泣きたい。
いま、無性に泣きたい。
ハチに刺されたいとか、おしりをぶたれたいとか、そういうことじゃない。
感動したいのだ。
映画でもいい、小説でもいい、漫画でもいい、アニメでもいい、そういったもので、感動して、涙を流したい。
最後に泣いたのはいつだろう。
おじいちゃんの葬式のときだったか。淡々とした葬式だったけど、柩の蓋を閉じるとき、おばあちゃんが「あんたー」といって泣いたのを目にしてもらい泣きした。
数年前に七回忌だったから、もう10年くらい経つのか。
10年間、泣いていないのか。それって凄いな。(凄いのかな?)
そういえば、子どもというのは、よく泣く。
僕も子どもの頃はよく泣いた。
どうして子どもは泣いて、大人は泣かないんだろう。
強くなったということなのだろうか。
それもあるのかもしれない、でも、それよりは、慣れてしまったということのほうが大きいのではないだろうか。
慣れてしまった。現実に。「まあそんなもんか」と思うようになった。
多分だけど、相当のことがない限りいまの僕は傷つかないし、泣かない。
そもそも、どういうときに自分が泣いていたのかも忘れてしまった。
大抵の大人はそうじゃないかと思う。
だから、涙を求めるのだ。
「全米が涙した」とか、「感動」とか、そういった謳い文句に惹かれてしまう。
どうしてだろう?
なにも泣くことなんてないじゃないかとも思う。
人は、悔しかったり悲しかったり痛かったり、あるいは嬉しかったりして涙を流す。
平和な毎日を送っているのに、なにも好き好んで泣いたりする必要なんてないだろうと思う。
でも、泣きたいと思う僕がいる。
どうしてだろう。
何か、泣くことで脳内に快感物質でも分泌されるのだろうか。
泣くことでストレスが発散されるというのは聞いたことがある。
それに近いのかな。
振り返ってみれば、例えば映画を見て感動して泣くとする。エンドロールの最後まで見て余韻に浸る。そして、涙を拭い取って席を立つとき、何か、すっきりしているのだ。
目に見えるものすべてが、新鮮さを取り戻す。
そういう経験があなたにもあるはずだ。
多分僕はそれを求めているのだろう。
刺激が欲しい、というのもあるのかもしれない。
平凡な毎日に飽きてしまって「つまらない」のだ。
なので、つまるために、人は感動を求める。(つまるためにってなんだ?)
今日、ブックオフに行きました。
特に目的があったわけではありません。ただなんとなく、なんかいい本ないかなーと思ってぶらりと立ち寄りました。
ビジネス書を立ち読みしたあとに、漫画コーナーに行きました。
沢山漫画があります。これをすべて読むのは不可能です。でもきっとこの中には感動できるものがあるはずです。
だれか、おすすめしてくれないかな、と思いました。
感動して涙しちゃうやつです。
あるいは、キングダム並にハマるもの、そういうのないかな。できれば完結しているものが望ましいです。
ああ、泣きたいな。子どもみたいに、ぶぁんぶぁん泣きたい。
今日は、そんな感じです。
ありがと。
おやすみ☆GOODNIGHT☆(;д;)
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