世界を見る目が変わった。
2024年。新年が明けてから大きなニュースが立て続けに起こり、「大丈夫か今年」「大丈夫か日本」と思う人も多いと思う。
わたしはいま、人生の転換期に居るような気がします。
昨年の12月半ば、わたしは精神的な病気が悪化して仕事がまったくできなくなってしまいました。
何日間かの休日をもらいましたが、治りませんでした。
統合失調症の症状が大きく出てきてしまったのです。
そのうえ、現実感消失症というやっかいな症状まで出てしまいました。
月イチで病院に診察に行くのですが、そこで先生から「休んでください」と言われました。
わたし自身それを望んでもいました。
このままだったら、死ぬことしか考えていませんでした。
「診断書を書きますので、一ヶ月休んでください。何もしなくて大丈夫です。何もしない時間が必要です。食べて寝るだけでいいです」
そしてわたしは長い休みに入りました。
母親が呼ばれ、「しばらくは目を離さないでください」と、先生から言われました。
そうしたわけで、わたしはいま、母親の目の届くところで生活しています。
母親は介護施設で働いているので、わたしもそこにいます。
いまも、その事務室でこれを書いています。
認知症の方のための介護施設です。
今、仕切りの向こうではデイサービスの方たちが卓球をしています。
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わたしは、せっかく時間をいただけたのでその間に小説を書いていました。
短編3作と長編1作書き上げて、そのうちの長編を出版社さんに送りました。
時間があるので、一日あたり14,000字くらい書いていました。
こんなにものごとに集中したのも久しぶりなことです。
壊れてしまった精神も、文章を書くという「作業」によって少しずつ落ち着いていきました。
いまでは、現実感消失症もないです。
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なんだかまるで、人生の棚卸しでもしているような気分です。
冒頭にも書きましたが、わたしは、この一ヶ月。あるいは、半年、あるいは一年で、世界の見方が変わりました。
かなり違って世界が見えています。
タイトルにあるように、「新しいドアが開いて、過去のドアが閉じた」そんな感じです。
わたしは、その新しいドアをくぐって、新しい世界を見ています。
ここから、一歩、また一歩と歩いていくのでしょう。
わたしは40歳なので、この世界で40年生きたことになります。
80歳まで生きるとして、半分です。
不思議な感覚ですね。
たとえばそう、ガラケーとか。
90年代。そのころも、わたしたちは「最先端」を生きていました。
そのことになんの疑問も抱かなかったし、今が「古い」とは思ってもいませんでした。
でも、2000年を迎え、数年が経ち、平成が終わり、令和になったいま、「ガラケー」は旧時代のものとなりました。
ガラケーを手放したわたしは、スマホを持った。
新しいドアを開けて、過去のドアを閉じた。
もう、ガラケーには戻れません。
過去のドアも開けることはないでしょう。戻ることもないでしょう。ただ、思い出すだけの、過去の「記憶」となりました。
いまわたしは、パソコン3台とスマホ2台とタブレット1台を使っていろいろなことをしています。
すごく便利で、もう過去には戻れません。
でもきっと、10年後には、この「今」も、「古い記憶」となって閉じられるのでしょう。
わたしは、常識人ですが、人々の常識からよく外れた行動をします。
破天荒というより、「不器用で、荒い人生を歩んでいる」という表現が適切だろうと思います。
父はよく、「普通はそんなことしない」と言います。
わたしはこう思います。
世界に何億人いる人が、みな、同じルートを歩んでいるわけではない。
皆が、15で志学し、20で弱冠で、30でなんちゃらで、40で迷わずみたいな人生を歩んでいるわけではない。
何億人の人生には、何億人の物語があるのだ。
わたしは、その何億分の1の人生を歩んでいるだけであって、それを「普通じゃない」という言葉で否定されるのはナンセンスである。
なんていうか、「普通」というものもほんとうのところあるようでないものだし、逆に、「普通の人生」というものがあったとして、それを「外れた」から「なんだっていうんだ」と、わたしは思う。
あまり、意味がない。
昨日、甥っ子の夢を見た。
甥、つまりわたしの妹の息子なのだが、彼は4歳でちっちゃい。
だけど夢の中の甥は、身長が180センチくらいになっていた。
「おっきくなりすぎじゃない?」とわたしは驚いていたが、彼の年齢はまだ4歳である。
不思議な夢だった。
読んだことはないが、ミヒャエル・エンデの『モモ』の中に出てくる「時間どろぼう」のことを思い出した。
なんか気になるので今度読んでみようかなと思います。
なんだか冗長な文章になってしまいました。
新しいドアが開いて、過去のドアが閉じた。
今この瞬間も、一秒後には「過去」になっている。
みなさんに幸あれ。
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