純文学について

エッセイ

 体調不良により欠勤してしまうという不祥事を起こしたこの一週間が終わり、ようやく休日を得ることができました。

 二日間休みがあります。

 この二日間の休みでやりたいことが二つあります。

 ひとつは、「煙草を吸わないでいること」

 もう一つは、「読書」です。

 なんとなく最近、じっくり本を読んでいないなと思いました。

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 読書にもいろいろあるのですが、

 その中で今日は「文学」について語ろうかなと思います。

 文学、それも、「純文学」といわれるものです。

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 たしかわたしが高校生のころ、「文学ってなんぞや」と思ったことがあります。

 文学って、なんとなく聞くことばだけど、それがいったい何を意味するものなのかあんまりよくわかっていません。

 なんか、国語の教科書に出てくるやつ、とか、夏目漱石とか、そういったものでしょ。

 というざっくばらんな「答え」を導きだしていましたが、最近、40歳になってから、「文学」とは、何か、ということがわかったような気がします。

 わかった、というよりも、「感じた」と言ったほうが正しいです。

 文学とは何か、

 わたしの中の文学とは、エッセンスのことである。

 文学とは、エッセンスなのだ。

 わたしのなかのエッセンスの意味は「調味料」のようなものである。

 たとえば、カレーにインスタントコーヒーを入れるとコクがでる、といったような感じだ。

 この場合、インスタントコーヒーがエッセンスという意味で使っているのだが、

 本当の意味は違うらしい。

 エッセンスの意味は、「本質」とか、「真髄」といった意味を持つらしい。

 どうやら哲学的な用語のようだ。

 もちろん、バニラエッセンスなど香料やエキスの意味もある。

 ふむふむ。

 ならなおさら文学というものにあてはまるような気がする。

 文学とは、エッセンスなのだ。

 文学を読むことで、知ることで、お金持ちになれるとか、お店の売り上げがあがるとか、恋人ができるとか、スポーツカーに乗れるとか、子どもが生まれるとか、しあわせになれるとか、パチンコに勝つとか、そういうことはまったくない。

 どちらかというと、人生にとって「有益」ではない。

 たとえば株式会社の存在理由が「利益」をあげることだとして、それを人生にあてはめた場合、人生の利益にとって文学は必要かといわれると決して必要ではない。

 つまり、お金とか、「利益」とかという概念で語られるべきものではないのだ。

 じゃあ、文学とは一体なんのためにあるのか。

 やっぱり、エッセンスみたいなものだ。

 カレーに「コク」を出す。そういったものだ。

 夏目漱石の『こころ』を読んだところで貧乏から脱出できるわけではないが、「人のこころの何か」に触れることのきっかけにはなるだろう。

 川端康成の小説を読んだところで、伊豆の踊子とにゃんにゃんできるわけではないが、「乙女の美しさ」に触れることができるし、言葉の美しさを感じることができる。

 太宰治を読んだところで、自殺したいとは思わないが、「まああいつはただただ病んでいたかわいそうなやつだったのかもしれない」と憐憫に思うことは出来るだろう。

 二葉亭四迷なんて、名前を見ただけで満足である。「二葉亭」という料亭で「四回」「迷った」みたいなギャグみたいな名前である。

 芥川龍之介の『羅生門』とかはまったく意味がわからないが、『鼻』とかは笑えるし、『蜘蛛の糸』みたいな話は道徳的である。

 志賀直哉なんかは、読んだことがないのでまったくわからない。

 中島敦なんかはもはや古語だ。

 そういった感じで、なんか、人生に「深み」とか、「コク」みたいなものを入れられるものが、「文学」ではないかな、と、思う。

 ただ、残念なことに、

 文学には欠点がある。

 それは、読みにくいことである。

 日本語なのだけど、あんまり理解ができない。

『羅生門』なんかはほとんど理解できなかった。

 古い時代の京都の羅生門で、ひとりのババアが死体からカツラをつくるために髪の毛を奪っていた、みたいな話だけど、「だからなんやねん」である。

 だから、ちょっと娯楽としては読むのが苦痛なので、ついつい小説を読むときは最近の作家のを読んだりしている。

 だけど、文学は良いものだと思う。

 夏目漱石なんかは非常に読みやすい。

 読みやすいし、人生が豊かになる、(気がする)。

 まるで邦画でも見ているような感覚で読める。

 なのでおすすめである。

 あれ? また記事の中で「口調」がかわってきた。

 たしか「です」「ます」調で話していたつもりだったのだが、いつのまにか「である」とか「だ」というようになった。

 まあいいや。

 文章はテンポが大事なのだ。

 なんか、なんだろう。

 純文学って、非常に読みにくいし、時間もかかるのだけど、

 なんかあえてそういう文章を読んでみたいような気持ちになった。

 ただ、わたしが年をとったので時間を持て余しているだけなのかもしれない。

 あんまりこう、かわいい女の子を追っかけるとか、モテたいとか、かっこよくなりたいとか、楽しみたいと思わなくなったせいなのかもしれない。

 うん。

 純文学を読みたい。

 カレーにインスタントコーヒーを入れたい。

 あしたあたりちょっと本屋さんにでもいってみようかしら。

 何かおすすめあったら教えてください。

 わたしのおすすめは、夏目漱石のいくつかと、川端康成の「文章」と、太宰治の『人間失格』です。

コメント

  1. 結局、教養というか、人間の幅や奥行きというのか、ただ、その豊富な文学的知識をひけらかす輩には閉口する。

    知っていて、あえて別バージョンのギャグを考案したのだろうが、くだんの二葉亭四迷は「くたばってしめえ!」だと聞いている。

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