灰になる

雑文

 祖父の骨を拾うとき、くっきりと残った仙骨の形が印象的だった。

 穴のある骨、それが仙骨。

 骨壷に収まりきらなかった骨を、火葬場の職員がガリガリと音をたてて無理やり収めた。

 いまではその骨は裏の山にあるお墓に眠っている。

 自分の親しい人が亡くなるのを目にするのは、祖父がはじめてだった。

 亡くなる数ヶ月前まで、祖父は私が借りているアパートの近くの病院に入院していた。

 腎臓が悪かった。

 透析を受けていて、何度か見舞いに行った。

 ちょうど、マッサージの仕事をしていたので、むくんでいた祖父の足を揉んだ。

「プロみたい」と祖父は喜んでくれた。

 トイレに行きたいというのを私は手伝った。

 便器の前まで一緒に歩いていき、ズボンとパンツを下ろした。

 小さなペニスが見えた。

 それはとても小さなペニスだった。

 祖父は少し便を漏らしていた。

「まあいいら」と笑っていた。私もまあいいさと思っていた。

 その当時、私は作曲を始めていた。まだ祖父が生きていたころに、処女作が完成した。

 『試・作品A』というタイトルである。

 歌詞には、ボーカロイドRanaと出会ったことや、祖父のことが綴られている。

 いまでもこの曲を聞くと祖父が入院していた病院の情景が蘇る。

 古い建物、透析の機械、管を流れる赤い血、ベッドに横たわる祖父の姿、窓から見えるスーパーの建物。

 そんなものだ。

 それからひと月も経たないうちに祖父は亡くなった。

 葬式のことをいまでもはっきり覚えている。

 私は統合失調症まっさかりだったので、妄想や幻聴を抱えながら葬儀に参加していた。

 ひどく辛い時間だった。

 誰とも話をしなかったので、妹から「なんか異様な空気を放っているよ」と言われた。

 もうあれから10年以上経つのか。

 アイキャッチ画像に取り入れた写真は私が持っているガラスの文鎮である。

 祖父に買ってもらったものだ。

 まだ私が幼稚園か、もっと前に、おそらく静岡の浅間神社で買ってもらったものだ。

 私はそのガラスに映る模様や柄が気に入って買ってもらったのだ。たしか妹と兄は大きなガラスのおはじきを買ってもらっていた。

 兄や妹はそのおはじきを無くしてしまったが、私はその文鎮をいまでも大切に持っている。

 私は物を大切にする人なのだ。

 もう、30年以上も大切に持っている。

 このガラスの文鎮を見るたびに、祖父との思い出が蘇る。

 子どものころ、はるばる伊豆から清水市まで軽トラックで遊びに来てくれたときのこと、

 マイルドセブンに、空のシーチキンの缶に落とされた煙草の吸殻、その匂い。

 ワラで正月飾りや草履を作る姿。ペッペと手のひらに唾を吐きつける仕草。

 掘りごたつで集まった家族や親戚たち、

 その中で百人一首を読み上げる祖父の声。

「まったく役に立たない」と祖母からなじられるしゅんとした祖父の顔。

 私がお金を無心に行ったときに、「もっとちゃんとしろ」と眉間に皺を寄せた祖父の表情。

 そんなものたちが、ガラスの文鎮に封じ込められている。

 祖父は、灰になり、天国へと旅立った。

 私もいずれ灰になるのだろう、と、思う。

 私は最近、「ほんのささやかな幸せ」を夢見ている。

 愛する人と結婚し、子どもができ、家族ができて、その中で生活していくという夢。

 子どもの成長を見届けるという夢。

 私は、子どもが欲しいと毎日思っている。

 だが、残念ながら子どもはいないし、結婚もしていない。恋人さえいない。

 何ていうかね、本当に「ささやか」でいいんだ。

 お金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、高級車に乗りたいとか、ブランド物が欲しいとか、そういった欲望はまったくない。

 どこかに行きたいという欲求もない。

 本当に、どこにも行かなくていい。

 愛する家族さえいればそれでいい。

 そういう、同じ価値観をもった女性はいないだろうか。

 多分いるだろう。

 世界の人口の半分は女性なのだから、きっといる。巡り合っていないだけだ。

 いつか、そんな女性に私は会いたい。

 最近、日が暮れるのが早くなった。

 帰り道の途中のコンビニに寄って、煙草をふかす。

 空には、半分になった月が輝いていて、ちらほらと小さな星が見えた。

 私もいずれ灰になる。

 燃え尽きた煙草を灰皿に落とし、車で家に帰った。

「ただいま」と、私は言った。

 

 

  

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