凡人としての生き方~オレはお前らとは違う~

エッセイ

「オレはお前らとは違う」

 と、思うことは、あなたにもあるのだろうか。

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 もうすぐわたしは40歳になる。

 この年にして、ようやくわかったことがある。

 わかった、というか、気づいた、と、いうか、認識の変化がたしかに表れた。

 わたしは、「ただの凡人だった」

 それだけだ。

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 わたしは、小さいころから、「オレはお前らとは違う」と思って生きてきた。

 いつか成功してみせる。

 そう、思ってここまで生きてきた。

 まだ若かったころは、周りを見下してもいた。

 ずっと、夢を持ち続けてきたし、行動もしてきた。

 だけどいつまでたっても、結果は付かないでいた。

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 結果が付かないので、評価はされない。

 有名でもなんでもない。

 ずっと、無名の新人である。

 普通の人なら諦めるだろう。

 たとえばこうだ。

 プロを目指していた元バンドマンが30歳を過ぎ、バンドの解散をきっかけに、どっかの会社の正社員なんかになって、誰かと結婚して子どもが生まれて、趣味で音楽をやって、子どもが成長したらギターでも教えてあげようなんて思って、時々ライブハウスで身内を呼んでライブをして、ライブ後の打ち上げで酒を飲みながら「オレも昔はプロめざしてたんだぜ、若かったよな」なんてことを言って淡い感傷にひたってビールを飲んで、それでもそんな日々の生活の中に、「しあわせ」を見つけている。

 そんな感じのモデルだ。

 若いころ、夢に燃えていたわたしはそういう人間が大嫌いだったが、35を越えたころに、わたしの認識が変わり、「そういう人生もありだろう」と思えるようになった。

 だけどわたしは、そういう人生ではなかった。

 この40年、諦めたことはない。

 夢を持ち続けている。

 今でも音楽を続けているし、小説も書いているし、いつか会社を作ろうともくろんでいる。

 だけど、あがいているのとは違うし、周りを見下してもいない。

 諦めるやつはクズだなんて思ってもいないし、

 夢に、「執着」していない。

 そこが、若いところと違うところだ。

 そしてまた、最近になって、「認識」が変わった。

「オレはお前らとは違う」なんてことは、思わなくなったのだ。

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「オレはお前らとは違う」という概念の根本は、ただの「自意識」でしかなかったのだ。

 それも、無垢な「少年の自意識」だ。

 あなたが男であれば、子どものころに、ヒーローの真似をしたことは、誰でもあるだろう。

 女であれば、プリキュアだったりあるいは物語のお姫様だったり、そういう憧れは、誰にでもあるだろう。

 わたしもそうした。

 かめはめ波の練習だってしたし、いつか空も飛べると思っていた。

「オレは、選ばれし存在なのだ」あるいは、「そうあってほしい」と願っていた。

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 そういった少年の、無垢な「自意識」を、ずっとわたしは持ち続けていただけだったのだ。

 ただ、それだけだったのだ。

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 わたしは仕事でよく失敗もするし、プライベートでも失敗ばかりしている。

 恋愛だってうまくいっていない。

 というか現在交際相手だっていない。

 よくよく考えてみれば、「どこが選ばれし存在」なのだろうと、わたしは今ハイボールを飲みながらゲラゲラ笑っている。

 ただの凡人じゃないか。

 ただの、凡人。

 そのことが、よく、わかったのだ。

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 そう思うと、ちょっと気持ちが楽になれた気がする。

 失敗ばかりする、ただの人。

 それが、わたしだ。

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 いいじゃないか、それで。

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 さんまさんだったかな、こんなことをいっていたのは、

自分が出来る人間だなんて思っちゃいない。出来る人間だって思ってるから、何か失敗したときに落ちこむんだ。

 そうじゃない。

 もともとオレは出来ない人間なんだ。

 だから、ミスをするのも当たり前だし、

 怒られたりもする。

 それが当たり前なんだ。

 だけど、ちょっと何かが出来れば、まわりがほめてくれる。

 そして、『自分でもやればできるじゃないか』って、思える。

 満点を望まなくていい、まんてんなんて、空だけで十分だ

 みたいなことだ。(ちょっと脚色してるかも)

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 なんていいことを言うんだろうさんまさんは。

 ただなんか、

 わたしは、夢という重荷を下ろせたような気がする。

 諦めたのではない。

 夢というものが、「重荷」であったのだ。

 それが、よく見てみたら、ただの見えない「自意識」でしかなかった。

 そのことに気づいたら、なんてことはない。

 軽いものだ。

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 音楽をやりたければやればいいし、

 小説も書きたければ書けばいい。

 会社を作りたいなら、何か現実的な「利益」を追求すればいいし、

 楽しみたいのなら、楽しめばいい。

 それだけだ。

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 夢というものが、

「現実的」になった気がする。

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 それは、「夢がかなう」という意味ではない。

 やりたいことを、「やる」そのためには、「現実」で、「動けばいい」

 という、ただ単純な現実的思考の話だ。

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「あ、親父、ハイボールお代わり!」

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 今夜も、夜が更ける。

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「オレはお前らとは違う」

 違くなんかない。

 ただの、あなたと同じ、

 凡人だった。

コメント

  1.  
     人の一生は、重い荷物を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
     不自由が当たり前だと思えば、不満は生じない。
     心に欲が芽生えた時には、苦しかった時を思い出すことだ。
     我慢することが無事に長く安らかでいられる基本で、「怒り」は敵と思いなさい。
     勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
     自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
     足りないほうが、やり過ぎよりはずっと優れているのだ。

     「徳川家康公の遺訓」を現代風にアレンジしてみました。

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