難所

雑文

 昨日と今日が今月一番の難所。

 なんとか昨日を乗り越えたけど、今日は日曜日で、間違いなく晴美さんが居るのでまったくもって気が重かった。

 レストランでアルバイトを始めて今日で17日目。

 細かい説明は省きます。(過去の記事を読んでね✩)

 例により、神様に祈りながら出勤しました。

 控え室で準備をして煙草を吸う。

 時間になり、1階に下りる。

 戦いのスタートだ。

 いま僕はオーダーを受ける練習をしている。

 お客様に呼ばれたら先輩に付いてもらって僕がオーダーを受ける。それをチェックしてもらって「送信」する。

 それが練習だ。

 日曜日の営業なので混雑が予想された。

 気を引き締めてやっていたけれど割と穏やかな雰囲気だった。

 だけど、暇ではない。

 今日はそれほど難しくないオーダーだったので問題なく打つことが出来た。

 忙しくなってきたのはいつ頃だろうか、必死だったので覚えていない。

 気がついたら僕がご注文を受ける状態ではなくなって、デシャップの仕事に専念した。

 いつもなら2時頃には落ち着くはずなのに、今日はお客様の「入り」が途絶えなかった。

 なんだか重いボディブローのようだった。

 デシャップの仕事は溜まっていくが、料理を運んだりレジを打ったりバッシングをしたりしてなかなか片付けることが出来なかった。

 いつもなら3時に上がれるのだが今日は3時を過ぎても上がることは出来なかった。

 お昼のラストオーダーが3時なので、それ以降は「料理」はない。

 片付けるだけだ。

 シルバーを拭きながら僕は仕事とはまったく関係のないことを考えていた。

 ピンクのアイシャドウが可愛かったことを言おうかどうかだ。

 いったい何のことなのかおそらくはじめてブログを読む方には分からないだろうから簡単に説明しておく。

 最近僕はいつも寄るコンビニの女の子のことが気になってしょうがないのだ。

 その子は笹原さんといって、可愛いのだ。

 だけど、いまのところただお会計をするだけなので、なんの発展もない。

 僕は笹原さんと仲良くなりたいし、話がしたい。その先だってもちろん望んでいる。

 なんとか距離を縮めたい僕はいろいろと考えていて、作戦を練っている。

 今日が作戦決行の日なのだ。

 作戦の中には、アイシャドウのことは入っていない。

 でも、「そのことに気づいている」ということをなんとなく伝えたかったのだ。

 それに、褒めて気を悪くする人はいないだろう。

 まず僕の存在を「認知」してもらいたいので、会話の糸口を探っているのだ。

 普段アイシャドウをつけていなかった笹原さんが昨日は桃色のアイシャドウを塗っていて、とても可愛かったのだ。

「可愛かったよ」と言いたい。

 だけど、僕は悩んでいた。

 果たしてそんなことを言ってよいのだろうか。

 引かれやしないだろうか。

 そもそも、昨日気づいたときに言ったのならまあ分かるけれど、「そういえば昨日…」だなんて言ったところで、「いったいいつの話をしているんだ」ってなる。

 でも、昨日塗っていて、今日塗っていないのなら、何か特別な意味があったのではないだろうか。

 そこに気づいて、褒めてあげたら、「あ、ちゃんと気づいてくれる人が居るんだ」って喜ばれやしないだろうか。

 そんなことを期待して、昨日からそのセリフを言おうかどうか悩んでいるのだ。

 だけど、いままで話をしたことのない人がいきなり「可愛かったよ」とか言ったって引かれるのかもしれない。

 シルバーは片付いていくが、僕の頭の中は全然すっきりしていかなかった。

 3時半に上がることが出来た。

 晴美さんに「いろいろ残しちゃってすみません」と言ってから上がった。

 控え室で煙草を吸う。

 やっと、難所を乗り越えることが出来た。

 ほっとする。

 あとは、もうひとつの「難所」だった。

 いままでの経験上、日曜日はコンビニに笹原さんは居る。

 会いたい、と僕は思った。

 会える嬉しさと、まだ何も言えていないもどかしさと、作戦を無事やり遂げることが出来るのかどうかという不安を抱えたまま、コンビニに向かった。

 コンビニまでは、職場から車で5分もかからない。

 すぐに着く。

 4台ほど他の車が止まっていたがチャンスを待っていても仕方がないのでコンビニに入ることにした。

 入った瞬間に明るい色の髪の毛が視界に入る。

 居る。ちゃんと、居る。笹原さんは、居る。

 時間的におばちゃん店員と二人体制だろう。

