storyを紡ぎたい

雑文

 ポジション表を確認した瞬間に花が咲いた。

 居ないー!!

 晴美さんが、居ない。

 もう一度確認した。

 やっぱり居ない。休みだ。

「楽園か!」

 いつも気を張っている店内の空気が一瞬にして変わった。

 晴美さんが居ないなんて、楽園じゃないか。

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 今日はレストランでアルバイトを始めて14日目。

 平日。

 デシャップでの仕事に少し慣れてきて、オーダーを受ける練習を始めたところ。

 昨日の日曜は忙しく、晴美さんも居てぐっと疲れたけれど、今日はまだ慣れている平日のランチで、晴美さんが居ない。

 楽園じゃないか。

 実際にそこは楽園だった。

 準社員のえりさんがオーダーの取り方を教えてくれる。

 アイさんが練習に付き合ってくれる。

 お店も落ち着いた営業で混むことはなかった。

 えりさんが注文を受けにいくところに僕は付いていった。

 そばでお客様のご注文を聞きながらハンディを打つ。

 それをえりさんが確認してくれて間違っている箇所を訂正してくれる。

 しばらくそんな練習をしていた。

 午後の1時を過ぎたあたりだろうか。

「逆、いってみる?」とえりさんが言った。

 つまりそれは、今度は僕が実際にお客様からご注文を受けてそれをえりさんが確認する、ということだ。

 ちょっと早いのでは、と思ったけれど、多分きっとそれは「習うより慣れろ」で、数をこなさないかぎり覚えるものも覚えられないので素直に従った。

 ピンポーンと呼び出し音が鳴る。

「じゃ、行こうか」

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 えりさんがそばに立ってくれているので不安はなかった。

 接客において言葉に詰まることもなかったし、ゆっくりと確認しながら自分のペースでご注文を受けていった。

 簡単な注文なら問題なく出来た。

 細かい箇所を訂正してくれる。

  • お客様がメニューを略さないで言ってきたらこちらも略さないで復唱する。
  • ドリンクは出来次第なのか食後なのか伺う。
  • キッズのたらこはシソ抜きにするか聞く。
  • 料理を出す順番をキーで入力する。
  • キッチンに声かけをする。
  • 下げてきたメニュー表の片付け方。
  • キッズのドリンク変更及び選べるお菓子の聞き方。
  • 料理をシェアするかどうかを聞く。
  • お冷がないことに気づいたら持っていく。
  • 大盛りキーの打ち方。

 と、いったことだった。

 忙しくなかったので、落ち着いた気持ちで教わることが出来た。

 正直、仕事をしていて楽しかった。

 「楽園だ」と何度も思っていた。

 まだキーの位置を完璧に覚えられていないし、打ち方もまだはっきりと覚えていないけれど、ご注文を受ける「さわり」は出来たと思う。

 時刻が2時を過ぎるとすっかり店内は落ち着いていて、デシャップも片付いていたのでのんびりメニュー表を見てキーの位置を確認したりアイさんがお客さん役になってくれて練習したりしていた。

 シフトは4時までだったが、3時に上がることができた。

 控え室で一服する。

 今日はこのあとに「もみ」の仕事がある。

 腰に巻いていたサロンを取って、ボールペンやらメモ帳やらをカバンにしまい、お店を出た。

 とりあえず安堵した。

 あとは気ままに時間を過ごそうと思った。

 もみ屋さんに着くと、鈴木さんが「あらぁ」と言った。

「もうちょっと早く来ていたら1本入れたのに」

 どうやら先ほどご予約の電話があって3時半からの希望らしかった。

 僕のシフトが5時からだったのでご予約に繋がらなかったみたいだ。

 時計を見たら3時半だった。

 僕はどちらでも良かった。入れればラッキーだけど、入らなかったら入らなかったで読書が出来ると思っていた。

 そして今日はその通りになった。

 Twitterを見たり、本を読んでいるだけで終わった。

 シフトは6時半までだが、入れる見込みがなかったので5時半に上がった。

「終わったー」

 車に乗り込む。

 いつも寄るコンビニに向かう。

 コンビニまでの道すがら、あれこれと考えごとをしていた。

 5分ほどで、コンビニに着いた。少しだけ緊張する。

 店内に入って、すぐに気がついた。

 居るぅ!

