あのころの田吾作さん。

エッセイ

 ーーーあのころの田吾作さん。

 わたしは時々、田吾作さんについて考える。あのころの田吾作さんだ。昨日の晩も田吾作さんについて考えていた。


 田吾作さんは何を思って畑に種を蒔いて、何を思ってごはんを食べて、何を思ってうんこして、何を思って肥溜めを作っていたのだろう。


 田吾作さんの上にはきっと空があって、その空は晴れの日は青く、曇りの日は灰色で、雨の日は水をいっぱい含んでいただろう。


 田吾作さんには妻と言えるようなものが居ただろうか。子どもは居ただろうか。どんな思いで、性交をしていたのだろう。


 田吾作さんには孫がいただろうか。その孫の頭をその草臥れた手で撫でただろうか。
 そして、田吾作さんはどんな思いで死んでいったのだろう。

 そんなことを、思ってた。昨日の晩、暗い空を見ながら、タバコを吸って、そんなことを思ってました。

 田吾作さんとは、「多分きっと存在したであろう江戸時代くらいの農村に住む一般男性」のことである。

 現在は「令和」という年号になった。

 大政奉還が行われ、幕府はなくなり、元号が「明治」になった。明治から、大正、昭和、平成、そして令和。

 だいたい200年くらいだ。田吾作さんが亡くなってから。

 令和になった現在(いま)田吾作さんのことを知っている人は「誰も居ない」。
 誰も居ないのだ。

 だけど、この世界にちゃんと田吾作さんは存在していたのだ。もう居ないけど、居たのだ。

 そんな田吾作さんと、わたしと、何が違うのだろう。

 違わない。

 有名人だったらともかく、一般の庶民なんてそんなものだ。

 あと200年経ったら、誰もわたしのことなんて「知らない」のだ。結婚もしていないし、子どもも居ないからなおさらだ。

 空を見上げた。黒い空。タバコはもうすぐ燃え尽きる。

 自分の人生なんて、死ぬまでの時間潰し、なんだかそんな感じがした。

 そう思うと、少しラクになれる。

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