 トイレに行きながら店内の状況をさらりと確認した。

 他のお客さんは2人いた。ただいまレジに入っているのは笹原さん1人。おばちゃんは商品整理をしている。

 悪くない状況だった。

 トイレで髪の毛をセットし直した。メガネが曇っていないかも確認する。

 出て、いつも買う缶コーヒーを手にした。

 レジに向かう。

 丁度、誰も居なかった。

 笹原さんも居なかった。

 む。これでおばちゃんがやってきたら終わりだ。

 どきどきしながら待っていると、「お待たせいたしました」と奥から笹原さんの声が聞こえた。

 明るい髪が、揺れて、やってくる。可愛い。

 僕はコトンと缶コーヒーをおいて0.5秒ほど空白の時間を作ってから笹原さんの顔を見て「こんにちは」と言った。

 これが、「作戦」である。

 「こんにちは」ただの挨拶だが、コンビニで言う人は限られてくる。でも、珍しくもない。なので、全然不自然ではない。

 今日の作戦は、この「こんにちは」を言うことなのだ。

 ずっと、何も言えなかったけど、僕はようやく「こんにちは」を言えたのだ。

 笹原さんはちょっと驚いてから「こんにちは」と返してくれた。

 その驚き方が、ちょこんと2センチほど飛び上がったので、可愛かった。

 そして、ちゃんと「こんにちは」と返してくれたことが嬉しい。その表情がまた可愛かった。

 僕は、笑顔で返す。普段笑顔なんて作らないからうまく出来たかは分からない。

「あと、112番ください」と煙草を頼んだ。煙草を取ってくれる。

 ぴ、と、バーコードを打つ音が聞こえた。

 そこからほんの数秒間、空白があったので僕は「これだとポイント付かない感じですか?」と聞いてみた。

 すると、「はい。煙草には付かないので」と返ってきた。

「ああ、こっちは100円だし」と缶コーヒーを示す。

「はい。200円からポイントが付くんです」

「なるほどねー」

 会話。会話が出来てる。僕はそのほんの数秒間をとてもかけがえのない時間として感じ取っていた。

 言葉の、やりとり、交わし合う視線。

 今日はアイシャドウをつけていないが、アイシャドウのことには触れないことにした。

 あまり、がっつくのは良くない。

 お会計は660円だった。

 千円札だけを出せば済む話だったが、少しでも時間を延ばしたかった僕は小銭入れをあけて10円玉を6枚取り出した。

 それをトレーに乗せる。

 お釣りが返ってくる。

 受け取る。

「ありがとうございます」

 最後に、顔を上げて笹原さんの顔を見る。不自然でないように、気をつけながら。

 ほんの少しだけ微笑んでくれた。可愛い。

 全身がとろけそうなほど、嬉しい気持ちを感じながら会釈をしてその場を去った。

 作戦、無事完了できた。

 やった!

 やった!

 会話が出来た!

 車に乗り込んで缶コーヒーを二口飲む。

 喜びを噛み締める。

 これは、大きな一歩だった。

 大勢のお客さんのなかで、「挨拶をするお客さん」に昇格した。

 そしてまた、今日挨拶が出来たので、次会うときにまた挨拶をしても不自然ではない。

 挨拶が出来るようになれば、ほんの一言二言なら雑談をすることが出来る。ハードルが低くなったのだ。

 そしてそれは、「認知」へと繋がる。

 帰り道、僕は何度も今日の「笹原さん」を思い出していた。

 ぴょこんと飛び上がって驚いたときの表情。「こんにちは」と挨拶を返してくれたときの表情。そして僅かな会話の表情と声。そんなことを思い出していた。

 思い出すたびに、「可愛い」と胸の奥が滲んだ。

 次は何を話そう。次は何を話そうと、気持ちがうきうきしてきた。

 やった! 嬉しい。

 明日また会えたら、挨拶をしよう。楽しみだ。

 気持ちが高ぶった僕は車の中で流している音楽をプレイリストに変えて歌い出した。

 いつでも、君の笑顔に揺れて、太陽のように強く咲いていたい。

 会いたくて、会いたくて、会いたくて。

 会いたくて、会いたくて、会いたくて。

 ああ、ああ、Ah.

 家に帰る道を通り過ぎてまた同じ道を通り、幸せの時間を伸ばして歌った。

 胸につかえていたものが取れた。

 難所をなんとか通り過ぎることができた。

 よくやった、と思う。

「嬉しくなっちゃうよん♪」僕のニヤケ顔は止まらない。

 

 

 

 

 

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