 笹原さんだ。

 最近僕はこのコンビニの笹原さんという女の子のことが気になっている。

 いつも買う缶コーヒーを取りにいくあいだに店内の状況を確認してみた。

 ああっ!

 スイーツコーナーに別の店員さんが居た。

 せっかく、他にお客さんは居ないのに、これでは作戦を実行できない。

 諦めて缶コーヒーをレジに持っていった。もちろん笹原さんが確実にレジに入るのを確認していた。

「ありがとうございます」と言って、笹原さんが入ってくる。

 缶コーヒーを置くと、笹原さんはそっと体の向きを変えて耳をこちらに向けてきた。

 お、と思った。

 僕は「あと、112番下さい」と言った。

「はいっ」と答えて煙草を取ってくれる。

 もしかして、僕が缶コーヒーだけでないと覚えてくれているのだろうか。もしそうならちょっと嬉しい。

 耳を傾けた仕草が可愛いと思った。

「660円です」

 僕は財布から千円札を出した。小銭は持っていたが、わざとそうした。

 笹原さんがお札を受け取りレジに入れる。

 あれ? と思った。昨日はポイントカードを聞いてきたのに、今日は聞いてこない。

 よく見ると、名札のところに「トレーニング中」と書いてあった。

 もしかしてまだ慣れていないのだろうか。それとももしかしたら煙草はポイントがつかず、100円以下の商品もポイントがつかないので100円の缶コーヒーと煙草を買った僕の会計では結局のところポイントが付与されないのであえて聞かなかったのだろうか。

 分からない。

「440円のお返しです」

 笹原さんはキャッシュトレーにレシートとお釣りを乗せてこちらに渡してくれた。

 昨日は手渡してくれたのに、ちょっと残念だった。

 そしてなにより、何も声を掛けられなかったことが残念だった。

 コンビニを出て、車に乗って缶コーヒーを一口飲んだ。

 いつもならこのまま帰るのだがなんとなく落ち着かなかったので一服することにした。

 外の喫煙所で煙草を吸った。

 一服して、車に乗り込む。

 そんなことをしているうちに駐車場はさっきよりも空いてきた。

 もしかしたらあのおばちゃん店員さんも奥へ引っ込んだかもしれない。

 焼き鳥でも買おうかと思った。そうすれば笹原さんに言葉を掛けるチャンスが生まれる。

 明日は休み。このまま何もなく明日を迎えるのか、それは嫌だな。

「よし、行こう」そう思ったときに、他のお客さんが店内に入っていくのが見えた。

 あ、駄目だ。

 そして、考えを改めた。

 わざわざ焼き鳥だけを買いに再び店内に入るのはちょっと「変な人」だと思われるかもしれない。それに、一度に頼めばいいのに、わざわざ二度もお会計をさせるなんて不親切なのかもしれない。

 止めた。

 明後日、もう一度チャレンジしよう。そう決めて家に帰ることにした。

 帰り道、ずっと笹原さんのことを考えていた。

 ちょこっと耳を傾けた仕草。くっきりとした二重に可愛らしい瞳。心地の良い声。うしろに一括りにした明るめの髪の毛。

 可愛い。

 だけど、まだ、何もない。

 僕と笹原さんのあいだには、まだ、何もないのだ。

 そして、何もしなければ、永遠に何もない。

 どうか、チャンスを下さいと神様に祈った。

 最近神様に祈ってばかりなので、神様も忙しいと思うが仕方がない。

 笹原さんは、可愛いからもしかしたら彼氏とか居るのかもしれない。

 でも、居ないかもしれない。

 どうか、居ないで欲しい。

 ストーリー。と僕は呟いた。

 ストーリーを紡ぎたい。

 人生は、ストーリーの連続だ。

 僕と、僕と関わる誰かとのあいだにストーリーは綴られる。

 僕と、笹原さんとで、新しいストーリーを作っていきたい。

 希(こいねが)う。

 車を運転しながら空いている助手席を意識した。

 もしこの助手席に笹原さんが乗ってくれたらどんなに幸せだろう。

 一緒に、どこかに行きたい。

 一か月前は、こんなこと思ってなかったのにな。

 いつのまにか心の中が笹原さんのことでいっぱいになっている。

 何度も、その目を思い浮かべた。

 その目で見つめられたらきっと僕は溶けてしまうだろう。

 一ヶ月後はどうなっているのだろうか。

 出来ることなら、同じ景色を見ていたい。

 

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