暇だったので、こんな動画を見ていました。
わたしは小説のような文章を書いたり、こうしてブログを書いていたりするので、おもしろいテーマだなと思って見ていました。
そういえば、わたしが小説に惹かれた理由って、「もやもやした気持ちを言葉にして表してくれたこと」でした。
特に、村上春樹と村上龍には多大な影響を受けています。
岡田さんの動画のなかで、「何か思ったことがあるのなら、もやもやしたことがあるのなら、それをノートに書け」「じゃないと意味がない」
みたいなことを言っています。
その言葉で思い出したのが、ホムンクルスです。
» ホムンクルスマーケティングリサーチの専門会社、KFS (valueinnovation.biz)
説明がへたなのでうまく言えませんが、この模型というか図はつまり「脳の神経細胞の量の比較を視覚化したもの」です。
体のどの部位がどれだけ脳の神経を使っているか、ということです。
(ペニスおっきいな)と思いましたがまあいいでしょう。
重要なのは「手」です。
「手は、第二の脳」と言われているように、手を使うことは、脳にとってとても重要です。
岡田さんが言っていた、「ノートに書け」「思っていることを物質化しろ」「じゃなきゃ意味がない」というのはきっとこういう理由なんだろうなと思いました。
次に、ノートは「かっこつけちゃだめ」というのがありました。
わかります。
ついつい、人に見せるような「頭のいいふりをしたノート」を書きがちですが、
それはよくない。
結論づけてしまうので、そこで思考がストップしてしまう。
そういえば、マインドマップというのがありまして、
わたしは小説のプロットで使っています。
これはわりと整理されているマップで、わりと「人に見せられるもの」ですが、
マインドマップって、本当はもっとごちゃごちゃしているんですよね。
なんでもいいから思いついたことを言語化して、そこから枝を伸ばしていく、
すると、ごちゃごちゃしたものに共通項を見つけたり、新しい発見があったり、
そういうところが、マインドマップのいいところです。
※なお、わたしが使っているのは「Xmind」というアプリです。
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次に、スマホの有害性について。
ちょっとだけ動画で(婉曲的に)触れていますが、
スマホは「想像力、思考力」を止めてしまうと。
同意です。
わたしは常々思っています。
レストランで働いているのでよく見るのですが、「子どもにスマホなりタブレットで動画を見させておとなしくさせている親」が多い。
これは問題なのではないか、と思っています。
最悪なのは、ごはんがテーブルの前に届いたのに、まだスマホを見せている親です。
こういう子、どういう大人に育つんだろうな、と、勝手に心配しています。
悪く言うと、「あの人たちは自ら子どもを教育することを放棄している」のだと思っています。
わたしには子どもがいないのですが、仮に子どもがいたとしても、そういうことは絶対にしません。
そういえばスティーブジョブズも子どもが小さいうちはスマホを持たせないと言っているそうですね。
まあ、他人のことはどうでもいいことにしましょう。
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次、「詰め込み教育について」
詰め込み教育の有害性と有利性、創造力の培い方と現在の日本の学校教育について、
思うところは多々ありますが、
わたしは「詰め込み教育」には賛成です。
理由は多々ありますが、めんどくさいので省きます。
岡田さんが動画の中で言っていましたが、学校でのことで、学べることの大半は「クラスでの人間関係」や「先生ってどんな人だったけ?」とか「クラスにどんな奴がいた」だとか、およそ「勉強」とは関係ないことだったりします。
そういえばそうだなって思います。
振り返ってみても、わたし、大学2年まで行ったのに、勉強したことの0.5パーセントも覚えていません。
かわりに、イベントとか、思い出とか、エピソードとか、人物とか、好きだった国語の先生の黒くて深いきれいな瞳のことなんかを覚えています。
学校って、そういうものなのかもしれませんね。
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最後に、「小説家になる方法」みたいなことも岡田さんは言っています。
なるほどなあと思いました。
あと、ちょっと希望も持てました。
小説を書くって、実はすごく大変で、(すくなからずわたしにとっては大変で)、
「まず、完結できない」
これ、わたしあるある。
発想やおもいつきはたくさんあって、「冒頭」をたくさん書くのがわたしです。
あと、エピソードとか、描写とか。
岡田さんは言いました。
「ちゃんと小説としてなりたっていれば、一次選考、二次選考は通ります」と。
ああ、なるほど、わたしが小説家でない理由は、
そもそも完結していないし、「応募」もしていない。
それに尽きる。
なるほど。
じゃあ、ちゃんと書けば、編集者さんの目には一応のところ止まってくれるだろう。
というのが「希望」です。
わたしは現在小説を連載中ですが、
なかなか先に進みません。
でも、なんとか「完結」させれば、それはひとつの「小説」となります。
だれかが読んでくれるかもしれないし、編集者さんの目に留まるかもしれません。
がんばって、書こうと思います。
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今日は、そんな感じでした。
雑文です。
コメントいただけたらうれしいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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