旅行をしたいとわたしは思いました。

エッセイ

 拝啓読者様 いかがお過ごしでしょうか。

 わたしはいま、自分のアパートでこれを書いています。

 暑いので、全裸です。

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 令和5年7月18日。

 夏。

 窓の外では蝉が元気に鳴いています。

 この蝉も、きっと7日後には死ぬのでしょう。

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 死について、考えました。

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 この世に生きる誰にでも訪れるもの。

 死。

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 わたしも、いつかは死ぬのです。

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 限られた命のなかで、「何をしたいかな」「何ができるのだろうか」

 そんなことを考えていました。

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 その中のひとつに、「旅行がしたい」というものがありました。

 旅行。

 わたしは、今まで碌に「旅行」というものをしたことがありません。

 それでもたった一度だけ、小学生の頃に母に広島に連れて行ってもらったことがあります。

 うちは、あまり裕福な家庭ではなく、母子家庭だったので経済的にも余裕のない生活をしていました。

 それでも母は、わたしたちきょうだいのことを想ってのことでしょう。

 旅行につれていってもらいました。

「広島」です。

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 なぜ広島なのかというと、

 その年、日本は戦後「50周年」でした。

 なので、この旅行のメインは広島の平和記念公園および資料館の見学でした。

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 ただの楽しむだけの「旅行」にしないところが母らしいです。

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 わたしの住んでいたところは静岡県です。

 静岡から広島まで、わたしたち家族は「ブルートレイン」で行きました。

 寝台列車。

 新幹線のほうが早いのに、わざわざブルートレインにしたのはおそらく母がわたしたちにその体験をさせたかったからでしょう。

 小学5年生のわたしはとてもそのことが楽しみでした。

 初めて乗る、ブルートレイン。

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 目に映るものすべてが新鮮でした。

 個室のある電車。

 折り畳み式のベッド。

 廊下。食堂。トイレ。

 あの空間はまるで、拡張した「おしいれ」のようでした。

 わたしは子どものころ、よくおしいれの中で遊んでいました。

 かくれんぼにも使うし、電機とマンガ本をもってみたり、絵をかいたり、あるいは寝たり、

 兄弟喧嘩をして、居場所がなくなったときの避難場所であったりしました。

 そのおしいれが、さらにかっこよく、機能的な空間となったものがブルートレインの個室でした。

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 広島駅に着いて、そこから旅館へ向かいます。

 ホテルではなくて、旅館だったと記憶しています。

 旅館に着いてからわたしは泣きました。

 お気に入りの時計をなくしてしまったからです。

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 ガチャガチャで取った腕時計。

 それをわたしはハンドバッグの取っ手につけていました。

 それを、駅で落としてしまったのです。

 駅か、あるいは移動の途中のどこかで、落としてしまった。

 あとから考えればそれも当たり前のことです。

 腕時計なのだから、ベルトが緩んでいればはずれる。

 腕なら固定されるけれど、バッグの取っ手なんかにつけていたら緩んでとれてしまう。

 どうしてそんな当たり前のことに気が付かなかったのか。

 わたしはとても後悔しました。

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 いつまでも泣いているわけにもいかないので、わたしたちは目的地に向かいました。

 原爆ドーム。平和記念公園、資料館をめぐりました。

 歴史の教科書に載っていたものが目の前にある。

 そのことに感動しました。

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 母はちゃっかりしているので、わたしに「宿題」を出していました。

「この夏休みの自由研究は原爆について調べなさい」でした。

 わたしは、小さいころから、アニメの『はだしのゲン』をよく見ていたので、原爆について興味がありました。

 なので、あらかじめ図書館で資料を探し、調べ、ノートにまとめていました。

 真面目です。

 そして、現地調査。

 わくわくしました。

 わくわく、というのは不謹慎なのかもしれませんが、そのときわたしはたしかにわくわくしていたのです。

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 今でも記憶に残っているのは、どろどろにとけた人体を模型した蝋人形と、「影」になってしまった跡の「場所」

 原爆ドームが思っていたよりも小さかったことと、あの、「地形」でした。

 あの「地形」というのは原爆投下されたときに、『はだしのゲン』で見ていたあの「地図」のことです。

 それを現地で見たことのリアルさにおどろかされました。

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 その日、何を食べたのかあまりよく覚えていません。

 どんな旅館だったのか、どんなお風呂だったのか、覚えていません。

 次に覚えているのは「岩国」と「厳島神社」です。

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 一泊した翌日、わたしたちは「宮島」へ向かいました。

 厳島神社。

 たしか鹿がいたような。

 水面にある大きな鳥居が特徴です。

 日本三景のひとつであり、世界文化遺産でもあります。

 潮の満ち引きで道が開けるところが神秘的です。

 たしかそこで「もみじまんじゅう」を買ったと記憶しています。

 武田鉄矢でしたっけ、ネタでやっていたの。ビートたけしだっけ? だれかがネタでやっていたまんじゅうです。

 広島のおかしです。

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 次に向かったのは山口県。

 岩国城と、「橋」を観ました。

 なんていう橋だったのか、覚えていないけれど、とてもきれいな橋でした。

 岩国城。

 お城に行くのはわたしのもっともの楽しみでした。

 わたしは日本のお城が好きです。

 プラモデルで作っていたり、絵を描いて楽しんでいたりしました。

 ある日、別居している父と秘密に会っていた時、「誕生日プレゼント」買ってもらいました。

 そのとき私は「大阪城のプラモデルが欲しい」と言いました。

 父は笑って、「変なやつだなあおまえは、ガンダムとかじゃないのか」と言っていました。

「うん、だって、歴史好きなんだもん」

 そんなようなことをわたしは言いました。

 日本のお城の、ビジュアルがかっこいい。

 ガンダムなんかより、数倍かっこいいのだ。

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 岩国城の記憶。

 岩国城は、大阪城とか、姫路城とかと違って、とても小さなものでした。

 お城の中に入れます。

 わたしがまっ先に思ったことは、「小さいな」「狭いな」です。

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 現代の家屋、建物にくらべ、お城の内部はとても狭いです。

 階段にしろ、部屋にしろ、高さにしろ、狭い。

 もしかしたら当時の日本人は身長が低かったのではないかなと考えました。

 そしてわたしは「刀」を観ました。

 佐々木小次郎の刀です。

 その記憶が確かなのかはわかりせんが、わたしはそう、記憶しています。

「物干し竿」がありました。

 物干し竿と呼ばれるとても長い刀。

 わたしはその当時、『YAIBA』というマンガが大好きで、その中に佐々木小次郎が出てきます。

 引用元https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1113299485

 あの小次郎が使っていた刀なのだと、わたしは感動しました。

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 旅行は、そんな感じです。

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 わたしの人生で、たった一度だけ行った家族旅行。

 とても楽しいものでした。

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 旅行は楽しいと知っているのに、どうしてその後のわたしは旅行をしていないのかというと、

 目先のもので忙しく、そこでお金を使ってしまうので、結局旅行に行くお金なんかない、というのが理由です。

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 まもなく40歳になるわたし。

 80歳生きるとして、半分が過ぎました。

 いずれ死ぬ。

 死んだら、もう、「この世界」を見ることができなくなってしまう。

 なら、もっと、この世界を見てみたい!

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 そう、思いました。

 残りの人生、いろんな場所に行って、

 あのころ感じたみたいな楽しみを、また味わってみたいですね。

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 そうだなあ、まず行きたいのはまた広島と、イタリアかな。

 お金貯めないと。

 もしよかったら、一緒に行きませんか?

 コメント、待ってます♡

 おわり。

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