えずに書きます。

 アイキャッチ画像は特に意味はありません。

 現在の私のパソコンの壁紙にしている絵を載せました。

 先日、おばあちゃんがやってきて、「あんたこの女の子が好きだねぇ、いつも見てる」と言ってきました。

「別にそんなんじゃない、ただの待ち受け画面だよ」と答えましたが、なんだかいちいちそんなことに茶々を入れないで欲しいと思いました。

 エロ画像でなくて良かったと思いました。

 今日はネタがないからえっちなことでも書くかな。

 私は自慢じゃないが毎日えっちなことを考えている。

 だけど、変態ではない。

 健全な精神なのだ。

 さてさて、そんな私がいままでエロにつぎ込んできたお金はどれくらいなのだろうか。

 たぶんけっこうすると思う。

 ピンからキリまで数えたら100万を超えるのではないだろうか。

 ちなみにいまはエロ本なんてものは持っていない。エロビデオも持っていない。

 便利な世の中で、えっちな画像はスマホの中に保存してあるし、アダルトな動画もパソコンの中に保存してある。

 なので、机の中とか本棚とかベッドの下なんて見ても何も見つからない。

 ただしちょっとエロい描写の入った漫画が本棚に一冊ある。

 まあ誰も見ないだろう。

 さて、そんな私のエロ魂だが、いったいいつから始まったのか遡って思い出してみた。

 いちばん最古の記憶は幼稚園の年長のころで、好きな女の子がジャングルジムで遊んでいて、下からパンツが見えたので、それで興奮したのがはじまりだ。

 次に思い出されるのは兄と一緒にピアノの教室に通っていたのだけれども、待ち時間に空いている教室に入って、その黒板にひたすら「おっぱい」の絵を描いていたころだ。

 いま思えば謎の行為だが、そのときはそれだけでドキドキしていた。

 そのあとはあれかな「文字」だ。

 小学校の高学年になって、保健の授業がある。

 そこで性教育を学ぶのだが、保健の教科書に載っている女性の裸のイラストや単語などを積極的に見ていた。

 そういえば図書室でクラスメートの山田くんと国語辞典で「卑猥」な言葉を引いては楽しんでいた。

 なので私は卑猥な言葉に詳しい。

 次に興奮した思い出は「エロ漫画」である。

 小学校6年生のころだ。

 誰かが持ってきた成人向けのエロ漫画。

 それを放課後、仲のいい友だち同士で集まって覗き合っていたのだ。

 なんとそこに、そのとき好きだったさおりちゃんがいた。

 そして、ありがたいことに、さおりちゃんはその漫画のセリフを朗読してくれたのだ。

 とても気持ちを込めて、セリフを朗読していた。

 少年であった私は勃起していたと思う。

 そのあとは中学だ。

 上杉というクラスメートが放課後黒板を使ってセックスについて熱く語っていた。

 よくある女性器のイラストと、ちんこの絵を描いて、「いいかお前ら!」と教室の隅まで響く声で熱く「結合」について語っていた。

 私はケラケラ笑いながら見ていた。

 だが、私も上杉もまだそのころはセックスをしたことがなかったし、ただ、知識の上で「知っている」だけであった。

 だけど、ただ「ちんこ」とか「ま○こ」とかいってはしゃげる年代というのはなかなかにプレシャスだ。

 そういえば中学1年生のプールの授業のことをはっきり覚えている。

 青木くんというクラスメートがいて、彼だけが腋毛が生えていた。

 腋毛が生えているので、当然下も気になる。

 なのでみんなでよってたかって青木くんのちんこを見せてもらった。

 立派だった!

 去年まで小学生だったとは思えないほどの立派な代物だった。

 そう、中学生の男子にとって、ちんこまわりの発育状況は切実だったのだ。

 毛は対して問題ではなかった。

 我々男子にとって、切実な問題だったのは、「皮」である。

 ムケているかムケていないかが重要だった。

 女の子が胸の発育を心配するように、男の子はペニスの発育を心配していたのだ。

 私は必死だった。

 トイレでおしっこをするたびに、お風呂で全裸になるたびに、私は自分のペニスの皮を引っ張っていた。

 これがまた痛い!

 ムケない!

