お客さんの首を指圧しながら閃いた。
いままでまったく考えてもいなかったことだけど、今日はバレンタインデーであることに気がついた。
そこで、作戦を変更することにした。
笹原さんにチョコレートをあげようと決めた。
仕事は4時までだったが、5時までお店に残っていた。
その時間でないと、笹原さんが居ないからだ。
5時を待って、コンビニに行く。
コンビニに近づき、駐車場を見ると車が1台も止まっていなかった。
「これは」と思ったが、僕の車の前を走っていた車が左にウインカーを出し、駐車場へ入っていった。
む、と思いながらも、いつもよりも断然環境に恵まれていたので僕は落ち着いていた。
車から下りて、少し考えてから煙草を吸うことにした。
いま入っていった車と時間差をつけるためだ。
だけど、煙草を吸っているうちにまた車が1台入ってきた。
ため息に混じって紫煙を吐き出す。
「僕の恋路を邪魔しないでくれ」と心の中で怒った。
呑気に煙草を吸っている場合ではないような気がした。
そのうちにまた1台、1台と車が入ってくる危険性があった。
煙草をもみ消し、コンビニに入った。
だけど、気配がしなかった。
笹原さんの気配がしない。
先週は月曜日に居たから、今日も居ると踏んでいたのに、居ないのだ。
どうしよう、と思いながらもとりあえずお菓子コーナーに向かった。
チロルチョコを買うつもりだった。
いつもの、缶コーヒーと煙草に加え、チロルチョコを2つ買う。そしてそのうちの1つを笹原さんにあげる作戦だ。
実は、この作戦を思いつくまでは「チップ」をあげるつもりでいた。
僕自身チップをもらうことがあって、そういうお客さんのことはしっかり覚えているので、笹原さんに僕のことを覚えてもらうために、チップを渡す作戦だったのだ。
だけど、今日控え室で女性従業員がお客さんからお菓子をもらって「チップだといやらしいから最近お菓子をくれるようになった」という言葉を聞いてギクリとしてしまったのだ。
そうか、チップは「いやらしい」のか。
その言葉を聞けてよかった。危うく僕は笹原さんに「いやらしい人」判定されてしまうところだった。
チップ作戦は止めた。
そして、今日のチョコレート作戦はチップよりも断然「良い」作戦に思えた。
チロルチョコなら20円くらいだし、そして今日はバレンタインデーなのだ。
チョコをあげても、全然不自然じゃない。
それに、余計なセリフを言わなくて済むので一気にハードルが低くなった。
お菓子コーナーを覗く。
「あれ?」置いていない。
チロルチョコが、置いていなかった。
普段あまりチョコを買わないので知らなかったが、てっきり置いてあるものだと思っていた。
他の商品を見渡してみた。
ぐっとくるものがない。
100円で買える小袋のものが最適なように思えた。
それをしばらく睨んでいた。
だけど、と僕は不安になった。
笹原さん、居ないじゃないか。
まさか、今日はバレンタインデーだから、彼氏と一緒に居たくて休みを取ったのではないかと、あまり考えたくないことを考えた。
先日のアイシャドウ、今日の不在。
ため息をつきそうだった。
どうしよう、今日を逃したらこの作戦が使えない。明日以降になると、なんだか不自然になってしまう。
お菓子コーナーの前でしゃがんで眉間に皺を寄せていた。
そのうちに、お客さんも増えてきた。
レジに人が並ぶ、2人、店員さんが入っているがどちらも笹原さんではない。
見てはいないが、分かる。
少し店内をうろつきながら、僕は困っていた。
今日は駄目かと諦めて、いつも買う缶コーヒーを手にしたままノンアルコールビールも手にした。
少しヤケになっていた。
レジに向かおう、そう思って振り返った瞬間に明るい色の髪の毛が見えた。
居るぅ!
