命の重さ

メッセージ

 死骸を見ていた。

 用水路に浮かんでいる狸の死骸だ。

 煙草を吸いながら、朝の寒さで肩が狭まる。

 昨晩はその狸の鳴き声を聞いた。

 聞きながら、なんにも出来ない自分のことを嫌だなと思った。

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 うちの祖母は、ときどき動物を殺す。狩猟ではない。

 昨日の夕ごはんの食卓で「狸がかかった」と祖母が言った。

 話を聞きながら僕は嫌な気分になった。

 どうして来ちゃうかなと、悲しくなった。

 家の畑には「罠」が仕掛けてある。

 鉄製のカゴ罠で、吊るしてある餌を食べようとすると入口が閉まってしまうというものだ。

 先日はその罠に子どもと思われる小さな動物が入っていた。

「可愛いよ」と母が言うので見に行ったら確かに可愛い動物が居た。

 可愛いと言いながらも罠にかかってしまったのだから殺してしまうのだろう。

 バカだなお前は、そう思っているとその動物は入口の隙間に頭をねじ込んでいた。

 2センチくらいの隙間だった。

 ん、と思って見ていると、するりとその動物はカゴの外に出ることが出来た。

 さささと逃げていく。

 心なしか僕はほっとした。

 そして昨日のこと、その罠に狸がかかってしまったらしい。

 見ていないけれど、狸じゃあ外に出られないだろうと思った。

 今から残酷な話をします。

 罠にかかった動物をどうするのかというと、必ず殺しています。

 銃で撃つとか、薬を使うとか、首を絞めたり切断したりするのではなくて、窒息死させます。

 動物の入ったカゴ罠を用水路の中に沈めるのです。

 用水路の水はそれほどカサがないので始めその動物は生きています。

 動物は水に浮くので、カゴの中で暴れています。

 しかし出ることは出来ない。

 出ようともがいているけれど、出ることは出来ない。

 そのうち、力尽きて水に沈みます。

 いつか見たハクビシンの苦しそうな顔が記憶から消えません。

 水かさが多い日で、呼吸をするために頑張って顔を出しています。

 足をバタバタさせて、もがいている。

 顔が沈んだり出たり。右に行ったり左に行ったり。

 その目は助けを求めているようでありましたが僕は助けませんでした。

 すぐにそのハクビシンは死にました。

「たぬきか」狸、可愛いのにな。

 なんとなく、お店にある狸の置物を思い浮かべました。金玉の大きな狸です。

 どちらかというと、狸は人間に可愛がられる動物のような気がします。

 だけど祖母は殺すのです。

 夕ごはんを食べ終えた僕は外に煙草を吸いに行きました。

 その時に、狸の声が聞こえてきたのです。

 1月の夜。用水路の水はきっと冷たいのだろうなと思いました。

 お腹が空いて食べ物を求めて山から下りてきた一匹の狸。

 何か美味しそうだなと思って口に咥えてみたらガシャンと音が鳴り振り向いたら外に出られなくなっていた。

 出ようとしても、ダメだ。逃げられない。

 しばらくしたら人間が来てこちらを覗いている。

 気がついたら用水路の中に居た。

 冷たい。

 ただでさえ寒いのに、冷たい水に浸けられている。

 出たい。出れない。

 足がつかない。泳がないと呼吸ができない。

 お腹が空いた。お腹が空いて、食べ物を見つけて……。

 冷たい。苦しい。どうしよう。どうにもできない。なんでこんなことに。

 疲れた。眠い。でも横たわることができない。力を抜いたら息が出来なくなってしまう。

 苦しい、苦しいよ。ママ……。

 一本の煙草を吸い終えるあいだに二回鳴き声を聞いた。

 助けようかなと僕は思った。

 逃がしたら、僕は怒られるだろうが狸は死ななくてすむ。生きることができる。

 だけど助けることはしなかった。

 怒られるのがイヤだったのではない。

 祖母には祖母の倫理があるのだ。

 畑を管理しているのは祖母だ。

 足が痛い足が痛いと言いながらもほぼ毎日野良仕事をしている。もう80を超えている。

 作った野菜は出荷するのではなくて、食卓に並ぶものだ。

 専業の農家ではない。

 自分たちで食べる分の野菜やら米やら椎茸やら果物などを作っているのだ。

 だけどその野菜は山から来る動物たちによって荒らされる。

「○○さんのお宅では息子夫婦が面倒を見てくれているのにウチときたら」というような話をすることもある。

 どんな気持ちで祖母は野菜を作っているのだろう。

 どんな気持ちで育てた野菜が荒らされるのを見ているのだろう。

 柵やネットを張ったりしているがそれでも動物たちは来るのである。

 先日はそれで飼っているニワトリが殺られた。

 ニワトリが殺されることも珠にある。

 祖母にとっては、山の動物は「敵」なのだ。

 害獣なのだ。

 罠を置かずにみすみす畑の野菜を食べられると、味をしめた動物はまた山を下りてくる。

 なので、罠にかかった動物は必ず殺すのである。

「ねえおばあちゃん、動物が可哀想だよ」
「命は大事なんだよ」
「動物だって生きているんだよ」
「殺さないでよ」

 そんなことを僕が言えるのだろうか。

 先日食べた鍋の白菜もこんにゃくも椎茸も人参も祖母が作ったものだ。

 正月に食べたおせちの野菜も、お雑煮の具も、みんな祖母が育てたものだ。

 命ってなんだろうねと考える。

 くーんくーんと泣く狸の声を思い出す。

 どうして来ちゃったの? 来ないでよ。

 僕が殺したわけではないけれど、助けなかった、何も言わなかった僕は同じ罪を背負っているのだろう。

 罪なんだろうか。

 罪だと思う。

 殺したくなんかない。

 ニワトリも殺されたくはなかっただろうが……。

 どうせなら水に沈めるのではなくて何か即死させた方が良いのではないかと思うけれど、僕にそんな術なんてないし、祖母にもそんな術はない。

「死んだ動物はどうするの?」と聞いたことがある。

 山に返すんだそうだ。

 動物は人間の住処に入ってきてはいけない。

 そういうことを、山の主が言ってくれないだろうか。

 今日も罠の入口は開いている。

 

 

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