 本当に痛い。

 これは、男の子にしか分からないものだと思う。

 そして私は、中学生のころに精通を迎えた。(詳細は以前書いたと思う)。

 さて、少し性教育や発育の話になってしまったがまたエロの話に戻そう。

 それは中学3年生のころ、イタルという男子が兄から借りてきたという「無修正ビデオ」を学校に持ち込んできていた。

 その噂はすぐにクラス中に広がった。

 放課後みんなで見ようという話になった。

 自分たちのクラスの隣が何かの準備室で、誰でも入れて、そこに1台のテレビデオがあったのだ。

 もう、わくわくしかない。

 放課後、みんなが集まった。男子だけではなく、女子もいた。

 見張りを数人立たせて、試写会が始まった。

 洋物だった。

 率直な感想を述べると、なんだかよく分からなかった。

 確かに「結合部分」が見えるのだが、あまりよく分からなかった。

「グロ」と誰かが言ったような気がする。

 中学生の思い出なんてそんなものかな。

 あ、白鳥さんのおっぱいが大きいことは有名だった。

 高校生になり、エロに対する興味は更に高まっていた。

 私は、『東京大学物語』とか、『桜通信』なんていうエロ要素満開の漫画を買って読んでいた。

 隠すのもあれだったので、ちゃんと本棚に並べておいて、ちゃんと妹にも貸して読ませていた。

 夜のテレビ番組も見たりした。

 トゥナイト2とか、あとタイトルは忘れたがそんなものだ。

 えっちな情報やおっぱいが見れたので興奮していた。

 エロ本は、なかなか買うことができなかった。

 その代わりに、男性情報誌「ホットドックプレス」を買ってSEX特集を熟読していた。

 たぶんそこでヘアヌードを目にすることになったと思う。

 高校の3年生くらいのころだろうか。

 エロ本は買うことができなかったが、「写真集」を買うことに成功した。

 家から徒歩でいける距離の本屋さんは顔がバレているので、わざわざ自転車で駅前の戸田書店まで行って買った。

 しばらくそれがおかずになる。

 これはしっかりクローゼットの奥に隠した。

 高校時代の思い出はそんなものかな。

 そして大学生。

 私はいまだに童貞だった。

 そのとき私は学生寮にいて、友だちが多くできた。

 誰かが借りてきたエロビデオをみんなで観賞したりした。

 どうでもいい話だが、その寮は風呂とトイレが共同で、よく誰かと一緒に風呂に入った。

 えびちゃんのちんこのでかさに驚いた。

 通常サイズで、私の本気モードのスケールを超えていたのだ。

 あのでかさで勃ったらどれくらいになるのだろう。

 そうそう、そのころ、私とカズマサは足繁く「信長書店」に通っていた。

 アダルト専門店である。

 何を思ったのか、カズマサはAV女優の等身大パネルをもらってきて、部屋に飾っていた。

 目立ちすぎておかずにもならない。

 そして私は、そのころになるとモザイクのうっとうしさに辟易するようになった。

 中学時代に一応無修正のビデオを見たけれど、まだはっきりとは分かっていなかったのだ。

 まだ見ぬ女性器に対する憧れが募っていた。

 怪しいビデオショップを探すようになったのはそのころである。

 私はよく、車を運転していた。

 ところどころにある無人のビデオショップの小屋が気になっていた。

 ある日、私はそこに立ち寄ることになる。

 アダルトビデオの自動販売機が置かれていた。

 そこには、目を見張る単語が並べられていた。

「無修正」と、あった。

 私は、まわりに人がいないか確認してから、その無修正ビデオを買った。

 どきどきしながら家に帰る。

 友人からもらったテレビデオにビデオを入れる。

 私の胸は高鳴った。

 だが、大人の世界はそんなに甘くはなかった。

 しっかりと修正されていた。

 それからしばらくは私はそういった無人のビデオショップを漁るようになった。

 ひどかったのは、ただのイメージビデオだった。

 確かに無修正だが、女の子が裸になっていなかったのだ。

 私は何度も騙され、何度も千円札が飲み込まれていった。

 と、ここまで私のエロ履歴を書いてきたが、そろそろ読むのも飽きてきたかな?

 まあいいや、私は書いていて楽しい。

 だけど、ここから先はちょっと生々しくなってくる。

 大学を中退し、夜の店で働くようになった私は月約40万の給料を貰っていたがそのほとんどを風俗に費やしていた。

 いちばん贅沢をしたのは、私の中で「ゴールデンコース」と呼ばれるルートだった。

 まず、キャバクラへ行く。

 次に、セクキャバへ行く。(たしか「湯ーとぴあ」というお店だった。女の子がバスタオル一枚で接客してくれるのだ。もちろんおっぱいは見れるし、揉めるし、しゃぶれる)。

 その後、ヘルスへ行く。

 そこで、抜いてもらう。

 そして最後に再びキャバクラへ行き、最後にラーメンを食べて、タクシーで帰るという贅沢なプランだ。

 それに加えて、京都ホテルオークラのラウンジに通ったり、レストランでワインとコース料理を頂いてから夜の街に繰り出すこともしたりした。

 まあ、バカだったが、いい経験である。

 ちなみに、私は「ぼっきーに」という率直なネーミングのお店の、「れもんちゃん」という女の子を贔屓していた。

 れもんちゃんは、私に徳永英明を教えてくれた。

 徳永英明も、まさかこんなところで紹介されるなんて夢にも思わないだろう。

 と、まあこんなところである。

 ここから先は私と元彼女たちの営みになってしまうので、割愛する。

 それに、小中学生のころの話は「かわいいものだ」と思えるけれど、大人になってからの話はなんだかリアルだし、「キモい」と言われそうなのでやめておく。

 書くことがないと言っておいて、なんだかんだでしっかり書いてしまった。

 やっぱりエロは強いね。

 ものすごく個人的なことを赤裸々に書いたのだけれども、できればこの記事をゲラゲラ笑いながら読んで欲しい。

 どちらかというと、男性諸君にはいくらか共感していただけると思うし、面白い内容だと思う。

 私は書いていて面白い。

 女性諸君の読者さんがどんな風に思うかまではまったく考えていない。

 できれば引かないでおいて欲しい。

「まあ男なんてそんなもんよね」くらいに暖かい目で見守って欲しい。

 今日も読んでくれてありがとう。

 おわり。

 

 

 

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