雑文

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 今日はちょっと「忍耐」について書こうかなと思っていましたがあまり時間がないため別のことを短めに書きます。

 別のことといっても特に何も考えてなかったので適当に思いついたことを書いていきます。

 2月になりましたね。

 一か月前と今とでは大きく生活が変わりました。

 1月1日ではまだ新しい仕事を始めていなくて特に気になる女の子も居なかった。

 それが11日から初出勤を終えて劇的に生活が変わっていきました。

 昨年の1月から12月までを振り返ってみてもまったく予想もしなかった展開になった1年だったので今年もきっと予想もしないようなことが起きるのでしょう。

 最近は「これからのこと」について考えるのが楽しくなっています。

 お給料が入ったらあれを買おうとか、あれを買ったらどのように生活が変わるとか、そういうことを考えるのが楽しいし、あれもしたい、これもしたいというのがあって、未来に希望を持っています。

 未来に希望が持てるというのはとても良いことです。

 いつかの僕は未来に希望が持てず、どの道を通っても苦しみしか待っていないような気がして絶望を感じていました。

 僕なんかは生きていない方がいいんだ。生きているだけで迷惑なんだ。神様にしろ、みんなにしろ、誰も僕を必要としていないし、「死んでくれ」というような振る舞いを見せてくる。

 そんな風に、生きていることがに意味を見いだせず、真っ暗で、空白な毎日を送っていました。

 それがいまは生きていることの素晴らしさを感じ、希望を持てるようになった。

 そうなった背景には沢山の人たちの「支え」があったからだと思います。

 僕は18歳で家を出てからずっと、「一人で生きていくこと」に固執していました。

 そうでなければ一人前になれないと思っていました。

 仕事をクビになり、家賃が払えなくなったとき、消費者金融でお金を借りました。

 家族に迷惑をかけたくなかったからです。

 その借金が気が付けば膨れ上がり、重荷を背負う毎日を過ごすことになりました。

 自分でなんとかしなければ駄目だと頑なに信じて日々を送ってきましたけれど、体も精神も壊れたあとに気がついたのは、結局のところ「一人では生きていけないのだ」ということでした。

 僕は超ポジティブで、超自己肯定感が強い人間ですが、ずっとそういう性格だったわけではないのだなと、ふと振り返ってみて思い返します。

 なので今、暗い考えに縛られてしまっている人や、自信が持てず自己肯定感が低いことに悩んでいる方は、「人は変わることが出来る」ということを頭の隅にでも置いておいて下さい。

 僕は、ありがたいことに沢山の方に「助けて」頂きました。

 それで、「復活」することができたのです。

 感謝の気持ちは忘れないし、これからは、誰かを助ける人でありたいと思うし、助けてくれた方々には恩返しをしていこうと思っています。

 人生というのは、恩返しをするために生きているようなものだと思っています。

 誰しも、一人で生きてきたわけではありません。

 迷惑をかけないように生きていこうと誰しも思うことですが、人は、どうしても迷惑をかける生き物なのです。

 誰にも迷惑をかけなかった人なんていません。

 誰のお世話にもなっていない人なんていません。

 大切なことは、迷惑をかけないようにしようではなくて、迷惑をかけてしまうけれど、その分、恩返しをしていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。

 犯罪を犯してしまう人たちは、そこのところを少し考えてみて欲しいです。

 あ、ちょっと長くなっちゃった。

 明日は病院に行きます。

 薬減らせるといいな。

 今日もお疲れ様です♨

 

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