お店屋さん

雑文

「うわぁー、何もねー」

 すっかり日が落ちた暗い道路を車で走りながら大きく落胆した。

 今日一日、考えた結論が「何もない」だった。

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 それは午前9時ごろのこと、私はお店の開店準備をしていた。

 のぼり旗を出し、外掃除をして、窓ガラスを拭いていた。

 それが終わると、ベッドメイキングをしていた。

 ホテルではない。

 リラクゼーションサロンの施術用のベッドを整えていたのだ。

 折りたたまれた大きめのタオルを持って、ベッドに広げる。

 端を揃えて、整えていく。

 そんなことをしながら「お店屋さんっていいな」と思っていた。

 いま現在私は仕事をしながら新しい転職先を探している。

 先日、面接を受けたけれど不採用という結果に終わった。

 仕事を探し始めたのが9月だから、かれこれ3ヶ月ものあいだ仕事を探している。

 なかなか決まらないことに落胆しつつ、疲れてもいた。

 なんだか、こうなったら自分でお店を開いてみたらどうかと思った。

 お店屋さん。

 私は、お店屋さんで働くのが好きだ。

 私にいったい何ができるのだろうと考えを巡らしはじめた。

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 いまやっている仕事は「もみ屋さん」である。

 マッサージのようなことをしている。

 それならどうだろう。

 自分の家でできたら良いのだが、そんなものはないので、テナントを借りる必要がある。

 そうなると、私ひとりでは無理だろう。

 従業員を雇わなければならない。

 資本金はいくらだろうか。

 月々の固定費はいくらだろうか。

 お客さんは来るのか。

 そんなことを考えていると、それじゃあいまやっていることと変わらないので自分で出店する必要のないことに気がついた。

 じゃあ他に何ができるのだろう。

 以前私は焼肉屋の店長をしていた。

 焼肉屋。

 肉をどうやって仕入れるのだろう。

 それに私はさばけない。

 肉の違いも分からない。

 メジャーな部位しか知らないし、タレとかもどうやって作ったらよいのかも分からない。

 なんかもうダメな気がした。

 飲食店で働くのは好きだが、私はまったく料理ができない。

 得意なのは給仕だが、料理あっての給仕なので、私ひとりでは無理だ。

 独立したい料理人がいて、その人に作ってもらい、私は給仕とマネジメント業務をしたらどうだろうか。

 それにも資本金がかかる。

 銀行から借りるとして、一緒にリスクを背負ってくれる人がいるのだろうか。

 分からない。

 何かを販売するお店はどうだろう。

 私は文房具が好きだが、いきなり初心者が在庫を抱えるのはリスクが大きすぎる。

 もしやるのなら「珍しい文房具専門店」だろう。

 それなら小規模でできるし、固定費も在庫も少なくてすむ。

 だが、そんなオタクな店が繁盛するかといったら繁盛するわけがない。

 京都の河原町にそんな店があって、ちょくちょく覗いていたけれど、1年も経たないうちに潰れてしまっていた。

 じゃあ一般の文房具ならどうかといったら、そんな店、ちゃんとある。

 清水町に文房具の専門店があって、比較的大きな店舗だった。

 従業員も数名いたし、在庫数が数え切れないほどあった。

 そんなの、毎月の棚卸が面倒じゃないか。

 面倒なのは嫌いだ。

 はあ、とため息をつく。

 ないな、と思った。

 思い返せば、私の父親は「お店屋さん」をやっていた。

 私の母の反対を押し切ってお店を開いて、みごと潰れてしまった。

 父さん、倒産したってよ。って話だ。

 子どものころは、父親のお店に行くのが楽しくてよく夏休みには遊びに行っていたが、いま思うと、なんともよく分からないお店だった。

 売っているのは、本、ビデオ、ゲーム、おもちゃ、ギフト、そんなものだった。

 小さい店舗だったので、そんなに商品を置けない。

 なので、父親がピックアップした商品を並べていたのだろうけど、そんなもの売れるはずがなかった。

 大体、本を探している人は本屋さんに行くし、ビデオを探している人はTSUTAYAにいくし、ゲームを探している人は商店街にあったファミコンショップに行っていたし、おもちゃを買いたい人はおもちゃ屋さんへ行った。