居た。ちゃんといた。だけど、どういうことだろう。いつもは2人体制なのに、今日は3人居ることになる。
僕は時計を見上げた。5時半になるところだった。
もしかしたら、笹原さんは5時入りではなくて、5時半入りなのかもしれなかった。
少し僕は待ってみることにした。
なんとなく、カップラーメンを選んでいる振りをしてみた。
だけど、あまり長く居ると不審がられてしまう恐れがあった。
笹原さんに下心を見抜かれてしまってはまずい。
そこでチョコレートのことを思い出し、お菓子コーナーに戻る。
100円の小袋を2つ買うか、と思っていたが、下の方に箱のチョコレートが売っていた。
チロルチョコがまとめて入っているものだった。
僕はそれにすることにした。
気が付くと店内に他のお客さんは居なくなっていた。
だけど、レジにも誰も居ない。
いまレジに向かったら、誰が出てくるのか分からない。
でも、これ以上ここには居られない。
半ば諦めてレジに向かった。
「ありがとうございます」と言って出てきたのは笹原さんだった。
ラッキーだった。商品を置く。
「こんばんは」そう、言えばいいのに、その言葉が出てこなかった。
昨日は「こんにちは」って言えたのに、そのたった一言が言えなくなってしまった。
だけどもう2秒ほど経ってしまったのでタイミングを逃してしまった。
「あと、112番下さい」と言って煙草の棚を見た。
「あれ? ない」112番のところに僕の吸う煙草の銘柄はなかった。
コンビニではときどき商品の場所が変わる。
「変わった、のかな」と僕が戸惑っていると、「14nn番ですね」と笹原さんが言って煙草を取ってくれた。
思わず「あっ!」と声を出して頷いた。覚えててくれていたのだ。だけど、何も言えなかった。
もし、煙草を覚えてくれたときにはそのことを喜んでちゃんと感謝の気持ちを伝えようと思っていたのに、言葉が出なかった。
でも、嬉しかった。それはすなわち、「認知」されているということだった。
嬉しい。
「袋はご入り用ですか?」
「大丈夫です」
「1154円です」
「はい」
「ポイントカードはよろしいですか?」
「あっ、すみません」
僕は少々慌てていた。
カードを差し込み、お会計をした。
そして、「これ、開けられたりします?」と聞いてみた。
チョコが箱に入っているので、開けないと、中が取り出せないのだ。
「はい。ハサミでいいですか?」
「はい。ちょこんと」と言って箱のシールを指でなぞってみたがギャグを言ったわけではない。そんな余裕はない。
切ってくれた。
「開くかな」箱を手に取って開けてみたら、中にさらに袋があったので「あー」と思わず声を出したが冷静にその袋をやぶった。
沢山あるチョコレートの中から青色のをつまんで「はい」と言って笹原さんに差し出した。
手渡しをする。
「ありがとうございます」
なんということだろう。
その瞬間を写真に収めたいくらいだった。
笹原さんが、目を細めて笑ってくれている。
微笑みではなくて、ちゃんと笑ってくれている。
「あ、そんな、いいです」とか拒まれもしなかった。
チョコレートを受け取ってくれて、「ありがとうございます」って、喜んでくれた。
笑って、くれた。
それがまた、可愛い。可愛すぎる。本当に天使だった。
ああ、良かった。
「いつも頑張っているご褒美」という用意していたセリフは言えなかった。
その代わり、僕も少し笑って見せた。うまく笑えたかは分からない。
お店を出る。
こんなに嬉しいことはない。
良かった。この作戦にして良かった。そして笹原さんがちゃんと居てくれて良かった。
車に乗り込んでチョコの箱を指でなぞる。
なんとなくだが、チロルチョコ2つよりも、箱の中のひとつを分けたことがよりスマートな仕草のように思えた。
ナイスなファインプレーだった。
今日は診察があるので家には帰らずに病院へ向かった。
大きな一歩だった。
バレンタイン最高じゃないか。
いままでは面倒なだけだったし、あまり好きなイベントではなかったけれど、バレンタインという日があって良かった。
休憩中か、上がったあとに笹原さんはあのチョコを食べるだろう。
そのときに、僕のことを思い出してくれるはずだ。
それはより深い記憶として彼女の頭の中に残るだろう。
もしかしたら、「なんかいい人」という印象を持ってくれたかもしれないし、純粋に「嬉しい」と思ってくれているかもしれない。
「どんな人なんだろう」「名前はなんていうんだろう」「普段は何をしているんだろう」そんなことを思ってくれているのかもしれない。
出来ればよい印象を持ってもらいたい。
病院は、いつも埋まっている駐車場が珍しく1台分空いていた。
今日はなんてラッキーな日なんだろうと思った。
混んでないところが尚いい。
だけど、変なオチが待っていた。
いつも通される場所ではないところに通されて、「ベッドにうつ伏せになって下さい」と言われた。
イヤな予感がした。
「ズボン下ろせますか?」イヤな予感は的中した。
注射だった。
腰に、注射を打つ。
聞いていない。診察だけかと思っていたのに。聞いていない。
2本、注射を打たれた。
ベッドを抱きながら必死に笹原さんの笑顔を思い出していた。
笹原さんがそばに居てくれるのなら、僕はどんな苦痛だって耐えられる気がした。
お会計を終えて家に帰る。
そして僕は、大きな作戦を決行することに決めた。
コメント
よかったねぇ~🍵
ほんまぁ、あおはるやなぁ~(=゚ ω゚)ノシ💕
ふにゃにゃん♪さんいつもありがとうございます。
良かったです。嬉しかった。
笑顔が最高のプレゼント。