わたしは今、何度目かの禁煙をしていて、もうすぐ1日と9時間になる。
お昼にらーめんを食べたあと、めちゃくちゃタバコを吸いたくなった。
家に帰るまでのあいだ、頭の中が「タバコのこと」でいっぱいになっていて、「一本くらいいいや」「とりあえず持っていて、本当に我慢できないときだけ吸えばいいや」「自分でコントロールすれば問題ないだろう」という言葉が駆け巡っていた。
家までの道のり、何度もコンビニを通り過ぎた。
そのたびに、「買っちゃえ」と誰かが言っている気がした。
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どうしてこんなにもタバコを吸いたいのだろうと考える。
その答えはすでに知っていて、ようするに「ニコチン依存症」なんだけど、分かっていることと、「行動できること」はまた別の話で、わかっていても「やめられない」のが依存症の恐いところである。
Twitterで禁煙のことをつぶやいたら、誰かがアドバイスをくれた。
が、わたしはそのアドバイスを「うざい」と思った。
うざいと思ったことの理由はまず前提としてわたしが「アドバイスをください」なんて一言も言っていないからだ。
禁煙をしていて、めちゃめちゃ苦しいときに、外部の人間が「こうするといいよ」とか言ってきたことにたいして、非常にムカついた。
「お前に何がわかるよ」というまあ身勝手な気分である。
アドバイスをくれた方、ごめんなさい。気持ちだけ受け取っておきます。
禁煙をしていて、一番嫌なのが、「タバコを吸ったことのない人間からの言葉」である。
タバコを吸ったことのない人間はタバコを吸ったことのある人間の心を何一つ分かっていないのだ。
うちの母親なんかがまあ昔から「タバコはよくないよ」と言ってくれるのだけど、たぶんきっとわたしの気持ちなんて何一つ理解していない。
それはまあ仕方のないことだし、心配で言ってくれるのだからいいのだけれど、とにかく、タバコを吸ったことのない人間は喫煙者とか禁煙を志している人に向かって何かとやかく言うものではないのだとわたしは思います。
一番心強いのが、タバコを吸ったことがあって、依存していたけれど、禁煙を志し、禁煙に成功し、タバコを吸わなくなった人たちの「言葉」である。
その人たちは禁煙をすることの大変さとか、苦しさを一番よく知っている。
そういう人たちからのアドバイスが一番効くんじゃないかなと、思います。
禁煙苦しいんだよね、とわたしが言うとする。
そこで、タバコを吸ったことのない人が、「タバコって高いよね。一日600円だとして、一年に換算すると22万円にもなる。やめたほうがいいよ」とか言ってきたとする。
うるせえよ、と、わたしは思う。知ってるわそんなこと。うぜえ、と思う。
だけど、禁煙に成功した人たちから「苦しいよね、わかるよ」と言われるとずっと心強い。
こういうとき、「理詰め」で責められるのがなんかとても嫌だったりする。
わたしもねえ、禁煙に何度もトライしているんだよ。バカじゃないんだよ。めちゃくちゃ調べてるし、禁煙に関する知識は人一倍あるのだ。
だから変に(アドバイスを求めていないのに)アドバイスなんかをされると非常に頭にくるし、それでイライラしてタバコを吸いたくなってしまうのでやめてほしい。
もし、まわりに禁煙しようとしている人がいるのなら、そこのところをぜひ気をつけてください。
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さて、タバコを例にして「依存症」についてなんとなく書いてみましたが、とくにこれといってまとまりがあるわけではありません。雑文です。
ただ、今禁煙がとてもつらいので、気を紛らわせるために文章を書いています。
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そうそう、周りからの言葉が「うざい」と思う理由はなんなのかちょっと考えてみた。
例えばだけど、女の子がダイエットするとしよう。
めちゃめちゃ大変だと、思う(わたしはそんなにダイエットしたことがないのでわからない)。
そこで、ダイエットをしたことのない人が、たとえば彼氏とか旦那さんが「こういう方法がいいよ」とか「食べなきゃいい」とか「気合だ」とか「筋トレしたほうがいいんじゃない?」とかいろいろアドバイスしてきたとしよう。
うざいよね。
他の例を出すと、
受験生。
めちゃめちゃ大変だと思う。(わたしはほとんど真面目に受験していないのでわからない)。
そこで、一度も受験を経験したことのない人間が、「努力は報われる」とか「頑張れ」とかマンガ『ドラゴン桜』なんかを持ってきて「誰でも東大に行ける」とかなんちゃらの忘却曲線を例に出してきて「反復が記憶の定着によいよ」とか言い出してきたらどうだろう。
うざいよね。
お前に何がわかる!
と、思うだろう。
まあそれと同じだ。
さっきから同じことをわたしは言っているけれどたぶんきっとTwitterで勝手にアドバイスされてめちゃくちゃムカついているのだろう。
やれやれ。
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ふとね、おしゃぶりのことを思い出した。
ようするに「乳離れ」である。
赤ちゃんはおっぱいから卒業するためにおしゃぶりをしゃぶっていたりする。
わたしは小さいときにちゃんと問題なく乳離れできたかどうかは記憶にないが、はっきりと記憶に残っていることがある。
それは、「ガーゼのハンカチ」だ。
幼稚園のころだったと思う。
わたしは、ガーゼのハンカチを持っていないと落ち着かなかったし、ときどきそれをしゃぶっていないとどうにも落ち着かなかったのだ。
たぶんそのハンカチを取り上げられると、大声で泣きわめいていたと思う。
おそらくそれはわたしにとっての「おしゃぶり」だったのだ。
ある種の依存である。
こう、心理学的な観点からいろいろ言えることはあるけれどそれはおいておいて、
わたしは幼い頃からなにかに依存してしまうたちだったのかもしれない。
どうやってわたしはそのガーゼのハンカチを卒業できたのだろう。
よく、覚えていない。
めっちゃ唾液が染み込んでいるので、それを「汚い」と思ったのかもしれないし、周りの友だちからの視線とかを気にして、「かっこわるい」と思ったのかもしれない。
よく覚えていないけれど、卒業できたのは間違いない。
なら、わたしもタバコから卒業できるのだろうか。
できればそうあってほしい。
あ、「かっこいい」「かっこわるい」「かっこよくなりたい」についても書きたかったけれど、長くなりそうなのでまた次回にします。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
一時間弱、気が紛れました笑
禁煙、応援していただけると嬉しいです。
それでは。
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