サナギだった。

雑文

 10月28日。今日で退院して丸1年が経った。

 つまり僕は、1年前までは入院していたのだ。

 2年と2ヶ月間、入院していた。ずいぶんと長い入院生活である。

 それも、閉鎖病棟だった。

 僕は、統合失調症を患い、精神科専門の病院で長きに渡る入院生活を送ったのである。

 ケイタイの持ち込みは禁止、パソコンも禁止。

 2年と2ヶ月間も、一体僕は何をしたいたのだろう。

 実は、あまり覚えていない。

 入院する前のことも、断片的にしか覚えていないし、入院生活も、ほんの少しのことしか覚えていないのだ。

 とても、不思議な感覚である。

 まるでサナギのようだと僕は思っている。

 新しいからだを手に入れるために、いったんサナギになって、ドロドロになって、羽化する。

 羽化したあとの世界は、いままでとはほんの少し違っていた。

 僕は長いあいだ、アルコール依存性だった。

 毎日酒を飲んでいたし、常に酔っ払っていたかった。

 お金がなくて、お酒が買えなかった日は、みりんや調理酒を飲んでいた。

 だけど、入院を期に、酒を飲むことをやめた。

 もうまるまる3年は酒を飲んでいない。

 飲みたいと思わないわけではないが、飲まなくてもやっていけるようになった。

 良いことである。

 残念なことに、煙草は、やめられなかった。

 なんと、病院の中で煙草が吸えたのだ。

 なので、入院しているときもずっと煙草を吸っていた。

 ケイタイが使えない。ネット環境もない。パソコンもない。その中で、何をしていたのかというと、ほとんどの時間本を読んでいた。

 入院中に、僕は191冊の本を読んだ。主に小説である。

 ところが、その内容をまったくと言っていいほど覚えていない。かろうじて覚えているのは、村上春樹さんの小説『1Q84』のちょっとした場面くらいのものである。

 2年と2ヶ月。なんだか信じられないような期間だ。

 入院しているとき、僕は「無」だった(ように思う)。

 仕事に行かなくていい。お金の心配をしなくていい。家賃が払えないとか、電気が止まるとか、そういうことも心配しなくていい。人付き合いも、何も考えなくてよい。

 浄化、という言葉が当てはまるのかもしれない。

 僕の中にあった病気を、入院生活を送る中で、少しずつ浄化していく。

 そして退院するころには、すっかり綺麗になっていたのだ。

 2年と2ヶ月。よくそんなに長く入院生活を送れたものだと思う。

 はじめは、3ヶ月くらいで退院できると思っていた。

 でもそれが、気が付けば半年、気が付けば9ヶ月。気が付けば1年となっていき、2年と2ヶ月が過ぎたのだ。

 入院中、僕は「仕事をしなければ」という義務感に囚われていた。

 30代。男の30代といえば、働き盛りの年齢である。一生の中で、30代は一度しかない。

 だんだんと削られていく時間が苦痛であった。

 早く退院したいと常に思っていた。

 それでもなかなか、母親は首を縦に振らなかったのだ。

 いま思うと、それで良かったのかもしれない。

 中途半端な状態で退院して、再発して、再入院となったら、元も子もないのである。

 病気が、ゼロの状態になるまで、長い期間がかかったのだ。

 そのおかげというか、退院してから丸一年、まったく症状は出ていない。仕事も無遅刻無欠席である。

 退院してから、社会復帰を目標に以前勤めていたお店に復職することになった。

 リラクゼーションサロンである。分かりやすくいうと、マッサージのようなことをするお店だ。

 フルではない。

 1日7時間。週4日勤務。

 それをちゃんと無遅刻無欠席で行えてきたのだから大きな成長である。

 本当に、入院する前の僕はひどかった。

 どんな症状が出ていたのか、話すと長くなるのでここでは省く、ただ僕は、まともに仕事に行けなかったのだ。

 1年、もうそろそろ僕は変わる時期だと思う。

 なのでいま僕は新しい仕事を探している。

 安定した仕事がいい。

 ちゃんとした収入を得ることで、経済的に自立し、精神的にも自立することが、いまの目標である。

 なんだか長くなってしまった。

 正直に言って、入院生活は楽だった。

 でももう二度と、あの場所には戻りたくはない。

 がんばって、いや、あまりがんばることをしないで、なんとか生きていこうと思う。

 ありがとう。

 

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