 父親が営んでいたお店になんて、誰が行くだろうか。

 唯一珍しいものは「レンタルゲーム」だった。

 旅館とかに100円を入れて見られるテレビが昔あったと思う。

 そんなものが、4台くらい置かれていた。

 そしてそこに、ファミコンとか、スーパーファミコンとか、セガのゲーム機とか、そんなものを繋げてゲームソフトを借りてプレイするというシステムだった。

 私の家ではゲーム機を買ってもらえなかったので父親のお店に行ってそのゲーム機で遊ぶのを楽しみにしていた。

 遊びに行っては、プレイしていた。

 もちろんそのお金は父親からもらっていた。

 ねえ、お父さん、営業する気ある? と、いまの私は言いたい。

 そりゃあ潰れるよ、と、思う。

 あの人は、ちゃんと経営する気があったのだろうか。

 貯金をいくらか使ったのだろうが、借金をしていたことを私は知っている。

 わざわざ銀行から借入れて、お店を作って、倒産して、いったい何がしたかったのだろう。

 母親が反対していたのも無理がないし、嫌気がさして離婚したのも当然だ。

 道楽で生きていけるほど甘い世の中ではない。

 どうせお店を開くんだったら、小料理屋とかレストランの方がましだったのではないかと思う。

 少なからず、二人共調理師の資格を持っているし、父親は知らないが、母親は料理が得意だ。

 美味しい料理を作れる。

 それなら夫婦二人で協力しながらできたかも知れないし、離婚することもなかったのではないかなと思う。

 まあもう過ぎたことだから、知らない。

 そんなことを振り返りながら、私は自分のことを考えてみた。

 父親のことをボロクソ言ってみたが、じゃあ自分はというと、何も偉そうなことは言えないことに気がついた。

 料理はできない。

 在庫を抱えたくない。

 できれば借金をしたくない。

 得意なことは何もない。

 人々がお金を払うのはそこに「価値」があるからだ。

 私はそんな「価値」を生み出すことができるのだろうか。

 何かないかと、考えてみたけれど、何もなかった。

 麺が好きだから「麺屋さん」を開いたらどうか考えたが、そんな店には誰も来ない。

 スパゲティが食べたければスパゲティ屋さんに行くし、うどんが食べたければ丸亀製麺に行くし香川県のようなうどん店に行くだろう。

 蕎麦が食べたい人は職人が打った蕎麦を食べたいだろうし、らーめんが食べたい人はらーめん屋へ行く。

 私が提供できるものなんて、何もなかった。

 生地系の食べ物が好きなので「生地屋さん」も考えた。

 ブリトーと生春巻きくらいしか思いつかなかった。

 新しい料理を開発しようと思ったけど思いついたものはすべてこの世の中にあるものだったし、そういったものはちゃんとそういったお店が存在していた。

 サービスだったらどうだろう。

 いや、いったい私ひとりでお店を開いて何をサービスするのだろう。

 何もなかった。

 そういえば子どものころ、よく「将来の夢」というのを書かされていた。

 私はそれが嫌で、いつも適当なことを書いていた。

 けれどいま思えば、そういう将来設計というのは大事かもしれないと思うようになった。

 いつも、場当たり的なのだ、私は。

 文章を書くのが好きなので文筆業はどうだろう。

 ははは、笑える。

 私に何か価値のある文章なんてかけるはずがないことはもう分かっていた。

 専門家にはかなわないし、物語を書くほど想像性が豊かでもなかった。

 一日中そんなことを考えていたけれど、私には何もないことが分かった。

 だから帰りの運転はひどく気が重かった。

 もし私が人口100人の村で過ごしていたらどうだろう。

 何ができて、誰の役に立てるのだろうか。

 何もないので、たぶん誰かの下につくことになるだろう。

 誰かの「下」につくことが悪いわけではない。

 有用な部下というものはいる。

 だけどきっと私は有用な部下にもなれないだろう。

 なんかちょっと疲れちゃったな。

 疲れたかあ、じゃあ「お風呂屋さん」なんてどうだろう。

 いや、世の中には立派な温泉施設があるし、スパも銭湯もある。

 私が出る幕ではない。

 やれやれ、しばらくは雇われの身になるしかないようだ。

 明日、仕事が終わったら求人雑誌を持って帰ろう。

 そこには夢は詰まっていない。

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