難しいことは分からないけど、楽しんだもん勝ちだと思う。

雑文

 一本目の仕事を終えたあとに私は外に出た。

 ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。

 地面にしゃがみ、煙を吸っては吐いていた。

 天気は晴れで、風が少し冷たい。洗濯物がはためいているのが見えた。

 足元にはカマキリの死骸があった。

 二日前にも見ていたので、もうそれは生きていないことが分かる。

 ひっくり返っていた。

 それはどこからどう見てもカマキリだった。

 カマキリの形をしていたし、カマキリの色をしていた。

 大人のカマキリだろう。

 大人ということは、いつかこのカマキリは卵から生まれて、何か食べ物を食べて大きくなって、何かの原因で死んだのだ。

 オスなのだろうか、メスなのだろうか。

 交尾はできたのだろうか。

 なぜ死んだのだろう。

 鳥にでも食べられればいいのだが、このまま風にさらされて砂になるのだろうか。

 私の頭の中では音楽が流れていた。

『脳漿炸裂ガール』である。

 有名な曲なので知っている人も多いと思う。

 その中に、こんな歌詞がある。

「どうせ100年後のいまごろにはみんな死んじゃってんだからワイワイ」みたいなやつである。

 そうだねと思った。

 いまから100年後には私はこの世にいない。

 もしかしたら長生きをするかもしれないいまの赤ちゃんは100年後も生きているのかもしれないけれど、その赤ちゃんだっていずれは死ぬし、みんな死ぬのだ。

 100年、と私は考えた。

 100年前は大正時代だっただろうか。ひいおばあちゃんが生まれた年代だろうか。

 その100年前は江戸時代かな。ひいおばあちゃんのひいおばあちゃんが生きていた時代なのだろうか。

 その100年前は戦国時代かな。どっかに自分のご先祖様が生きていただろう。

 そんなことを考えていると、人類の歴史なんて浅いものだと思った。

 私はいま、全世界の最先端の中にいる。

 過去の人たちは、過去の時代の最先端で生きていた。

 タイムマシンはおそらく発明できないだろう。

 時間というものは物質の流れで、戻ることも進むこともできないのだから。

 ときどき私は江戸時代に生きていたであろう村人のことを思ってみたりする。

 その村人にも何か悩みがあったのかもしれない。

 苦しみがあったのかもしれない。

 好きな野菜でもあったのかもしれない。

 好きな人がいたのかもしれない。

 夏には蚊にうんざりしていたのかもしれないし、冬には寒さに凍えていたのかもしれない。

 たしかにこの世に存在していたであろうその村人は現在は居ない。

 誰もその村人のことなんて考えないし、知らない。

 でも、いたのだ。

 その村人と、いまの自分を同化させる。

 遠い未来、私はその村人と同じになる。

 私は生きていく中で、そりゃ悩みとか、喜びとか、楽しみとか、まあいろいろある。

 蚊は嫌いだし、寒い冬には布団にくるまる。

 今日の朝ごはんはごはんとお味噌汁で、夕飯はカレーだった。

 その食べ物は、いずれうんことなるだろう。

 いまは「肥溜め」なんてものはないから、そのうんこは次の命に繋がることはない。

 下水道を流れていって、人工的に処理されて、海にでも行くのだろうか。

 そして私は年をとり、いずれ死んで、時が経てば誰も私のことなんて考えもしない。

 何か歴史に残る作品でも残せばまた別なのかもしれない。

 歴史に残る功績でも残せば名前と写真くらいは残るかもしれない。

 でもきっとそんなものはないだろう。ウィキペディアにも載らない。

 ただの庶民だ。江戸時代の村人と同じだ。

 でもその「歴史」は、いつまで残すことができるのだろう。

 地球も惑星なので、いずれは消滅する。それは間違いのないことだ。

 何億年先になるのか分からないけれど、地球はなくなる。

 そのころには、人類は宇宙へと旅立って、歴史と技術と知識と命を別の惑星へと運んでいるのだろうか。

 まあ、私の知ったこっちゃない。

 もしかしたら遠い昔にとても発展した星があって、滅んでしまったこともあるのかもしれない。

 宇宙人のことは知らないが、地球以外に知的生命体がいることは多分間違いないだろう。

 宇宙も広いのだ。どっかにはいる。ただ遠くて発見できないだけだ。

 最近午前4時頃に起きるのが習慣になっている。

 起きて、布団から出て、着替えて、トイレに行って、外に出て煙草を吸う。

 玄関を出て、端っこにしゃがむのだが、ちょうど左側の上に北斗七星が見える。

 その大きさに恐怖を覚える。

 空気が澄んでいるのか、時間帯の問題なのか分からないけれど、夜に見る空よりもたくさん星が見える。

 細かい星まで見える。

 ほぼ毎日見る星だけど、この星も遠い宇宙に浮かんでいるのだなと思うと、なんとも不思議な気持ちになる。

 そこに存在するのは間違いない事実。

 その星たちは、ただの星なので、地球のことなんて何も考えていないし、人類のことなんて気にもとめない。

 私に恋人がいないこともたぶん気にしていない。

 ただいるだけだ。

 哲学という学問があるが、私には哲学というものの意義がちょっとよく分からない。

『ソフィの世界』という哲学の入門書みたいのがあって、割と面白く読んだ記憶がある。

 哲学っていったい何なんだろう。(←この「何なんだろう」というのが哲学だと言えるのかもしれないが、私は知らない)。

 宇宙の真理を人類が解き明かして、どこにたどり着くのだろう。

 煙草一本を吸い終えるあいだに、そんなことを考えていた。

 なんというか、いまの私は鷹揚だ。

 細かいことは気にしない。

 何かに怒っている人がいるが、いったいその人は何に怒っているのだろう。

 何かに不満を持っている人がいるが、いったいその人は何に不満を持っているのだろう。

 なんだか人々のそんな煩悩なんて、瑣末なもののように思えてくる。

 どうせ100年後のいまごろにはみんな死んじゃってんだからワイワイである。

 どうでもいいとさえ思える。

 虚しいのとは違う。厭世的に物事を見ているのではない。

 むしろ逆で、いまこの瞬間に享受しているものすべてが「有難い」のだ。

 それで、いいじゃないかと思う。

 うちのおばあちゃんは毎日何かに文句を言っているが、残り少ない人生なのだから、「まったく」という代わりに「ありがとう」って言った方が気持ちがいいんじゃないかなと思ったりする。

 なんだか話がまとまらなくなっちゃったな。

 今日は、そんなことを思っていました。

 ところで、たしかに生きていたカマキリの小さな魂は何処にいったのだろう。

 また何かの命に吹き込まれるのかな。

 

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