学校教育

雑文

 いまの日本に必要なのは全体的な教育改革だ。

 仕事が終わって、車を運転しながらそんなことを考えていた。

 私は学生時代、成績だけは抜群によかった。

 テストは100点を取るのが基準となっていて、間違えてもひとつかふたつくらいであった。

 だが、大人になったいまとなってはどうだろう。

 例えば数学だが、私は足し算と引き算と割り算と掛け算くらいしかできない。

 小学生の算数レベルである。それも、3年生くらいまでではないだろうか。

 しかしここで大切なことを言う。

 私は、日常生活で、なんら困っていない。

 円の面積を求めることもしないし、二次関数とか、サインコサインとか、まったく使っていない。

 忘れてしまったのだ。

 そこで思うのだが、私が受けていた学校教育はほとんどが無駄なのではないか、ということだ。

 お金と、時間の無駄である。

 それはとても大切なことだと思う。

 車の運転をしながら、私は日本の学校教育について疑問を持った。

 もし私が、学校教育を改革するならこうする。

 小学生までは一般常識を学ぶ上でいままで通りで良い。

 ただし、英語を加えることにする。

 中学生に必要なのは主に国語と数学と英語と社会だ。

 国語は日本国民として備えておかなければいけない科目だ。

 数学は脳の神経回路を形成する上で必要になる。大人になってから実社会で役に立つとか立たないとかいう問題ではなくて、脳みその問題だ。

 英語はこれからの社会で生きていく上で必要だろう。

 問題は「社会」である。

 まず、歴史だが、全体的なことは小学生まででさらっと学んでおく、中学生から必要なのは「近代史」である。

 主に、戦争についてだ。

 もうすぐ、我々の祖父や祖母が他界していく。

 私の父方の祖父は銃を持って戦地へ出向いていた。そこで、アメリカ兵に撃たれるのだが、弾が水筒に当たり死ぬことはなかったという。

 戦争を体験していた人たちだ。

 つまり、リアルであったのだが、そういう人たちが死んでいってしまうと、戦争という歴史が本当に「教科書に載っていること」という捉え方になってしまう。

 太平洋戦争も、世界大戦も、原爆投下も、「関ヶ原の戦い」と同じ軸で語られてしまう。

 それは非常に危険である。

 まず、どのようにして日本が成り立っているのか、そしてどうして戦争をせねばならなかったのか、そのことを知ることは、国民としての義務であると私は思う。

 次に、実社会でのことを学ぶ必要がある。

 私が学生のころは「現代社会」「公民」と呼ばれていたが、我々が生きていく上で最低限知っておきたい法律や国民としての義務について学ぶ必要がある。

 騙されないために、そして義務を全うするためにである。

 以上4科目を挙げたが、それだけで良いのかというとそうではない。

 あとは、選択制にすればいいと思う。

 自分が興味があることを選択して勉強すればよいのだ。

 そうなってくると、「教える場所」という問題が浮かび上がる。

 学校という枠に囚われていると、そういった自由がどうしてもできなくなる。

 だが、いまの時代オンラインで学ぶことができるので大丈夫だろう。

 さて、その先だが、高校や大学は必要なのか、という問題だ。

 大学は必要だが、高等教育はまったくよく分からない。

 無駄だと思う。

 現に私は、高校時代に学んだことの99パーセントは忘れている。

 すべて大学受験のための勉強だった。

 そこが問題だと思う。

 どうして大学に入るために、「すべて忘れてしまうこと」を覚えなければならないのか、まったくの無駄である。

 時間とお金と脳力の無駄だ。

 私が思うに、学校の真のありかたは「職業」に就くための専門的な場所だと思う。

 まず、「職業」ありきである。

 中学生までは義務教育として学んでもらうが、それ以降は将来就きたい職業によって勉強する方向を選択させるべきだと思う。

 子どもたちは、「将来こういう職業に就きたい」と言い、学校や先生は「それならこういう知識が必要なので、これとこれとこれを学ぶとよい」と進路を示してあげると良い。

 そして、大切なのは変更の自由である。

 やっていれば、興味の対象が変わることがある。

 変わったのなら、学ぶ科目も変えればいい。学校も変えればいい。

 現在の学校では、そういった自由がないので、大変だ。

 そもそも入学金が高すぎるし、授業料も高い。どうしてそんなに高いのか謎である。

 なので一度学校へ入ったら身動きが取れなくなってしまうところが問題だ。

 と、ここまで語ってきたが、私は何がいいたいのかと言うと、現代の教育では無駄が多いということだ。

 将来忘れてしまうことを学ぶ必要はないと思う

 そこにかけるお金と時間が本当にもったいない。

 それよりも、国民ひとりひとりが、それぞれ興味のあることや得意なことに専念して各業界においてスペシャリストを育てるという教育方針に持っていくべきである。

 私はこの日本で、貧困と失業と自殺を無くしたいと思う。

 どうして貧困が起こるのか、どうして失業者がいるのか、どうして自殺するのか、

 その問題を解決するのは難しいかもしれないけれど、教育を変えることによって社会は変えていけると思う。

 ちょっと、私の言いたいことの80パーセントも言えなかったけれど、そういう社会だったらいいなということを書いた。

 人はひとりでは生きられないけれど、それぞれが役割を持って、助け合えばより強く生きていけるというのが私の信念だ。

 いまある学問がすべて無駄だとは言っていない。

 知識から生み出される発想力というものもある。

 だけど、知識を埋め込むだけの教育の時代は終わった。

 何でもできる人は、結局のところ、何も極めることができないのだ。

 職業の選択が権利として国民に与えられてからまだ歴史は浅い。

 だが、その権利をより効率的に活かすためには教育の改革が必要である。

 私はバカで、普段くだらないことやえっちなことしか考えていないが、たまにこういう真面目なことも考える。

 日本をよい国にしたいし、誇りを持てる日本人でいたいからだ。

 うまく言えなかったけど、私の言いたいことは伝わっただろうか。

 読んでくれてありがとう。

(もうちょっと、文章力をなんとかしたい)。

 

 

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